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本当は・・・

キリスト教では、罪の告白というものがあるそうですね、実はタバコを止めて、ちょうど4年間なんです、足を洗ったんですが、今までずっと生涯一度も一本も喫煙したことが無いと、他人にはウソをついて答えてきましたが、最近はじめて、腹を割るつもりでしゃべっちゃいました。  すると気持ちがスーッと楽になりました。聖書を読んだことのある方に聞きたいのですが、本当のことをしゃべるのと、ウソをつき通すことのどちらが、ただしいと言えますか?ケース バイ ケースですか? それから、喫煙者の皆さん、禁煙は簡単です。問題は、禁煙の正しい意味を理解すれば誰でもできます、分かってしまえば、たやすいです。  無理に強制はしませんが・・・

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  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.3

ケースバイケースでしょう。 タバコを吸ったことがないというような意味のない嘘の告白は告白をしたところで誰も傷つかないからいいでしょう。 でも、嘘をついているから円満に動いていると言うことも多くあります。 例えばお客様で嫌いな人がいる。でもお客様だから嘘をついて接している。 こんな場合に正直に「私は貴方が嫌いです」と言っても意味がないですよね。 また、嘘をつき続けることで本当にするという場合もあります。 感情的に嫌いな人で一緒に居るのが苦痛でも、笑顔で楽しいですと言っている内にその感情的なものがなくなり嫌いじゃなくなる。 そんなこともあります。

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  • duse
  • ベストアンサー率50% (5/10)
回答No.5

こんばんわ。 うそをつくのは、基本的にお互いプラスにはならない事と思います。 相手の気持ちを十分理解したうえで、悪意なくうそをつくなら、時としてあると思います。 答えとしては、ケースバイケースになるでしょうか。 肝心なのは気持ちがスーッとしたことです。 気持ちが晴れたのなら、正直に話してよかったのではないでしょうか? うそを突き通すのが辛かったということですね。 うそをつくこと、正直に話すことは人それぞれです。 うそをつくのが苦しいなら、正直に話してみれば良いのではないでしょうか?

回答No.4

 良かったですね。聖書で無くとも、“王様の耳はロバの耳”とか子供の物語が有りました。タバコなどは少量でも臭いますから分かると思います。体にも悪いし、悪いと知りつつ止められないより、止める方が良いに決まっています。  私は同じ後押しされるなら後者に成りたいですね。喜びを倍にして、悲しみを半減にする。良い人間関係が築ける気がします。

  • f5system
  • ベストアンサー率8% (79/896)
回答No.2

実際は本当のことが言いたいのだけれど、理解させるために方便という手段はゆるされます。罪は告白してよい場合としなくてもよい場合とがあります。なぜならば、気付かないでよい罪のことを、宿業というからです。仏法ではこのように、人間の内面まで追求するので内道といい、キリストのように1次元的見方を外道といいます。

  • kobe211
  • ベストアンサー率29% (23/79)
回答No.1

クリッシャンではありませんので一意見として。 聖書は学校がクリッシャン系な事もあって目を通した事 は何度もありますが、おそらく聖書には「罪の告白」という より、「神に許しを求めたら許される」、という様に 書いてありますから、人に話す事は神とはあんまり関係ない ような気がします。 ただ聖書には嘘はいけない、と書いてあるのでキリスト教 的教えでは、嘘を突き通す事は罪となります。

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