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受験を終えての学歴コンプレックス

こんばんは、去年受験を終えた大学生です。 最近、実家に帰省しました。その時に、地元の塾や予備校のチラシが家に来ていて、その中で私が受験の時に通った塾のチラシがありました。 そのチラシを見ると、私の後輩や知り合いが難関大学に受かっていて、コメントなどを書いていました。 それを見て「ああ、受かったんだ。よかったな」と思いましたが、その反面「ああ、オレは何やってるんだろうな」とも思いました。 去年の今頃は、友達がみんな第一志望に受かった中、私だけが落ちて、人生で回数的には2回目であり、ショックの程度は一番の挫折(1回目は現役で落ちたこと)を味わい、以後半年程度引きずるような経験をしていました。 最近やっと気持ちが落ち着いてきたのに、またかという気持ちになりました。 まあ、別に大学で人生がすべて決まるわけではないことはわかっていますが、私は特にスポーツが得意なわけでもない、話がうまいわけでもない、また、最近はバイトをしていても自分の要領の悪さに気付かされることが多く、仕事ができる人間でもないと自覚しています。 このように自己分析をしてみると、「やっぱり俺は全然大したことないな」と思い、がっかりします。 さらに受験失敗のために成功体験すらないので、自分に自信も持てません。 こういうことで悩む自分を情けなく思います。 どうしたらこういうことで悩まなくなりますかね?このガラスの心臓は非常に厄介で困ってます。

みんなの回答

  • tsururi05
  • ベストアンサー率31% (300/958)
回答No.6

若いうちは、いろいろ小さなことで悩むものです。 「自分はたいしたものじゃないとわかってショックだった」 でも、それってたいせつな認識ですよ。 「自分が大物だとわかった」と思うよりも、よほど健全です。 誰だってたいしたものじゃないんです。 結果だけをみたり、一断片を切り取ったりして誇張して見るからそう見えるだけのことなんです。 いまあなたの同年代のひとで、周囲からすごい!と思われる結果を出しているひとがいるしもしれません。しかしあなたは、その人に負けないだけの努力をしましたか?いまもしていますか?。たぶんしていないと思います。 たいせつなことは、これからです。 あなたは「自分がたいしたものじゃない」ということがわかったのですよね。 だったら、人並み以上に努力しないと。 じゃないと「人並み以下」になってしまいますよ。 なにを努力したらいいかって?。 それは自分で考えましょうよ。 それが大学時代というものです。

  • iowaboy
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.5

てか、頭が良くてもスポーツができる人がいても ぜんぜんうらやましくありません。 自分は自分だからです。 あなたは十分頭がいいですよ。 だって、世界には字を書くことも、読むこともできない 人はたくさんいます。 ぜんぜん悩むことないです。

noname#111359
noname#111359
回答No.4

次のことでも考えて、行動してみたらどうですか。 答えがないから悩んでいるんですよ。

noname#96559
noname#96559
回答No.3

学歴コンプレックスが問題なのは、その学歴だけでなく、持たなくてもいい、他のことにもコンプを持ってしまうことです。 難関大に入れなかったのは、まぁ、しょうがないじゃないですか。みんなが入れるわけじゃないのだから。 で、難関大を卒業したからといって、人生、順風満帆というわけではない。難関大の多くの人は、それを知っているから、努力しています。だから差がつくのです。 一生懸命やらないことに、自信が持てるわけありません。ここを良く考えてください。

noname#160321
noname#160321
回答No.2

大学なんか人生の中で一瞬のうちに通り過ぎる小径に過ぎません。 人生はこれからが本番です。あなたが死ぬときに「ああ、充実した人生だったな」と感じられればそれが最高の報酬です。 私のように「勉強以外能が無い」「好奇心が強すぎる」ような奴は高学歴で学位を取ってもさらに上へ上へと「際限無く」「未開地」を求めて「飽くなき前進」を強いられます。それでも満足感は得られません。死ぬときも「未だ足りない,未だ足りない」と悶絶するしかないのです。そんな学歴なんか他の方には薦められません。

  • zorro
  • ベストアンサー率25% (12261/49027)
回答No.1

自分に自信をつけることです。ほかの人にはできないが自分にはできることを探すことです。大学で負けたと感じても、人生の負け犬になってはいけません。

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