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終の棲家の見つけ方

人は終の棲家は生まれながらに決められているのでしょうか、人生の最後の方にきた現在、未だ安住の地がみつかりません。独り身ですのでどこに行こうと自由ですが、何かきっかけか指図がなければ東西南北どちらに行って探せばいいのかわかりません。何かアドバイスをお願いします。またはお勧めの占い師さんをお教え下さい。

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  • Wendy02
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回答No.2

こんにちは。 私も最近、よく「終の住処(ついのすみか)」のことを考えます。「占い」という範疇を遥かに越えた次元の問題だと思います。老後の生活設計を決めていかなくてはならないと思います。 「終の住処」というのは、結局のところ、自分の死のことを考えることだと思います。 生まれながらに決められている、というよりも、昔から、自分の生まれたところで死ねるのが幸せだと言われ、生まれ故郷に戻れないことは、不幸だといわれます。それは運命的に決められているとも聞きます。それは、手相では、旅行線といって、生命線の終わりのほうで、月丘(親指の根元のふくらみ)に走る線で、故郷を離れるという相だそうです。 ご質問者さんは、男性の方ですか? 生まれ故郷もなく、家族も本当に身近な友人もいない人としては、占いよりも、終末のシステムがあるようなところを探したほうがよいと思います。システムというのは、別に「ホスピス(終末医療)」のようなことではありません。人との付き合いの中に、システムがあると思います。だから、どこか知らないところに移ったとしても、やはり人間関係を作り上げていかなくてはなりません。それは動ける間だけです。 年を取るごとに、実は、動けなくなるのです。たぶん、ご質問者様は、まだ動けるわけですね。しかし、いずれは、気力も体力も落ちてしまうわけです。 遠くの親戚縁者よりも、身近な人で毎日会えるような人を作っておくことだと思います。自分の死を託することができる人が近くにいることは大事です。病院で亡くなるとか言ってもお金がある人だけだと思います。年を取れば取るほど、誰でも孤独になってしまいます。特に、男性の場合はその可能性が高いです。東京でも、例えば、下町と山の手では、段違いに、下町のほうが、横のつながりが強いです。 生きているということは、何かしら、この世に執着を持って生きているわけです。しかし、死んだら何もなくなるのだから、周りのことも、先のことを考えないで良いとか言った人がいます。そういう人は、若いとか年を取っているとか関係なく、孤独な人の心はいつまでも分からないと思います。 1人暮らしで、亡くなってしまった時に、人に迷惑を掛けるのだけは避けたいものです。 そのために、きちんとした計画を立てたほうがよいのではありませんか?最後、自分のお葬式やお墓のことも考えなくてはならないと思います。ある意味で新興宗教団体というのも本人が満足していれば、死ぬまで面倒を見てくれるので、それもよいのですが、孤独な人生の人には、自分の心を満足させるものはないかもしれません。

rute66
質問者

補足

有難う御座います。現在66歳ですが、故郷と言うのは都会ですが、すでに両親はなく今、振り返ると8回ほど住まいを代わって来ました。住まい等に困ったことはなく現在まで来ましたが、この年になり自分の持ち家もなく財産もなく、また長年独りできて友人はなく、例えば掃除洗濯をしてもらえるとしても自分でした方が気が楽でよい、入院をして看護婦さんに看てもらうくらいなら死んだ方がよい、老人ホームに入るぐらいなら孤独死を望みます。葬式はして欲しくない。和を乱すタイプではないですが共同生活にはなじめない等々、一般社会の常識からすると大分、変人の部類と思いますが、現在までここに骨を埋めるのだと言う所に出会わないのです。そこで占いの方にこちらの方面を探せといって欲しく、自分ではどちらの方面を探した方がいいのか、何の伝手も目途もなく探しても空しいだけのような気がし占いで後押しをして欲しいと思いました。

