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”生きる”という意味を教えて下さい
拙い文ですが、読んで頂けたら幸いです。 最近、何故自分が生きているのか考えるようになりました。 別に生きるのが嫌になり、死にたく思ったわけではありません。 自分がどんなに今を頑張って生きていたって、いつか死んでしまって何も残らなくなると思うと、とてもむなしい気持ちになりました。 死んでしまうと、生きている間に積み重ねていたことが全て無駄になってしまう気がします。 後ろ向きな考え方だとは思いますが、自分が生きている意味なんて無いような気がしてきました。 どうして生きているのか、心のよりどころが欲しいです。 生きている意味など無いのでしょうか。生きるということはどういうことなのでしょうか。 よろしければ皆様の御意見を伺わせて下さい。 ごちゃごちゃした文になってしまいましたがよろしくお願いします。
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何かを知りたいと想う気持ちなのではないかなと想います。 “答えを見つけるために生きていく”のではないかなと想います。 自分の好きなものがあったとしたら、 好きなものがあるのだけれども、その好きなものには種類がありますようね? そしてそれには、自分に合った、合わないがある。 そこの延長線上で「自分に合った」を探していくことで、“本当に生きる意味”が出てくるのかもしれません。 「これが自分の生きる意味だ」とそう想えば、それが生きる意味にもなります。 「音楽に触れることが生きる意味だ」「美術に触れることが生きる意味だ」「家庭を持ち、家庭から得た暖かさを皆に分けることが生きる意味だ」とすれば、それが生きる意味になるのだと思います。 >生きている意味など無いのでしょうか。生きるということはどういうことなのでしょうか。 「生きる意味は無い」とすることもできるし「生きる意味は有る」とすることもできるんのだと思います。 死んでしまっても色々なものが残ります。 物質的には残らないかもしれませんが(骨となって残りはするかもしれませんが) 想いを後世に託していくことはできるのだと思います。 一人一人、繋がっていないように見えて、繋がっている。だからこそ、会話したり、触れたり、心にお互いの想いを感じたり、またその記憶を得たりすることができるのだと思います。 人が幸せを求めているということはどうも確かみたいなので、その延長線上にまず「生きがい」が存在して、またその延長線上に答えがあるのかもしれません。 多分何かがあるのだと思います。 「質問者さんが産まれるまでに至った歴史の中、過去の中から今に渡ってを生きる質問者さんに“何か大切なことをして欲しい(またはその役目)”というものがあるのかもしれません。」 >自分がどんなに今を頑張って生きていたって、いつか死んでしまって何も残らなくなると思うと、とてもむなしい気持ちになりました。 本当に頑張って生きた後に、いつか死んでしまったら、それはただ本当に悲しいことなだけでしょうか? 頑張ったら頑張った分、それは自分の身体がからにじみ出ていって、誰かに伝わって、それが誰かの励みになったり、また誰かと共感できる切っ掛けとなったり、誰かに認めて貰えたりすることがあると思います。 そういった気持ちはとても嬉しいものだと思います。 何故だか、心の中が少し暖かいような、少し熱いようなものが覆ってくるのがわかると思います。 そういう気持ちは感じられたくはないでしょうか? きっととても心地いいものが心に染み入ってくると思います。 「無駄」と言葉でしてしまうことはできます。 ですけれども、言葉にせずとも、仮に思考せずとも、質問者さんご自身のお心が「それが無駄であるのかそれとも違うのか」ということは、ご存知なのではないでしょうか。 人は「5感」を主に生活はしていますが、それよりも優れた「感覚的な何か」があるのだと思います。 「伝わる空気」「想い」「喜怒哀楽の感情」。 私はそういうものを受け取ってくれているものが心なのだと想っています。 天国があるとか、地獄があるとか 得たものを、そこに持っていけるのか、どうなのか、とかそういうことはわかりませんが、私の中で判っていることは 頑張ったら頑張った分だけ、心が満たされる切っ掛けとなります。 