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我が子を手放した後

この質問をさせて頂くのは迷いもありました、お腹を痛めた我が子を手放すには事情と哀しみがあると思えたからです。 もし、何かお話を聞かせて頂けたらと思い書かせて頂きました。 産後すぐに里子にだされ、一人の方に育てて頂きました。私には母ですね。現在はその母は他界し、中学になる子供との母子家庭です。 実の母は六歳の時に学校帰りに私に近付いて来た人が母だったと思います。「今は、預かってもらってる、言う事聞いて良い子にしてるのよ」と言うと連れの男性に呼び戻されるかのように去って行きました。 もう少しで抱きしめて貰えそうだったのに。 憎みそうになったり愛おしくなったり今も変わらず思います。子供をもってみて、子供をすてなければならない事情なんて考えられなくもなりました。実母を理解できないと言う気持ちです。理解したくとも出来るすべもないとも言えます。 いったい高齢になった母は、私を忘れられているのか・・辛いものをかかえているのか。今更ですが気掛かりで仕方ないのです。様々かとは思いますが、お話ししても良いと言う方がいらっしゃいましたら何でも結構ですm(__)m

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  • forever116
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回答No.6

30代♂です。 今まで、本当によく頑張ってきましたね。 お子さんをちゃんと愛して育ててみえるようで嬉しいです。 私は、事情があって両親と暮らせない子供達が生活する 児童養護施設へボランティアに行くようになって、10年 が経ちますが、 あなたのように、辛く苦しくても、育ててくれるお母さんを 見ると、とても嬉しくなるのです。 あなたが子供を手放す親の気持ちを理解できない気持ちは 当然だと思いますし、そんなお母さんの気持ちを理解 しようとは思わなくていいと思います。 ただ、あなたをこの世界に誕生させてくれた事にだけは、 どうか感謝して欲しいです。 今、あなたの実母がどのような思いで生きておられるのか は分かりませんが、少なくともあなたへの罪悪感の中で 生きておられるのだと思います。 その思いは決して逃れるものではないと思います。 あなたは、あなたの人生を楽しみ生きていけばいいのです。 お子さんにありあまる愛情を注ぎながら、 二人で仲良く生きていけばいいのです。女手一つで子供さん をここまで育て上げるということは、並大抵の苦労では なかっただろうと思います。 でも、あなたにも幸せになる必要があります。 お子さんもそう願っているはずです。 あなたの実母は、決してあなたを忘れてはいません。 親子の縁は、そんな安っぽいものではないはずです。きっと どこかで、あなたの幸せを願っているはずです。 いつの日か、本当のお母さんの事を「許す」ことが出来たなら、 いいですね。その時本当の意味であなたは、 母親として、また子供として、心が解放されるのでしょうね(^.^) どうかこれからも、お子さんと力を合わせて幸せになって 欲しいです。応援しています(^.^)

mykun
質問者

お礼

読んで頂いて有難うございます。 様々な事情から親と一緒に居られない子供達の傍に居て下さり本当に有難うございます。とても嬉しく感謝致します。 私には、傍に居て育てくれた養母がいます、幸せでした。一人で子供を育てている苦労もありますが、子供が私を救ってくれます、知的障害を抱えた子なのですが言葉が上手くしゃべれない分、毎晩メールで優しい言葉を言ってくれます。天使のような子です。子供と一緒に居られるのも、実母が私を産んでくれたから・・私を大きくしてくれた母がいたからと言う思いでいっぱいです。 今は、私自身ゆとりをもてずに居ますが、児童養護施設の子供達と時を過ごす事ができたらと以前から思っていました。 現実問題、私などが甘いかも知れませんが、親以外の人々から教えて頂いた人のぬくもりを分けてあげられたら・・そんな思いからです。 あたたかいお言葉を本当に有難うございました。 大切にします。 今後ともお体に気をつけられ、子供達の力になってあげて下さい。 宜しくお願い致します。

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noname#87166
noname#87166
回答No.8

