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昔の東海道線(JR東日本)113系の編成について
昔、JR東日本の東海道線の113系がバリバリの現役でE231系なんて姿形もなかった頃、まれに中間車と制御車が隣同士で連結されている編成の列車が来ることがあったような気がします。多分7号車と8号車あたりだったと思いますが、アレは何故そのようになっていたのでしょうか?今でも不思議に思います。回答を宜しく御願いします。
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東海道線の113系は、基本編成が11両編成、付属編成が4両編成となっていて、そのうち基本編成の8号車に中間付随車の「サハ」が組み込まれるのが標準的な編成でした。 熱海← クハ‐モハ‐モハ‐サロ‐サロ‐モハ‐モハ‐サハ‐モハ‐モハ‐クハ →東京 ところが、この8号車のサハの代わりに制御車であるクハが組み込まれている編成が時々見られました。 これは、サハの台数自体があまり多くなかったため、クハを組み込んでサハの代用としていたためです。 また、サハが検査で入場した場合も、(代わりに組み込むサハは数が少ないため)クハで代用することも多かったようです。 113系のサハには(一部を除き)便所がついているのですが、クハも(これも一部を除き)便所を備えており、クハをサハ代用として組み込んでも運転席部分の定員が少なくなる程度の差であったためにそれほど問題なく使用できたのでしょう。 ちなみに、サハの代用としてクハを組み込んだ編成は、東京圏では東海道線以外に横須賀・総武快速線の113系基本編成(11両)の8号車、東北・高崎線の115系基本編成(7両)でも見ることが出来ました。 なお、サハの台数が少なかった理由は、11両編成や7両編成中に1両しか使われないなど基本的に必要台数が少ないことと、クハでサハの代用はできるけれども、サハでクハの代用は出来ないということによるものだと思われます。
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- kuni-chan
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No.1さんと私も同じ意見です。 補足しますと、1988年のJR電車編成表によりますとグリーン車を含む11両編成の部分を担当していたのは田町電車区と国府津電車区です。 田町にはクハ111を中間に入れた編成はありませんが、国府津には11編成ありました。その当時は珍しくなかったようです。 サハ111が少なかったので後にサハ115から改造されたり(300番台)、モハ112、113の電装を解除してサハにした(400番台)が追加されました。
お礼
回答ありがとうございます。 そういうことだったんですか。謎が解けました。
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