- 締切済み
なんみょうかなんまんかアッラーか??
最初はごく当然なふわっとした疑問でした。 他家での焼香などの際にその家の宗旨と自分の宗旨が異なる場合、「念仏」「題目」などにつきどちらで発声すべきなのだろう?という疑問でした。 これにつきある所で聞いたところ 「それは、個人の信仰と、自分とは異なる異文化に対する礼儀との間で、どうふるまうかの問題」 との答えがありました。 ありゃっ・・・、あらら・・・いつのまにか、自分に似合わぬ壮大なるスケールの話となっちまったわけです。 考えてみればたしかにそうで、仏教間各宗派のみでなくキリスト教イスラム教などの礼拝に立ち入らざるえない局面などでも同じ事はいえますよね。 まあ、仏教内異宗派であれば、イージーに考えれば 「声には出さず心の中で自分の宗旨で唱え事をしておく」 くらいが無難だろう、とは思いますが、いろいろな局面というのが有りいつもそうして済ませるとも限らないだろうし、この手の事をもう少し深刻に考えた時にはどうなるものでしょうか? あっ、ちなみに当方はけして「何かの宗教の真面目な信徒」などでは実はありません。 こんな事で悩んでもいません。 不謹慎な奴と言われそうですが「面白い」と興味をもったにすぎません。 皆様ならどうするでしょうか?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- henmiguei
- ベストアンサー率45% (1764/3878)
回答No.3
- henmiguei
- ベストアンサー率45% (1764/3878)
回答No.2
- comon-suki
- ベストアンサー率35% (594/1687)
回答No.1
お礼
理解願えて有難いです。 情景がはっきり目に浮かぶ様な具体例、有難うございます。 たしかにそのお坊さんの振る舞いは私個人は立派に思うし多くの参列者もそう思ったみたいですね。 でも「自己の宗教を押し通した」でもないのじゃないでしょうか? 僧衣や数珠はそのとおりですが、礼ですましお経の片鱗らしきものはあえて唱えなかったわけで、そこにやはり「他宗教への礼儀」なるものが充分配慮されてるじゃないですか? これは僧侶という「専門家」の場合の一例として参考になりました。 再々どうもかたじけないです。有難うございました。