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パート・アルバイトという職業について
被扶養者であること、それは社会保険加入について、高齢者の場合が年収180万円未満とされてきましたので、パート・アルバイトなどで働く、親と同居する独身者なども、年収180万円程度ならば、2~3年は許容されていました。学生でもなく主婦でもなく、会社で社会保険に一切加入しない、日雇い労働者にも満たない業務請負い業者扱いのパート・アルバイトは、20年ぐらい前までは「家事手伝い」と職業欄に記入してきました。所得税が各種控除前の10%で徴収されていましたので、個人として特に申告しなければ、どこからも何もいってきませんでした。派遣会社の覇権で、現在は年収130万円未満の仕事にありつくことさえ難しいのですが、それは、社会保険料も住宅費も一切いらない主婦が、専業主婦として被扶養者になれる所得、親が年金暮らしの高齢者になっても、被扶養者になれる所得です。そして、国民健康保険料は世帯の人数割り・所得割り、国民年金保険料と介護保険料で若年者よりも社会保険料は月額2万円も多いですが、中高年の女性は、フルタイムの求人への応募を希望するだけで、ハローワークからは迷惑がられ、派遣会社への登録さえも難しいのです。 金融危機からの世界的不況で、「新しく失業した人だけは救済する」という対策がとられていますが、好景気のときにさえ満足な仕事にありつけなかった人間はどうなるのでしょうか。現在のパート・アルバイトの所得では、生計を立てることはできません。パート・アルバイトで働き始めた人間は、生涯パート・アルバイトなのでしょうか。繁忙期だけの期間従業員として、日当の保証さえない日雇いのパートとして、転々と働き続けてきた人間は、「働いてもらっている」が「働かせてやっている」と、企業(正社員)の態度が変化しても、仕事がなくなれば困るので、忍耐でこびへつらって、過酷な労働に従事してきています。そして、パラサイトシングルであれば、所得が長期にわたって途絶える事態になっても、生活保護給付を享受した経験はございません。 中高年になって、低賃金の3K労働(短時間就労)の他に仕事がなくなれば、、現在のエタ・非人扱いの卑しい労働者として、親が残した、あるいは結婚もできずに働くだけの人生で残った、僅かな貯金を取り崩しながら、死ぬまで働くしかないのでしょうか。国民年金保険料を生活を切り詰めて納付していますが、高齢者としての老後が存在するとは思えません。
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小難しいことを色々と言っているようですが・・・ 世の中がどうのこうのという前に、 今、あなたが出来ること、出来ないことを分けておいた方が良いですよね。 >派遣会社の覇権で、現在は年収130万円未満の仕事にありつくことさえ難~ハローワークからは迷惑がられ、派遣会社への登録さえも難しいのです。 この記述は、あなたが経験してきた現実なんでしょう。 現在の日本の経済状況からいって、弱者に対して手を施せる余裕は国にはないでしょうから、ここを変えるのは難しいですね。 >現在のパート・アルバイトの所得では、生計を立てることはできません。パート・アルバイトで働き始めた人間は、生涯パート・アルバイトなのでしょうか さて、ここはどうでしょう? ここは、あなたの行動次第では変えることが出来るのでは? まず、あなたの現状を確認する必要がありますね。 パート・アルバイトでは生計が立てられないとすれば、 違う形態で働かなければなりません。 あなたは、正社員・契約社員・自営業・農業・林業・ectで働くとして、どんな仕事が出来るのでしょうか? その仕事を出来る能力があるのなら、それを証明する資格や経歴はありますか? 能力や資格があるのであれば、求人活動を開始すればいいですね。 そういった能力、資格が何もないのであれば、 今から勉強して能力を付ける、資格をとるしかないですよね。 幸い、日本にはほぼ全ての自治体に図書館もありますし、ネットで情報も収集できます。 今の状況を変えることが出来る資格や職業も探せますよね。 年齢が40台半ばということなので、道は厳しいでしょう。 でも、今のように絶望的な未来に向かってただ流されるよりは遥かに有意義な行動ではないですか。 その気力も起きない・・・ そんな時は、近所、またはネット上で同じような境遇の方と 一緒に頑張ってみてはどうですか? あなたの書き込みからは孤独な日常が垣間見えます。 せっかくネットに書き込める環境にいるのですから、 そういった人との繋がりを探してみては如何ですか?