そしてその分、周りの人を幸せにしたり、暖かくしていったりすることができるということです。 そしてそれで得られたものはとても心地がいいということです。 どうしてそう感じるのか?は判りませんが、産まれてからそういうところが人の心のどこかに眠っているのだと思います。 生きてきた中で培ってきた想いは、残すことができるということです。 生きている意味は自分の心の中から見出すもので、また時に、他者を思いやる心から突然現れたりするようなものなのかもしれません。 私の生きがいは大切な人たちと共に人生を生き抜くことです。 大切な人は、時に家族かもしれません、時に想い人かもしれません、時には兄弟かもしれません、一緒にいることで、お互いが想い合う中で、得られる、確かにある「幸せ」に触れていきたいと思い、またその幸せが何であるのかを「言葉で理解できずとも、感覚で知っていくこと」が私の生きがいです。 「生きる意味」は「自分で見出すことができるもの」で、「生きがい」は自分で作っていくことができるものなのかもしれません。 「嬉しいと思えること、好きだと思えること、また誰かを幸せにしてあげれること。」に触れていくことで、私は私なりの生きがいをみつけました。 「生きる意味」についての回答にはなっていないかもしれません。 ただ、お伝えできると想ったところ・・・ >自分がどんなに今を頑張って生きていたって、いつか死んでしまって何も残らなくなると思うと、とてもむなしい気持ちになりました。 死んでしまうと、生きている間に積み重ねていたことが全て無駄になってしまう気がします。 私も過去にそう想っていましたが、ですけれど、今の想い、気持ちは違います。 「生きていくことは決して無駄ではない」というところを、私の気持ちを通してお伝えさせていただきました。 言葉だけでは伝わらないものがあるかもしれません。 ですけれども、何か感じ取れてもらえたら嬉しいです。
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eco関係のネイチャーゲームの講習会のときの話です。 「ネイティブインディアンの子供は自分の絵を書いてくださいとたのむと、必ず自分だけでなく、木や花や動物をいっしょにかきます。」 「日本の子供は自分だけを書くようです」 「この違いから自然の一部だという認識が私たち日本では希薄になってきているというんです。木や花や動物と何も変わらない自然の一部だという認識を失った時、生きている意味がわからなくなるのではないでしょうか」 うまく伝えられませんが、私も若い時、なぜ生きるかどう生きるか、くだらない疑問でいっぱいでした。 葉っぱが光合成をして二酸化炭素を酸素に変えたり、はちが交配の役に立ったりは有名ですが、「人間」も自然の一部であり、何かしら役割を持っているのではないかというのです。 自然と人間を対立して考えると不安になるといいます。 理屈を忘れて山や海に親しむとほっとしますが、「この地球から生まれた自然の一部」とおもうとほっとします。
私もたまにそういう大きな疑問に はまり1日中考えてしまうことがあります。 これといった答えは未だに出ません。 生きている間に積み重ねていたことが全て無駄になってしまう気がします。 …この文章を見て思いついた事をそのまま書きます。 税金を払っていれば、自分以外の人の生活に 役立っているわけで。自分自身も税金で 生活が成り立っている事もあるわけで。 (今日、税務署に行ってきたので) 死ぬ時は何も持たないほうがきっと 幸せなんじゃないですか? あっちの世界には生前自分の行いによって出来上がった結果の 素敵なお部屋があるんですよ! だから、今頑張ったぶん 死んであの世に行った時の生活が豊かになるんじゃないですか?
お礼
回答ありがとうございますm(_ _)m 死んだ後にどうなるのかなんて想像もつきませんが、もしそのような世界が待っているのだとしたら、死んだ後には、死んでいることの意味について考えてしまいそうです(笑) ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございますm(_ _)m 自分が、自然の一部であることを再認識させて頂きました。 自然という大きなくくりで考えてみます。 ありがとうございました。