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なぜアジアは成長し、アフリカはしないのでしょうか?
漠然とした疑問です。 1980年代に東アジアは大きく成長していますが、その反面サブサハラアフリカは低迷しています。これはなぜなんでしょうか。 様々な原因が複雑に絡み合い、このような状況になっているんだとは思いますが。 アジアに関しては工業の発達、外国からの投資とか。 アフリカに関しては、国家負債、政府の腐敗、欧州からの搾取とか。 それじゃ、なぜアフリカでは工業が発達しなく、アジアでは政府が腐敗してないのかっと、なぜ一方ではもう一方の問題が発生しなかったのかっと疑問に思います。 アジアとアフリカでは根本的になにが違い、このような成長に違いが表れたのでしょうか。やはり、奴隷の歴史でしょうか? 漠然とした疑問なので、ざっくりとご意見をもらえたらうれしいです。 (この疑問はHuman Development Report 1996のグラフ1.3を見たときに生まれました。→ http://hdr.undp.org/en/media/hdr_1996_en_chap1.pdf)
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原因は紛争や戦争です。 18世紀後半からアフリカは西洋諸国の植民地になって行きました。西洋の工業化された圧倒的な軍事力の前にアフリカは敗退し支配下に落ちて行く事になりました。 その植民地下では宗教の正義の下に人種差別が正当化され、その地域の伝統文化は破壊され一部は奴隷として扱われ売買されもしました。 伝統文化の存在を普段意識する事はないですが、人は文化の継承なくして何を食べていいのかさえ理解ができませんし、子育て教育も粗末な事にしかなりません。欧米列強の植民地化が進む中でアフリカの文化伝統の破壊が進みました。肌が黒いという事で売買の対象になり、時に親が友人が売買の対象にされ売られていく、あるいは子供が売られていくような常識下で、黒人の間でどのような意識が育ったのかと考えるととんでもない悲劇です。 その後、植民地化の衰退化が起こり、西洋列強の撤退が始まると今度はアフリカは文化伝統が腐敗した状態から無政府状態の無秩序に近いような状況になり貧困や難民を数多く作り出す事態になります。そこに台頭したのが民族という名の団結であり、アフリカの多くの政治家がこれを利用しようと民族意識を煽りました。その結果、部族間民族間の戦争紛争が絶え間なく起こるようになり、悲惨の極みに陥るという事態をまねきました。1980年代、アフリカの戦乱は続いており、地域が安定していないため工業化の発達も見込めなければ、国外からの投資を呼び込むような状況にもほど遠いような状況でした。 対して東アジアは、良い悪いはさておき、その地域地域に必ず統治と民衆の同意が一定の水準の下に成立しており、文化や伝統、秩序は維持され社会が社会として成立していました。その為工業化も進んで来ましたし投資も行われてきました。 未だに不安定要因の多いアフリカですが、多くの人の地道な努力の効もあり以前よりはかなり治安もよくなり、教育も進んで読み書き計算などの基礎学力では日本と大差ないところも増えているとの事です。
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- ryuken_dec
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それが全てではありませんが、アジアとアフリカの現代国家の成り立ちの違いが大きいです。 アジアは元々、それなりの秩序がある国家があったところに欧米がやってきて属国としました。ですから、植民地から解放されたときに、その国の民衆が望む形で国家が形成されました。 一方のアフリカは国家という概念が無い中で欧米が支配しました。欧米人がアフリカの民族、文化、風習などを考えずに、自分達の支配しやすいようにアフリカの大地も民族も勝手に分けました。国境が妙に一直線なのはそのせいです。 このような形で国家とされたままに、世界的な人権意識の高まりと共に独立となりました。近い文化を持つ隣村が別の国で、風習も違う他民族と同じ国民として独立させられたわけです。 アジアで言えば「はい、明日から九州と台湾と韓国は同じ国ね。独立おめでとう頑張ってね。」と言われるような感じですかね。これでは国家として統一意識を持てません。 アジア諸国では「欧米から独立したぞー!!これからは我々○○人の国家だー!!」と協力していきますが、アフリカでは同じ国民と言われても「お前、誰やねん!!」となります。ですから、国内で民族対立が発生します。
お礼
ryuken_decさん、回答してくださりありがとうございます。 植民地のつめあとって、その国が植民地時代以前にどのような形態であったかにより大きく違うんですね。国家という概念がアジアとアフリカで違っていたっというのはおもしろいです。身近な例で説明してもらってありがとうございました。
- code1134
