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転々としてきた環境に自分の価値が見出せません(相談)
現在、20代後半の男です。 今の孤独感を埋めるためのヒントをください。 幼い頃から生活環境が転々としてきました。 引っ越しで街を移動するか、移動はなくとも 学校が県外になったりと環境がよく変わる環境で 過ごしてきました。 大学時代からは約10年で4,5回転々としてきました。 今も故郷から遠いところにいます。 そこに住みたいと思い続けてはいるのですが、 今いるところは元々地元の人が多く地元にずっと 住んできた人が多いです。 地元の友人とか地元の話とかされると自分には そういうのがないなと思えて悲しくなってしまいました。 街にいて、そこから去って次に行って、、、自分は いったい何をしてきたのかと思うようになりました。 前からずっとこの感情をもっていました。 自分は転々とするのが生まれもったものみたいな 感じでいたのですが、それに矛盾を感じるようになっています。 上手く説明できてないのが歯がゆいのですが よろしくお願いします。 補足等いれますのでよろしくお願いします。
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- mirukumiya
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「私の場合」で恐縮ですが・・・。 私も転々としています。それは自分がそうしたくてしているようでもあります。 小学校は3校に通っていました(引越しのため)。 大人になっても住む場所も職場も一ヶ所に長くいることができません。 どんなに良い場所でも職場でもです。 息苦しくなってくるんです。ですから「故郷」というものが欲しいとも羨ましいともあまり想いません。 もちろん幼い頃からの親友はいますが。 転々としていても、幼少の頃からの友達とは繋がっているので、土地にはこだわらないのかもしれません。 そんな自分を前世は「遊牧民族」だったのではないかと思っています。 新しい環境に行くとリフレッシュされていい気分になります。 そして新しい素敵な運に恵まれます。ですからちっともさみしくありません。大歓迎しています。 幼少からの友人はいらっしゃいますか?その友人とは繋がっていますか? もしいなければご自身から連絡してみるのもいいのでは? その関係を温め育てる試みをするのはどうですか? 土地も大事ですが、それ以上に人との繋がりは大事です。 その繋がりさえあれば、気持ちも安定するのではないかな・・・。
こんにちは、質問者様と同年代の女性です。 子供時代に二度の環境の変化を体験しました。 質問者様のように幾度もでなくて、たったの二度ですが、 母国から言葉も人間も全く異なる外国へ、根こそぎ移された感覚は、 今となっても抜け切れていません。 質問者様が異郷で地元の人たちに感じる 「自分には彼らと共用したバックグラウンドというものがない」故に 自分はどこにも属さない、所属すべき場所がない、マイノリティの 根無し草という感覚というものすごい孤独(疎外)感に (勝手に自分と重ねて解釈しましたが、違っていたらごめんなさい) 思春期の頃はかなり悩みました。 根がないならと開き直って自分は宇宙人だとか、地球人だとか、 質問者様のように、自分はタンポポの綿毛のようにフワフワと 浮かんで流されて、転々とする人生に生まれついたんだろうと。 他人の「故郷」に対する思い入れ、懐かしさなどの回想を 耳にするたびに、自分にはそういう場所がないのだという 寂しさを感じなくなったのは、ごく最近です。 「自分は他の人と違って所詮転々とする人生で、一生そうなのだ」 という喪失感と失望を潔い覚悟という形でカモフラージュしたものを 失くして、いつしか、 誰もが「故郷」という名称の特定の場所を今までの過去に持っている べきであり、その故郷はその他大勢の人々と共有するものである という(私の場合ですが)固定観念と執着心が薄れました。 社会に出てから、故郷を離れた、捨てた、二世などの「元は異邦人」に 触れて、彼らの(場合によっては)見たこともない、一生訪れることも ないであろう「故郷」に対する様々な思い入れや感覚に接する機会が あったということが私には役立ったのかもしれません。 地元の人ばかり、という質問者様の環境では自分以外にもそのような 人は大勢いるということを認識しても、実際に自分の気持ちに 反映させるのは難しいことと思います。 この先は、下のほかの回答者の方々が書いているのと重なるのですが、 今は故郷とは時間軸に縛られない心の拠り所、と捉えるように しています。自分で築くことができるものだと。 愛読書であったり、子供の頃に町に流れていた匂い、休暇で訪れた先に 見た景色、これから見るであろう、訪れるであろう、そして一緒に 過ごすであろう人、その人と訪れる場所、過ごす時と築き上げる居場所。 理想郷にすでにいらっしゃるとのことですが、質問者様がまだまだ 発見していない魅力が、可能性が、今の場所にあるかもしれませんし、 質問者様独りでなくて、誰かと一緒に過ごすことによって発見できる ものかもしれません。 