はじめまして。 人生にはいろんなことが付いて回るものですが・・・。 辛いことを乗り越え、ご自身が子供さんをお産みになられたあなた様の人生にほっこりして文章を読ませていただきました。 私にはある事情があり産めなかった子供がいるので、あなたのお母さまが、何もかも過去を忘れただ、人生を歩まれているようには思えません。どこでどんな生活を送っていても、心のどこかに貴方様のことが常に気がかりな存在としてあったと思います。 私と貴方様のお母様が同じ考え方をする保障はありませんが。 私の場合、産むことを許してくれなかった彼に対し、憎さと愛おしさがありました。私は身ごもった時が、人生で一番嬉しく涙した瞬間でしたので、悲しい別れでしたが、大切な子供に引き合わせてくれた彼に感謝することにしました。自分自身や彼を責めた時もありましたが、彼を恨みきれなかったので、そういう気持ちをもってして整理をつけました。 今でも辛くなると、お参りにいきます。そうすると、心がすっとするのです。 お母様も私と同じような気持ちを持たれた事、一人で涙に暮れたこと、弱い方なら男性やお酒に依存したり、そういう人生であったかもしれません。でも貴方が幸せでいてくれることを願い、それだけを支えに生きて来られたように思います。 私は未熟者ですので、貴方様にアドバイスなど申し上げられることはありませんが、質問を見て、お母様の辛さが手に取るように伝わり、一言回答させていただきました。 いつかお二人が出会える日がくると良いですね。 人を許すこと、ってとても素晴らしいことだと思います。

mykun
質問者

お礼

お話を聞かせて頂きまして有難うございます。 回答者様は愛情の深い方だと感じました。どんな事があったにせよ、私は実母を愛おしく日々生きています、ただ、眼を閉じないと母の顔が浮かばないのです。でも、間違いなく親子として繋がっていると思えるようになった今、自分もやっと大人になれたのかなと感じます。 回答者様とお子様も繋がっていますね、母親が自分の事を思っていてくれてる・と解るだけで優しい気持ちになれます。 お辛かったこと話して下さって有難うございました。

  • k0758
  • ベストアンサー率16% (8/49)
回答No.7

父子家庭です。 感じ方は人それぞれじゃないですか。 子どもを手放してでも得たいものがある。 そんな思いの人間もいます。 私の場合、離婚要求され、裁判となり 原告の「考え方に偏りがある」という理由で、 親権を獲得しました。(面接交渉権は与えていません) 数人の専門家の方に相談しましたが、 皆さん、こうしたことは、これから3代続くから、 大切に育てなさいと忠告を受けました。 あなたの場合、どんな理由でそんなことになったのか分かり ませんが、他の者には理解できないような、その人固有の理由、 考えがあるのではないかと思います。 私自身、妻の考えを10年以上経った今でも、なにひとつ 理解もできません。

mykun
質問者

お礼

お礼が遅くなりすみません。 お話下さって有難うございます。 得たいもの・・があって、失ってしまうものもあるのですね・・ 理解しずらいままなのは、辛い気がしますが(私の場合ですが) なかなか難しいです。 私は父も母も知らないものですから、父の背中も見て触れて学んでみたかった思いもあります。 どうぞ、お体に気をつけられて、頑張って下さい。 お子様と回答者様がずっとお幸せですように。

  • ksqsn37
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.5

私は今40代後半なんですが、10歳位の時、母が家業の従業員と駆け落ちしてそのまま父と離婚しました。 それから成人して独立するまで、本当にありとあらゆる苦労をしてきました。 継母の虐待、家業の倒産など・・・ 結婚して子供が3人生まれた頃、あなたのような思いが湧き出してきて 少し不安定になって毎晩泣いていました。 どうしてこんな可愛く、自分より大切と思える存在の子供を捨てることができるんだろう?と 半年ほど悩んで、このままでは自分の中で消化できないと思い 遠い記憶を元に母親の実家を探し当て、その日に対面することが出来ました そして、いろんな事情やその時の状況を聞くにつれ 自分でやっと納得することが出来ました それから一人で泣く事もなくなり、自分でも本当に強くなったなぁと感じます それから10数年経ちますが、母とは細々と交流を続けています。 実際にお会いになってどのような答えが出ようとも 鬱々とした気分をひきずるのはよくないですよ ご自分の中で決着をつけられる事が先に進める第一歩だと思います