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●(GNI、識字率に基づく)後発発展途上国→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E7%99%BA%E9%96%8B%E7%99%BA%E9%80%94%E4%B8%8A%E5%9B%BD ●幸福度の国際比較→http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9480.html **個々人の主観が混じるので、非常に幸せ、と感じる層の占有率では ナイジェリア(66.8%)>バングラデシュ(14.7%)との関係が成立しています。 ●1人当たりのGDPの順位→http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4540.html 因みにケニアはラオス、ハイチよりは上位に位置してはいます。 等々複数の切口がありますから、"どの指標を重視するか?"との大袈裟に言うなら哲学により、顔触れも大幅に入れ替わる潜在的可能性は否めぬ 、と私は感じます。 http://hiro3620.blog.ocn.ne.jp/sowhatwhy/2006/12/post_1e53.html http://blogs.dion.ne.jp/sara77souju/archives/3817047.html 又日銀から出向しルワンダ中央銀行総裁を務めた服部正也氏の著書のが上掲URLで部分的に紹介されています。 要は国が一時的に急成長するより、国民が徐々にデモ暮らし易くなる方向を(カイバンダ)大統領が選ぶケースでは成長し辛くても止む無しですし、成長速度の遅さは攻められるべきでない、でしょうね。 更に、アフリカ諸国全般の成長に関してはアフリカ開発銀行(http://www.afdb-org.jp/1400-economic/index.html )がより深く密接に係っている点を付記して、今回の拙いカキコみを閉じます。失礼しました
お礼
code1134さん、回答してくださり、ありがとうございます。 載せていただいたURLのグラフ、とても分かりやすいです。このサイトはほかにも色々おもしろいデータがあるんですね。教えてくれてありがとうございます。 丁寧な解説をありがとうございました。
- firtree
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ご指定のURLにあるグラフの「east asia」というのは、 要するに日本と中国のことですね。 これは一言で言えば、日本の円高とバブル経済、 中国の改革開放政策のためでしょう。 中国は、1978年にそれまでの毛沢東路線を改め、 鄧小平の指導体制で、外資を積極的に呼び込み市場経済体制に転換したため、 それ以降凄まじい発展を遂げました。 というわけで、これは、アジア全般というより、 日本と中国の特殊事情でしょう。 あと、アフリカの低迷は、 東西冷戦末期の「第3世界」は、まあ、こんなもんです。 いわゆる「第3世界」といわれる南米、アラブ、アフリカが、 軒並み数字を下げています。 ただ、このグラフは、あくまで1993年までの話であって、 それ以降のグローバル化の中でどうなったかを見ないと、 単純にアジアとアフリカは比較できないでしょうね。 ミャンマーや北朝鮮みたいに、アフリカ並にひどい国もアジアにはありますしね。
- tanuki4u
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No5です 書いたことの元ネタ 「豊かさ」の誕生―成長と発展の文明史 (単行本) であります。出先で書名を失念しておりましたので書きませんでしたが、自分なりのまとめがNo5の文章です。
お礼
tanuki4uさん、再度ご回答くださいましてありがとうございます。 とても分かりやすくまとめてくださったので、よい勉強になりました。 今度、図書館に行ったときに、この本を探してみようかと思います。
- tanuki4u
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経済成長って何よ? というと、簡単に言えば一人あたりのGNPが向上すること。 欧州でこれが実現したのが、19世紀初頭のイギリスから。それまではマルサスの予言通り、人口が増えると一人あたりGNP(マルサスでは食い物)が減って、人口が減るという、食うや食わずの生活でした。 んで、19世紀の初頭イギリスで何が起こったかというと、特許の保護とか、金融の信用とか、流通の整備。まとめると「新しい事業を興して、継続的に行えば長期的には儲かります!」という事への信頼です。これがないと、儲かった商人がいきなり王様から資産没収を受けたり、どうせ他人だから、ぼったくってやれ!という事業スタンスになります。この状況を保証するのが、政治体制としての国民国家です。時々の統治者が個人的に悪いやつでも、そういった悪いやつはそのうち交代になって、よりましなやつが統治者になるだろうという信用です。この背景に 「わしらは、同じ同胞じゃねーか」 という国民国家意識があるのです。 この基準で言うと、アフリカの国境は欧州が勝手に線を引いたので、一つの国家が一つのまとまり「わしらは、同じ同胞じゃねーか」という意識を持つことができません。 それに対して、東アジアは、俺たち韓国人だよねとか、もう本土に戻れないから一緒に台湾で頑張ろうよとか、プミポン国王は偉いよね、とか、華人でもマライ人でもインド人でもない、シンガポーリアンだなんてやってます。この意味で、もっともまとめづらいインドネシアが一番後発になっちゃってますね。
お礼
tanuki4uさん、回答くださり、ありがとうございます。 個人が資産をもつことと、守ることが認められる環境が経済発展をイギリスで起こした、ということでしょうか。 また、国民国家意識の有無も。 確かに、信頼って大事ですもので。 新しい見方が広がりました。 ありがとうございました。
- tisha-nya