周りの大勢と特定の感覚を共有できない寂しさはついて回りますが、 それは「過去」に限ってであり、その場所が地球上から消えて しまわない限り、その場所と思い出を作っていくことができますね。 今までよりもこれから先のほうが長いのですし。 自分の意思と反するものであったとしても、色々な場所を移り変わって きた根無し草の利点は、移り変わった数だけ色々と見聞きして 体験して、比較する機会を得られたということ、今すぐに決められ なくても、いつかは自分の気に入ったところに、これから居場所を 作るのだと、少し楽しみに考えてみるのはいかがでしょうか? 長文になってしまいましたが、もしも質問者様の心境から外れていたり、 あまり役に立たないのでしたら申し訳ないです。
- yosimako
- ベストアンサー率19% (81/416)
転々としてきた中にも、今のところに住みたいと思っていらっしゃるなんて素敵ですね。過去にいた場所を懐かしがって、あそこはこうだったのに、あの時いたところはこんないいところがあったのに、・・・などと、今いる場所をこき下ろす方もいらっしゃいます。 私の住む場所も地元出身の方が大多数を占める地域ですが、遠方から来て住まいしていらっしゃる方で、地元になじもうとしておられる方は素敵に映ります。逆に、全くなじもうとしない方もいらっしゃいますが、文化・意識の違いだと解釈しています。また、そんな地域であっても、地元を離れ、遠方の都会などで長年住んでいる方は、やはり、地元の同年代の人とはだんだん意識がずれていくものですよ。ですから、幼少期の話で共通しても、成人後の話ではあまり接点がないというか、距離感を感じます。 あなたが、今、これからも住みたい、と思っていらっしゃるところが、今現在の故郷であると思われます。また、地元定住の人にとっては、外部からの見方というのは新たな刺激となって新鮮ですよ。
- st_i_nov
- ベストアンサー率29% (74/250)
ふるさとは 遠きにありて 思ふもの (室生犀星) 私は転々とはしていませんが、高校時代まで生まれ育った場所から、東京に出てきて、数年に1度しか帰りません。 いま住んでおられるところは、住みよいところでしょうか?もしそうでしたら、そこもあなたのふるさとにしてしまえばいいのではないでしょうか? たとえば、その土地の美しい風景をたくさん探して写真に撮っていくとか。地元の人より土地に詳しくなれると思います。 私の心の中には多くのふるさとがあります。仕事で行った山奥の村、ドライブした農村地帯、はるかに広がる海岸線。どこでも土地の人とのよい出会いがありました。どこももう一度訪れたい(戻ってみたい)場所です。そんな土地のことを、自慢げに人に話して悦に入っています。 wish_forUさんが住んだ町、ひとつひとつにいいところがあると思いますし、すべてがふるさとと言ってもいいと思います。たくさんのふるさとを自慢してもいいんだと思います。 うさぎ追いし彼の山 こぶな釣りし彼の川
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
20代後半ですか?。 ご結婚も未だでしょうね?。 となると、まだまだたくさんの経験をし、たくさんの出来事に出会うのでしょう。 今いる場所が、自分の今までの人生の延長だなんて思わないで。 例えばずっと生まれ故郷で暮らしてきた人が、転勤でポンと違う場所に住むことになったとしても同じように思うでしょう。 朝起きたなら「昨日と違うこと」何が出来るかを思ってみましょう。 「昨日と同じ今日だ」とおもえば、そのとおりになるでしょう。 だから「昨日とは違う今日」なんだ、と思えばものの見方も変わってくると思います。 なによりも「生きる元気」が違ってきますよ。 「理想郷」は、誰でも一生に一度は必ず出会うものだと思います。 ただし、それは土地だけではなく出来事だったり、人だったりします。 出会う「瞬間」に向かって、誰でもが歩いているのです。 あなたも同じです。 俺は俺だ、と胸を張って毎日を生きましょう。
お礼
ありがとうございます。 今まで自分はマイノリティとしての存在であり続けました。 多くの人が持っていない経験を持つことは同時に孤独との 戦いでした。逆境に負けずにやってきたときも孤独で つぶされたときも相応にありました。 今はまさにその後者の状態ですがマイノリティであることに 疲れたのかもしれません。 理想郷にきたことで生きる希望は無くしてしまい どうしていいのかわからなかったりします。
お礼
ありがとうございます。 今までいたところはこき下ろすわけじゃなく嫌な苦い思い出 がたくさんあります。辛く悲しいものも多くだからこそ、 転々としてきた部分もあります。 学生になるまで育ったところもそういう苦い部分を持つ 土地ですが、好きなところでした。 もう、あの好きな感情を抱くことができないのが悲しいの ですが。 今の私はすでに地元の感覚とは違うものだと思います。 気候、文化的に。 もちろん地元にはなじもうとしていますよ。