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学会でのゴマすりは必要か?
mixiでもなぜか活発に議論されていますが、研究者として生きていくためには学会での「重鎮」などにお酌したりしてゴマをすることは非常に重要なことなのでしょうか?論文の業績も大切だけど、ゴマをすり、いかに名前を覚えてもらうか。アカデミックの世界は狭いので人脈はかなり重要らしいのです。 一方で、「ゴマすりなんかは必要ない。実力の無いやつがすることだ。優秀な学生はどこでもポストにつける。」という意見もあります。 実際のところどうなのでしょうか?教えてください。
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現役時代に評価されたいなら有能さだけではダメです。ある程度のごますりが必要になります。 偉大な発見をしたり、論文を書いたかつての偉人達も、新理論の論文発表当時には評価されなかったりしていることがよくあります。論文発表から数年~数十年後になって、やっとその時代の誰かがそれを発見して評価されたということがあります。 このケースで、重鎮といわれる人とコネがあればその論文も読んでもらえて議論してもらえたでしょう。しかし、偏屈な偉人達はそのようなコネをもっていなかったので、一読で議論するに値しないと否定された・・・と。 地動説なんてまさにその例ですよね。天動説が真理だった時代に地動説を唱えるなんて圧倒的に優秀だったわけです。それでもコネが無いがゆえに叩きつぶされました。 優秀だからといって必ずしも評価されるわけでも、ポストに就けるわけdもありません。
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- kirin_beer
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ゴマをする必要は無いと思います。ただ、夜の懇親会のお酒の席で、様々な先生と話す事は非常に重要だと思います。個人的には「重鎮」に自分から顔を売りに行くと、学会関係の色々な仕事が沢山ふってくるので、「中堅(次世代の重鎮)」ぐらいと仲良くする方が、良いかなぁと思います。
通常の学会ではでかすぎますが、討論会での懇親会やお酒付きのポスターセッションなどでは発表されている院生だけでなくその指導教官の方に研究の内容に付き表では聞きづらいことなどを聞くことは良くあります。 ある意味「ゴマをすっている」ようでもあり、純粋に研究熱心な様でもあり、複雑な処です。 誰だって自分の研究の細かい点まで質問してくれる人がいたら研究者としては嬉しいし、「あれ、××さんってそういう気の付く人なのか。覚えておこう」「今度の発表はまじめに聞いて上げよう」となりますよね。 それは、研究者として生きる上には必要なことでしょう。
学会の規模によります、極めて小さい、たとえば数十人規模の学会ならまだしも、普通は『重鎮』が他大学の院生のことを気にかけることはないでしょうな。 「ゴマすりなんかは必要ない。実力の無いやつがすることだ。優秀な学生はどこでもポストにつける。」という意見が正論です。 実際にポストに就いた後で、交流を図るというのであれば、ある程度意味のあることだとは思います。 まあ、度を過ぎたゴマすりは、端から見ていてイタいです。
- eradesu
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必要以上にする必要はないかと思います。 ですが、愛想が悪いより良いほうが相手も喜ばれます。 学会の後でよく飲む機会がありますが、その際、自分の発表を聞いていただいた方にはお酌をしにいったり、そこで会話をしたりしますよね。それはゴマをすると取るか自分の感謝を伝えに行くと取るかはご自分次第だと思います。自分の発表や相手の発表に対して議論していただいた教授に礼を尽くすのはおかしいことではありませんよね? 必要か?必要でないか?と考える前に自分はその場に立ったとどうしたいのか?が重要ですよ。