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- 11501150
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>私が世の中について語るのは、世の中が変化しないと私は変化できないからです。個人の意志や努力だけではどうにもならないことが現実として存在しているからです。 世の中が変化しないと貴方が変化できない、と言うのはいささか言い過ぎです。 貴方は、自分で自分を枠に当て嵌め過ぎです。 >個人の意志や努力だけではどうにもならない と仰られていますが、貴方の視野は非常に狭い様に思えます。 職探し一つとっても >実務経験がございませんので、採用にいたることはございません。私としては、実務経験を得るためには自分で起業するしかないと考えることはできますが、やりたい仕事がないのです。だから、既存の企業で、一般事務の職種で働きたい、という希望を維持しています。 今までやってみて駄目なことを何十年も繰り返しているのではないですか? 一般事務でとって貰えないのなら、介護の仕事を探すとか他に色々仕事はあります。 やりたい仕事が無いといっていますが、仕事なんてある程度続けなければ面白みなんてわかりません。 始めから、やりたい仕事をしている人間なんて極少数です。 まず、パートやアルバイトから抜け出せる可能性のある仕事を探してみてください。 幸い実家暮らしで生活は出来ているようですし、希望はあります。 貴方の書き込みは、過去にばかり眼が行っています。 しかも、絶望と社会に対する恨みに満ちています。 もっと、今から先を見ましょう。 今の貴方の状況はそんなに悪くありません。 もっと視野を広げて、ボランティアや地域活動に参加して 人と交流してください。 鬱々として、こんなところに書き込んでも社会は何もしてくれないし、世の中が変わることもありません。 努力できる人なんですから、もっといろんなやり方を試して、 新しい世界に挑戦してください。
お礼
ご回答ありがとうございました。また、回答への補足が長くなりましたが、気が向けば、読んでやってください。
補足
一般事務の正社員で求人への応募を始めたのは、行政が就職支援を委託している人材派遣会社のカウンセリングにおいて、そのようにアドバイスを受けた3年前からです。 私の若い頃の仕事は、たいていが飲食店の店員です。15歳の人間を雇ってくれるところは、近所の喫茶店ぐらいでした。年をとって、居酒屋などでも、フルタイムで雇ってもらえなくなってから、独身でホールに立っているのも無様ですので、工場での製造の仕事を探しましたが、倉庫での物流の仕事ぐらいしか採用にはなりませんでした。 無資格で経験できる仕事は、たいてい体験しています。非正規雇用で30年ですから。若い頃には、コンビニのレジ打ちは給料が合いませんでしたが、パチンコ屋のカウンター係などはやっています。なぜ長続きしなかったか、と問われることでしょうが、学生のアルバイトと同じ仕事、同じ待遇です。履歴書にも書くべきではない就業ばかりである、ということです。正社員への道などは、中途では、短大卒以上でなければ約束されることはございませんでした。今よりも、新卒が原則だったのです。 私が経営者ならば、今の時期、「アルバイト募集」のかわりに「ボランティア募集」のポスターを貼るかも知れません。雇用保険受給中の人がたくさんいそうですし、経営が苦しいことを恥じることもないからです。ワークシェアリングでより多くの人間を雇おうとしている企業や行政には感心しています。人の考え方などというものはその程度です。 しかし、他人、特に、直接に利害関係がない人の考え方を知ることは貴重です。このような場所では、何を語っても自分の懐が痛むことはないのですから、真実が語られることありえる、ということです。 私は未来を見据えて過去を反省しているのです。 今までやってみて、失敗している、実りを得られていない職種を、削除法で消去していくと、一般事務しか残らないのです。 食料品の売り子、ジーンズショップのスタッフ、テレホンアポインター、化粧品の訪問販売、生命保険募集人、これらの仕事は成果次第で継続可能でしたが、残念ながら、適性や才覚はございませんでした。 介護の経験は資格がないとできませんからございませんが、未成年者の時期に美容院で見習い程度ならば経験しました。40歳を過ぎてから、清掃作業の範疇の仕事も経験しています。もっとも、この仕事の体験は繰り返していませんから、業務に含まれていなかった一般の清掃作業は指導されていません。