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こんばんは。私も漠然としか理解してないので正しいかは自信ありませんが回答させていただきます。 人間は教育によって人的資源になりえます。教育を受ければミクロ的には職業選択機会が拡大されより健康的な生活が送れ、より高収入につながります。マクロ的には、より優秀な労働力が得られます。 よって多くの途上国で教育は最大の財政支出項目とされてます。 文字が読み書きできないと労働に支障がでますよね。 東アジアは教育に力を入れた結果、識字率はほぼ100%になり、発展することができました。が、アフリカは未だ低い識字率のまま貧困に苦しんでいます。 また、緑の革命が成功してアジアの水稲収量が80年代位から増加しました。よってアジアで大規模な飢餓は起こらなくなった、とかもアジアの発展に繋がるかと思います。 また、東アジアは輸出振興化政策へ転換しました。それまでの国内産業の保護政策を撤廃し市場自由化を通じて輸出産業を育成しました。この政策によって国際競争力が増し、成長を遂げました。 以上です。アフリカについてはよくわかりません(汗) 質問者様の求めていらっしゃる回答とは異なるかもしれませんがご了承下さい。
お礼
tisha-nyaさん、回答くださりありがとうございました。 教育の質、農業技術の向上、貿易の政策がアジアを発展させたということですね。特に教育は基礎を作るので大事。 それらがなぜアフリカでは起こらなかったのか、今後調べていきたいと思います。 ありがとうございました。
- michimoti
- ベストアンサー率26% (7/26)
平野克己の「図説アフリカ経済」を学生時代に読みました。 http://www.nippyo.co.jp/book/1894.html この本の内容を、まとめると、それがヒントになるかなと思います。頑張ってみます! 気候などが悪い。それでなくとも、農地に適さないアフリカ。 (アフリカ農業の労働生産性の低さは、注(1)を参考) ↓ ならばこそ、なおさら農業支援をトップダウンで政策的に行うべきなのに。それが行われていない。 ↓ それゆえ、アフリカの農業の生産性の低さが、解消されていない。 ↓ 農業の生産性が高まれば、農作物の価格が下がるので、 その安くなった食料を利用して、工業化・都市化に力を入れることができる。 しかし、アフリカは農業でつまずいており、 工業化・都市化をやる余裕はない。まずは、農業から。 というように、この本の内容をまとめました。 浅いまとめ方で、話を単純化しすぎているので、 詳しくは、ぜひこの本などを読んでみてください。 注(1) アフリカ農業の労働生産性の低さの例 下URL 第3-5-7図 http://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2008/2008honbun/html/i3510000.html
お礼
michimotiさん、回答してくださりありがとうございます。 本のまとめをしてくださり、助かりました。 農業の未発達が元凶という考えですね。 図書館に寄る機会があったので、さっそく紹介してくださった本を手にとってみました。アフリカ全体を大きな視点で捉え、分かりやすそうでした。 また、URLも複数の視点で分析が行われ、分かりやすく、参考になりそうです。 ありがとうございました。
- snowplus
- ベストアンサー率22% (354/1606)
アフリカは基本的に欧米の隠れ植民地であり搾取されまくってるからです 元々アフリカは宝石など天然資源が豊富な地域なのですが全部欧米 の資本が囲い込んでて現地の住民が自由に掘り出せません 自分で産業を創出しようにも欧米のIMFが自分らに都合よく「指導」するので 債務は膨らむ一方です アジアも似たような状況でしたがアフリカほどひどくはなく マハティールがいうには 日本というアジア内に唯一の真似できる先進国があるため経済発展が 可能になった というような経緯もあります
お礼
snowplusさん、回答してくださってありがとうございます。 欧米の植民地になっているという考えですね。 アジアも天然資源が豊富でしたが、欧米の隠れ植民地にはなっていないのでしょうか。なにがアジアの分岐点だったのでしょうか。 やはり、欧米からの距離が遠く、日本の存在があったからでしょうかね。 ご意見、ありがとうございました。
- omnistyle
- ベストアンサー率37% (16/43)
最も根本的な差は、教育に対する見方の違いだと思います。 教育によって道徳が生まれ、技術が生まれ、経済が豊かになりますが、効果が出るまでに長い年月がかかります。 アジアとアフリカの違いは、政治が短期的な豊かさと長期的な豊かさのどちらを優先して、それがどれだけ続いたかです。 選択によっては政治が腐敗するでしょうし、経済発展を遂げられます。 また、この原因に拍車をかけたのは帝国主義的搾取だと思います。 イギリスの産業革命以後世界の覇権はヨーロッパにあり、当時はまだ船の時代でしたから、搾取の対象として距離が近いのは非常に重要なことでアフリカは絶好の場所となります。アジアはヨーロッパからかなり離れていたために搾取も限定的でした。 余談ですが、日本では太平洋戦争以後失われた学問がありまして、それは「地政学」です。諸外国では戦略を考える上であって当然な学問分野ですが、日本では今でもほとんどタブーに近いです。今回の問題を考える上で参考になるのではないでしょうか。
お礼
omnistyleさん、早速回答してくださり、ありがとうございます。 各国の教育の政策と帝国主義が違いを生んだとお考えですね。 植民地時代の移動手段が船であり、ヨーロッパとの距離の違いがアジアとアフリカへの支配に違いを生んだという考え方は新鮮でした。 地政学という学問の見方も初めてで、興味深いです。 ありがとうございました。
お礼
edodukiさん、回答くださりありがとうございます。 大きな元凶は植民地支配、伝統文化の破壊、紛争が原因ということですね。 民族意識がこのように作用することもあるとは考えていませんでした。 参考になりました。ご意見、ありがとうございました。