mykun
質問者

お礼

読んで下さり有難うございます。 ご苦労され辛かった分、お母様とお会いしお話を聞けて良かったですね。子供の姿や寝顔を見ていて、忘れようと決めた母を思い出し泣き明かし混乱しました。私の場合、残念な事に母を見つける手掛かりは一切ありません・・なので尚更、自分自身こころの整理もつかず、考え放題・泣き放題・未熟なのだと思います。お話聞かせて頂いて本当に有難うございました。

noname#76642
noname#76642
回答No.4

すみません、子供のことは分かりませんが 大切な人を手放そうと思ったことはあります。 苦渋の選択をしたつもりでしたが今でも迷惑かけてます。 自分の不甲斐なさ、無力感には打ちひしがれます。 今日、会ったばかりなんですが 「どうしているかな」って気がかりです。 実母様も同じではないでしょうか? 大切な人を守れない弱い人間もいます。 でも「どうでもいい」とは思っていません。 男性に気遣いながらも 会いに来たんですよね。 貴女は幸せ者だと感じました。 お子さんを大切に、 貴女でしたら大丈夫でしょうけれど・・・

mykun
質問者

お礼

ありがとうございます。 守りたくても守れない・・私自身こそ何時も不甲斐なさでいっぱいなんです。誰でもそう感じる事ある気がしてます。 母が男性に自分の子供である事、顔だけでも見たいと正直に言ってくれたのだと思うと、嬉しいです。 ご回答して下さりありがとうございました。

回答No.3

365日、朝も昼も夜も、あなたのことを思い続けています。 きっと・・・

mykun
質問者

お礼

ありがとうございます。 私にとって・・ そう信じたい。 それが素直な気持ちです。 そう違いない・・と思うようにして良いですよね。 ご回答ありがとうございました。

  • WAR
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回答No.2

30代サラリーマン♂です。 >子供をすてなければならない事情なんて考えられなくもなりました。 >実母を理解できないと言う気持ちです。 >連れの男性に呼び戻されるかのように去って行きました。 何か特殊な事情があったのでしょう。 その事情が何かは当然わかりませんが"連れの男性"との 関係でご質問者様のお母上はどうしてもそうしなければ ならなかったのではないでしょうか。 >高齢になった母は、私を忘れられているのか・・ >辛いものをかかえているのか。 辛いに決まっているのではないでしょうか。 中途半端に会いに来ないところにそれ相応の 事情を勝手ながら感じますね。 大変失礼な意見かもしれませんがお母上様が身勝手な人 だったらご質問者様がそれなりの年齢に達したら 「会いたい」と言ってきたと思います。 そして手放さなければならなかった理由を 色々と述べるのではないでしょうか。そしてそれは 最終的にはご質問者にとって辛いことになったのでは ないでしょうか。 それなりの事情があり、そのことに責任を感じたからこそ 全くコンタクトを取ろうとしない。 ご質問者様の人生の基礎を母親として作ってあげるという 当然のことが出来なかったからその後は決して 関ってはいけない。。 そんなところではないでしょうか。 人が会おうとするのは多くの場合は"自分の為"です。 会おうとしないのはそれなりに相手のことを気遣って いる場合も時にはあるかと思います。 勝手な意見を述べてみました。

mykun
質問者

お礼

有難うございます。自分では全く想像も出来なかったご意見を伺えて感謝しています。 子供ながらに、母は私よりあの男の人が大切なのだ・と思った記憶があります。 でも、母は自分の子供だと、そして顔だけでも見たいと男性に言ってくれたのかと思うと・・母の思いが少しだけあたたかく感じます。 母親としての自分を責めていたかも知れませんね・・中途半端にコンタクトをとる事を抑える意味を考える事が出来ました。それは、母も辛かったのですね。 頑なな考え方しか出来ずにいましたので本当に有難うございました。