その他の回答 (3)

noname#91176
noname#91176
回答No.4

私はどちらかと申しますと、このサイトは人様にご回答するよりは自分が質問したい事があって知ったのですが、 下のNo3さんのお答えが全てを物語っておられるように思われます。 普通は“そうですね、今一度考え直してみます”と来るような回答だと思うのですが、 そうはならずに、あくまで断定的な占断を求めてやまないというのは少し危険な感じがするのですが・・・。 果ては、どの占い師に当たるべきかを更に占う、というような無限のサイクルになりませんでしょうか。 それなら神社かお寺かご自身に由縁のある菩提に手を合わせて祈った方がまだ良いような気がしますが・・・。 ご不快でしたらお許し下さい。 年齢は随分下ですが私も似たような境遇ですので他人事とは思えずについコメント致しました。 どうぞ良い安住の地に巡り合われます様、お祈り申しております。

rute66
質問者

お礼

有難う御座います。今はどうすることも出来ず流れにまかせます。

  • Wendy02
  • ベストアンサー率57% (3570/6232)
回答No.3

こんばんは。 #2で回答した者です。 私の周りには、同じぐらいの年代の人たちが多くいます。 ここで、私があれこれ書いても、たぶん納得しないと思います。私ごときが、人生論や運命論を書いたところで、理解されない、それがネットのコミュニケーションの哀しさかなって思います。というよりも、私自身が、その答えがないからです。 >そこで占いの方にこちらの方面を探せといって欲しく まさか、インターネット公開掲示板で、占いをしてもらおうと思っているのでしょうか。それは辞めたほうがよいです。ここで答を言う人なんて、普通の感覚ではないと思います。生年月日、お名前、それ以上に、その人からの詳しいお話や、最終的にはその人が持つオーラというか雰囲気によって、その答えを導きだすものだと思っています。 しかし、その答えで、好転するのか、それとも、悪い目が出るのかは分かりません。しかし、たとえ、悪い目が出ても、それではっきりしてくれるものがあるはずです。 誰かしかるべき占い師によって背中を押してもらう必要があるなら、ともかく直接、会って、お話をしてみることだと思います。こういうところでは、何が正しいのか、そうでないのか分からないです。占い師は別としても、人知れない霊能者の方で、それはそれで責任を持った回答をしている人も多いのです。占いとは世界が違うようです。 ただ、占いの本質って、お考えになったことがありますか? 「初筮(しょぜい)は告ぐ」といって、曇りのない心で占いをすると一回目が当たるといいます。占いというのは、偶然の妙なのかもしれません。 しかし、占いをする前から、本当は本人が答えを知っていることが多いものです。ただ、本当の答えを知りたくない、という心理もあるものなのです。 >一般社会の常識からすると大分、変人の部類と思います そんなことはないです。同じ年代の人で、同じような人は一杯いますし、今後、どんどん増えていきます。しかし、生きている限りは、自分自身が決断して、何かジタバタ・ウロウロしなければならないと思うのです。 ただ、どうやら、終の住処というのは、心の持ち方ではないのか、と思うのです。その地に安住せずに、最期の日を迎える覚悟したほうがよいのではありませんか。そのように運命付けられている人もいます。それは、古今東西、そういう人がいます。昔の人は、私たちは、どこから来て、どこに行くのか知らない、と言っています。

rute66
質問者

お礼

再度、有難う御座いましす。ネット占いも3回、近所のタロット占いも行きました。ただ気休め的な気持ちで聞きましたが、若い時には成るようになる。と現在まで来ましたが、今、ここに来てこんなはずじゃなかった、財産もない、何もない、今まで何をしてきたのかと思うようになりました。負け組みの典型でしょうか、占いに頼るのは「断定的に貴方の最期の地はこの地ですよ、この地に根を張って、腰を落ち着けて」と言って欲しいのですが、無理なのでしょか?

  • yume001
  • ベストアンサー率20% (1/5)
回答No.1

独り身で自由・・うらやましい限りです。独り身で拘束されるものがなかったらどこに行っても何をしても制限がないじゃないですか。裕福な暮らしは元手がないとできませんが、晴耕雨読てきな生活でもかまわないのなら、南の島で自然に囲まれながらの生活も私は、ある面よいと思います。 占いは、結局他人に自分の行く道をゆだねることになりませんか。その占いの方が息を引き取るまで・・考えてくれるのでしょうか。何も拘束されるものがないのなら、思うがままに今日明日とすごして見たらいかがでしょうか。

rute66
質問者

お礼

有難う御座います。若い時ならそう言えますが、そう長くはない人生で人に迷惑をかけない死にかたを考えると、自由であっても自由ではないです。

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