巡回と緊急処置、それが未経験者の担当でした。週130時間の短時間集就労で、8箇月で足の筋肉が切れました。働けなくなったので、退職はスムーズでした。雇用保険は掛け捨てになりましたが、退職理由が同じであれば、たとえ20年勤めても支給の対象にはなりません。それが、「半年たてばもらえる」と説明した管理者の言い分でした。短時間区分による加入であることを退職後まで知らなかった。それは、健康保険に加入させていないのだから、だまされた私の無知が悪い、ということでした。 誤解を招く記述になりましたが、現在、この3年間は、たまに採用になることがある単発の仕事しかしていません。一般事務の範疇の仕事です。 私の就業の目的は老後の自立です。現在は年金暮らしの親の存在によって何とか生活できています。 例えば、今回の不況で増加している失業者のために用意されている仕事を、なりふりかまわずあせりたおしてできそうな仕事を見つけ出す、などというような行為が、私の場合、社会的に正当化できるかどうかは微妙です。 勿論、それで何か言われてめげてしまう神経ではございませんが。
- jpstyle
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経済は需要と供給です。 一時的労働者が必要な「需要」があり、その供給としての労働形態がパートです。 本来、すべての人は相手の需要に対して、そして社会の「需要」に対して敏感に行動しなくてはなりません。 それを毎日意識していることが、経済活動上の義務なのです。 やとう、雇われるで判断するのは間違いです。すべての人は商売をしています。労働需要の供給者として、就業があることを忘れてはなりません。こんな不況時になってから気づくと遅いので、不況でない時になるべく気がつかなければなりません。 また、今の時代はエタひにん扱いなのは労働者じゃなく経営者です。保険も聞きません。お金も借りれません。労働者がいると、事業をやめることもできません。サラ金は「労働者」だから定期収入を見越してお金を貸しますが、経営者だったら保証もないので、担保なしには絶対に貸しません。
お礼
ご回答ありがとうございました。どの分野の専門家の方か存じませんが、「自信あり」の回答に対して失礼をお許しください。 当たり前のことですが、自分に利益のない理論を納得することは難しすぎます。しかし、決して間違いを認められないのは、私の場合、机上の論理にはない実体験の感情が存在するからです。 パート労働者の経済活動上の義務と責任は「その賃金では見合わない」と思います。それは、私のライフスタイルがパート労働者としての規格に合わないからでしょう。だから、不良品として排除されることになります。しかし、それでも私は生きていかねばならないのです。 それは、信念、信仰、それとも、ただそのようにプログラムされているからでしょうか。 神は多数決は採用しません。そして、神の思考は、もしかすると私に似ているかもしれません。それが私の最後の希望です。
補足
需要と供給、つまり、一時的労働者の生活に対する責任などは企業には存在しない、ということですか。 不況時のことも考えて、好況時に労働力を安売りしてはならない、ということですね。 人間の労働力の原価は、一般の商品とは異なり、需要がなくなったからといって、生産を中止してゼロにすることはできません。 そして、私は他者の生命よりも自分の生命を尊重します。 それは、私は、生命体として、自分の身体に対する責任を負っているからです。 私がパート労働者として働いてきた理由は、正社員としての仕事にありつくことができなかった、ということの他には存在しません。 こんな不況時ではなくても、誰も考えてはくれませんでした。 当たり前のことだと思います。 ですから、私が自己犠牲の社会性を持ち合わせていないことも、また、当然のことなのです。 それでも、就職への意志は、30年を経た現在でも、失ってはいません。 私は現在45歳です。 年収180万円のパートタイマーは年収900万円の自営業者と同じ国民健康保険・国民年金保険に加入することになるでしょう。掛け捨ての健康保険はなかなか免除にはなりません。年金保険料は、免除を申請するとそれだけ受給額が減額されますから、税金との相殺を考えて、納付は継続されるでしょう。クレジットカードも住宅ローンもこの所得だけでは不可能です。また、サラ金で数万円借りたら、利息だけを払い続けているあいだに人生が終わってしまいそうです。 さて、経営者とは、親の仕事を引き継いだ人を除いて、自分のやりたい仕事をするために起業した人、ということでしょうか。