noname#84191
noname#84191
回答No.1

私は母を知りません・・ と言いますか、私が1歳の時に啼くなりましたので、思い出がないということなのですが・・・ その最後の日の事を兄から何度か聞きました。 (兄とは15歳違いなので、その時は16歳) 母は亡くなる時に、周りから○○に乳を・・と言われたそうです。 が、母はもう疲れきっていたのでしょう・・ (戦後間もない頃・農家でしたが食料事情も悪く、私が生まれて直ぐに田圃仕事をしたのが祟ったとも聞いています) 周りからの声掛けに対して、○○(私)も可愛いが自分も可愛いと言いながら息を引き取ったと、後々聞きました。 これを聞いて、私はまだ10数歳でしたが、とても複雑な気持ちが湧き上がりました。 もちろん、母に見捨てられた思いもあります。 と同時に(大人になってから再度兄から同じ場面の話を聞いて)母の気持ちも少し分かる気もしました。 食べる物・・米はあるのですが、当時はまだまだ蛋白質など殆ど手に入らないのでした・・それ位田舎と言う事もありますね。 同じ頃(いわゆるベビー・ブーム)子を産んだ人が、鰹節をお祝いに戴いたのだそうです・・ それを母が羨んだのだとか・・・今なら鰹節位何時でも何処でも、そして安価にですが、当時は日本全体が貧しかったので、鰹節程度が貧富の差の象徴でもあったのでしょう。 その様な時代背景が分ってくると、母がいとおしくもなります。 私はもう直ぐ62歳になります・・母が亡くなって61年と言う事になります。 実は母を理解しようと思えるようになったのは、ここ5~6年位のことなのです。 やはり、○○も可愛いが・・自分もに拘ってきたのです。 しかし、時遅し・・ですね、母のことを話してくれた兄ももういません。 親戚でも母のことを知っている人はもう数人となりました。 母の弟がいますが、細かい事はもう記憶の外なのです・・ 60年と言う時間は全ての物を記憶の彼方へと追いやるようですね。 母の写真もありません、仏壇に1枚だけあったのですが、それも火事になって無くなってしまいました。 その写真を見てから50年ほど経ちますので・・写真があったと言う記憶だけで・・何も覚えていないのです。 見ず知らずの質問者さんに、今の心境の様な事を書き並べましたが、お母さんの事が気になるなら、会うかどうかは別としても、出来る範囲で調べられると言う選択肢もありそうですね。 時間と言うものは恐ろしいものです・・ 何もかも忘れさせてくれます・・・だから苦しい事、辛い事があっても生きていられるのかも知れません。 が、ある日、過去の事をと思うことがあっても、手がかりさえも無くなっている事が多いのです。 独り言・・です。 私は、15年程前から、自分を学んでいます。 そして感じた事は・・親子とか夫婦と言えども、自分以外の人の事は良く分らない・・です。 では、自分の事は分かるのか・・と問われると、未だに良く自分の事も分かりません。 唯、少しだけでも自分の事が分ると、その分だけ他人の事が分るのではなく、思いやることが出来そう・・な気はします。 また、自分の事を感じられる様になると、自分が如何に素直ではなかったかも感じます。 母が恋しいなら・・恋しいと言えば良いのです。 それが他人に対してではなく、自分に言えないのです。 やっと言えそうになって、母の事を・・と思うとき、既に時の彼方へです・・・ 質問者さんに、どの様にした方が良いとかは言えません。 それぞれ事情や心情と言うものは同じではありませんから・・ しかし、一つだけ言えること・・気にかかっている時に行動した方が後々後悔はしないかも・・です。 まとまりの無い事を並べてしましました。 また自分の事ばかり書いてしましました、申し訳ありませんでした。

mykun
質問者

お礼

お話を聞かせて頂きまして有難うございます。全ての言葉が心に優しく入りました。 戦後間もない時代の話しを養母からよく聞いた記憶があります。お母様がお乳を・・と言われたお気持ちに涙があふれました。私の養母は息をひきとる時に「誰のことも恨んだりしちゃいけないよ」と言いました。実母のことは周りの誰も詳しい事は知らないようでした。実母のことを口にするのは養母に悪い・などと勝手に考えていました。実母を捜す手掛かりは途絶えています。 私も自分自身について多くの事を考え学ばせてもらっているのだと思います、そして、独りで生きている訳でない事も人を思いやれる人間でありたい気持ちが膨らんできています。足りなかったとすれば、おっしゃって下さったように、自分の気持ちに素直にならずにいた事だと気づきました。恋しかったんですずっと・・もう実母と会える事は、ないと思いますが、お話を伺えて心が落ち着きました。時間の経過が実母にとって苦でない事を祈り私も子供と頑張って行きたいと思います。聞かせて頂いたお言葉、大切なに致します。本当に有難うございました。