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部落差別
戦前は部落の人の職業が決まっていた? 職業を選ぶ自由はなかった?
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- binladen
- ベストアンサー率12% (1/8)
部落自体、頭逝かれたキチガイや、人間モドキの精神病者・人を中国人みたいに料理して喰う奴らの巣窟であると親に言われていました。事実、小学校の頃に部落通っただけで、面識無い中学生の部落がイタズラして来たり(中学校の部室に連れ込んで、ヘンな事した)同級生でも嫌がらせしたのは部落の奴でした。因みに鳥取の米子郊外の溝口駅の裏の山の上や二部って所が部落でしたよ。マジで朝鮮人みたいな奴ばかりでした。
- wolddw
- ベストアンサー率0% (0/1)
【家が立たない土地】 これも差別といえるかどうかしりませんが、いまだに家が一軒も立ってない広い空き地があります。 JRで神戸方面から尼崎、大阪方面に通勤している方はご存知かと思います。 線路沿いの北側に塀で囲った広い空き地が突然拡がっています。 すぐ近くには自動車教習所や立派なショッピングモールがある好条件な土地なのに マンションすら立ちません。 これも、過去の遺物と思われます。 詳しい土地の歴史はご自分で御調べください。
- sirousagi1
- ベストアンサー率35% (730/2058)
この問題はいまだに根強くのこっています。 ところにより、職業、婚姻、交友にまで目をむけているところもあるようです。 多くの会社(上場企業)は入社時や研修時に偏見の抑制などのカリキュラムを組みます。 職業については、平成になるまでは差別を受けていたことは聞いています。(近隣の○丁目には多い地域と聞かされていた) その人に能力があっても、他からの「目」があって採用を差し控える会社も多かったという話も聞いたたことはあります。 つまり、社員として雇うと会社との取引に影響したそうです。 そうなると、職業は限られたものであったと思います。 これらは、平成のはじめころまでに祖父母や叔父に聞いていたことなので、現在の実情とは違っているとも思います。 現代でもそうだったのだから、戦前の実態はもっと「あからさま」だったと推察します。 また、祖母はそういった年代だったので、「自分たちは連中とはちがうんだ。」と言っていたことを記憶しています。 よっぽど身分にトラウマを抱えていたのか子供心には不思議に移りました。 昭和60年ころ名古屋出身の同級生から、「部落出身者は○ヨタには就職できないんだぜ。名簿があってチェックされるんだ。」と聞いたことがありました。今はどうかしれませんが。 また、建設に限った事でもないと思いますが、現在でも「部落解放」を旗印の企業や協同組合があって、公共工事などはそこが手を挙げると他社はみんな辞退してしまう自治体の入札も実際にあります。 だから、大手では名前だけでも共同企業体として入れて穏便に公共工事を落札させているケースもあります。 行政側もこれらは周知の事実で、一切口をはさみません。 これが今もあるので、こういった業界への就職はやっぱり「しこり」は多少でも残っているとも思います。
- shito_17th
- ベストアンサー率50% (28/55)
江戸時代の士農工商身分制度下において、身分制度のらち外とされていた身分は、1871年の開放令(太政官布告)により、平民と同等とされ、職業選択の自由も形式的には、この布告以降は保証されていました。 しかし実際には部落差別が横行しており、実質的に職業選択の自由は大幅に制限されていた状態と考えます。 第二次大戦後においては、露骨な部落差別はだんだんと影を潜めてきましたが、これは表立った差別が潜在化しただけと思います。 戦後も昭和40年代位までは「部落差別により、実質的には職業選択の自由が、公務員等を除き、総ての部落出身者に均等に保障されてはいなかった」と言って良いと思います。 そして、この部落差別は戦前までの話ではなく現在も潜在的に続いていますが、戦前の状況に比べれば、現在の「職業選択の自由」は大幅に改善されていると思います。