まさか大企業の経営職に上りつめた人のことを語っているのではないでしょう。アメリカの金融機関の経営者の報酬が非難を浴びていることはご存知ですか。 パートの仕事というのは、ほとんどの場合が、時間給稼ぎでやっているだけの仕事です。人間関係は、利害関係ですから、たくさん給料を貰っていれば、楽しく感じることもできるのでしょうね。そして、どのくらいをたくさんと感じるか、サラリーマンの妻であれば、年収100万円だけの報酬で十分に満足することができるのです。私のような人間には、競争相手として、困難を招く存在であることが理解できますか。 もっとも、私が有能ではないことが、そもそもの原因なのでしょうから、そのような人間は、経済活動の邪魔はしませんから、だまっていても養ってもらえるような、ユートピア的な社会が実現することが第一希望でした。経済大国日本の技術力は私の期待に答えられるものではなかったようです。来世は資源大国のサウジアラビアを希望します。
- tako2tana
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本当に質問者さまの疑問は当然です。 年収120万円以下ではまともな生活は出来ません。 例えば、親の残してくれた家があったとしても、その家の修理までお金が回らないでしょう。最後にはその家を出て、家を売るしかなくなるでしょう。 本当にいるしんどい人々の暮らしがなんとかならないのか? 政治にはもっと方法を打ち出して欲しいと思います。 しんどい人へ優先的に公営の住宅のあっせんをして欲しいと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。参照していただいて光栄です。 頑張ってください。
お礼
小難しい内容をお読みいただいてありがとうございます。 図書館通いは卒業しました。パソコンを購入してインターネット環境を得たからです。全額自費で独学です。 私は高校を半年で中退しましたので、大学入学資格検定試験を受験しました。私にできたことは、その資格を取得することだけで、できなかったことは、社会人として大学入学から卒業までにかかる資金を貯金することでした。 3年以上前になりますが、ハローワークの一般事務の正社員に応募する助言だけは、行政から就職支援事業を委託されていた人材派遣会社の担当者から受けています。ハローワークの求人に応募するだけですから、サポートは受けていません。それから、盆・正月を除いて週1件の目安で実践しています。 実務経験がございませんので、採用にいたることはございません。私としては、実務経験を得るためには自分で起業するしかないと考えることはできますが、やりたい仕事がないのです。だから、既存の企業で、一般事務の職種で働きたい、という希望を維持しています。 私は確かに孤独です。 それは就業していないからです。そして、子供がいないからです。 しかし、私の中に絶望はありません。 仕事も配偶者も所有していないということは幸せなことかもしれません。 社会の中に存在している絶望はわたしのものではないのです。 貴重なお時間をさいて、ご回答の書き込みをいただきました。 誠にありがとうございました。
補足
私が世の中について語るのは、世の中が変化しないと私は変化できないからです。個人の意志や努力だけではどうにもならないことが現実として存在しているからです。ですから、このような書き込みこそが私にできる行動のひとつといえるでしょう。 他に私ができることといえば、分相応に消費を抑えることだけです。それは、企業が私の能力を評価するのと同じくらい厳しい目で商品やサービスを吟味することです。 求人への応募を一般事務の範疇の職種に限定してから3年以上が経過しました。私にできないことは、それまでの30年の実体験を繰り返すことです。働いていたことが評価される厚生年金加入月数は生命保険会社に在職中の6箇月だけです。そして、これまでの3万時間以上の労働への従事は、その場限りの時間給以外にただひとつ、今のこの時間を残してくれました。私にとって、働いて残すことができるかもしれない僅かな貯金よりも、必ず損なう健康のほうが大きい、どちらのほうがより長く生き延びることができるか、とりあえず、今のところ、自分で判断することができている、ということです。 私は20年前に実家に戻ることに決めました。失業してもホームレスになる勇気などなかったからです。親が死んだらどうするか、それはそのときに考えるしかございませんが、ホームレスとして生きていく気力などは、私には始めから存在していません。