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疑問
人は誰でも自分の生き方が一番!って思うものですか? それとは別に、自分が実際に経験したことが無い状況に置かれている人に アドバイスできるのはなぜですか? 挑発的な意味あいは無く、リアルでも疑問だったので教えてください。
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- jimmy35
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ふむ、なるほど。 >助言を求める立場でありながら不遜な態度でした。 日本人ですからこういう言い方も仕方がないですが、こういう態度が議論を呼びます。だから疑問も解消されてゆくのだと思いますので、それで結構です。但し、逆からいえば悪い意味で「意見する」と考える人もいますので人によっては本当に「不遜」と思う方もいるかもしれません。そこは注意してください。 ちなみに自分は常識という言葉が苦手(嫌いと言っていいかと思います)でした。どうしても自由な発想をスポイルするものとしか映らなかったからです。今では考えが変わりましたが、日本の常識というのはいまだに好きにはなれません。なぜなら「常識」の縛り方も人によって変化(人の見聞きしてきたことによってかなりの変化を見せます。多くの要因がありますが、やはり重要なのはその人の感性を育む環境と言って差し支えないだろうとは思います)するものだし、その差によっては所詮は人の良心の差をも認められない不文律だからです。ただ、いくら嫌いと言っている自分にも多少は影響していることを認めなければならない部分はあるとは思いますね。 ちょうどあなたからいい例が出ましたので、過去の自分の例から出しますと、自分は過去自分と同世代の女性からあなたくらいの年齢の男性との恋愛の悩みについて3ヶ月くらいアドバイスをしていた経験(ここのサイトではありません)があります。自分にはそこまでの経験はありません。まず、助言するにあたり、年齢差の常識を頭からなくすことから始めました。でないと、アドバイスの前にそのこと自体を否定してしまうからです。但し、他人にはそのことは確実にあることも話はしなければなりません。そこからの横槍が入ることは必ず想定に入れるべきだからです。(実際、このケースでは横恋慕という形で横槍が入りました。それでアドバイス期間が長引きました)この「想定」にも人の思いの重さを計るべき感性が必要になります。自分は横槍など入れるようなことはしないでしょう。しかし人を見るに自分の「常識」外の事柄については好奇心がねじ曲がった状態で横槍を入れたがる人は必ずいます。そこを自分がしないからと「信じられない」と考えるようでは「想定」外になってしまって、アドバイスになりません。要するに他人の思いの重さを普段からどれだけ感じているか、そこにアドバイスの自信度が生まれてくるものと思います。但し、先の解答にも書きました通り、自信過剰度合いも人によって違いますから受ける側もその取捨選択は自分でするべきものだとも思いますね。また、いくら取捨選択を受ける人に任せるからと言っても、任せた側の方が自分の方式を採用した場合を考えると無責任な回答は出せません。 人の思いは、もし形にできるのならば球体だと思っています。一方向からは絶対に見えてきません。あらゆる方向から見るようにしてあげないと球の反対方向からの思いが噴出して失敗することなんて想定不可となってしまいます。そこに邪魔をするのが例の不文律「常識」だとも思います。ですから人の思いについての「変えたい」「変えてあげたい」に対するアドバイスについては「人の心はカップラーメンのように3分でできるものではありません」と言うようにしています。 >いわゆる「世間の常識」も人の数だけあると僕は思っています。 その通りです。しかも、人の数だけ、その量も、その思いの重さも、言葉となって現れる重さもすべて違います。(違いはこれだけではないので、3次元グラフ以上の違いです。グラフ化すらできないと思いますね)それは自分流に解釈しようとすれば必ずその「人の思い」を感じなければ解釈しきれずに誤解します。自分が100%解釈しきれているかというとまずできてはいないと思いますが、ライフワークとしての努力は必要です。そうすることで未経験のこともアドバイスができるようにもなっていけますし、未経験のことも自分の先の人生に対するリスク管理ができるようになるとも思いますよ。(まぁ、それでも真っ暗な中にぼんやりとした光が差す程度なのですが)
- jimmy35
- ベストアンサー率26% (468/1774)
No.2です。長文回答をお許しください。 自信にあふれた人の場合、二つの可能性が考えられます。 (1)岐路そのものを感じていない。 自信にあふれた人の場合、迷うということがないレベルまで自信があるケースもあります。そうなると今までの道は一本道だと勘違いしている場合もあります。こういった人は本来他人へのアドバイスには向かない場合が多いのですが、かなりのカリスマ性を帯びているケースがほとんどなので、自分からアドバイスしようとしなくても、人からお願いされることが多いですね。ただ、残念ながら岐路を感じる感性については疑問視してもいいとは思います。 (2)岐路の選択は100%(もしくはそれに近く)正解だという人 こういう人は自分の中から自信過剰のケースがほとんどでしょう。(1)のケースの目上の方が周囲にいて、自分もああいった人になりたいと強く思ってしまうとよくなるケースではあります。ただ、自分の心の内からの自信過剰ですから、例え岐路選択の良し悪しの判断が不正解であっても、前に進もうとする力はかなりのものがある人ともいえます。そういう意味では一部人生の成功者も存在しますのでアドバイスを受けるケースもあると思います。経験しようとすまいと、迷うこと自体がおかしいと考えている節がある回答が多いと思いますね。 (3)人生の岐路は100%(またはそれに近く)正解だったと思いたい人 (2)のケースと似てはいますが少し違います。自分の中では結構選択ミスを認めています。しかし、それを他人にはまず認めたがらない人です。数は少ないですが、認めたがらない部分を隠しおおせた場合不安を感じながらも自信度合いは大きなものがありますから、前に進もうとする力は平均以上あります。その人の器以上の地位を得てしまうケースだってありますね。こういった人は自分から答えようとします。そうすることで自分の中では理解できている失敗を隠しおおせると思っているからです。自分から答えようとしてしまう分、未経験のことでも自分の経験したことを無理やり当てはめてしまう傾向があります。 自信にあふれた人の考え方はこんなところでしょうか。やはり完璧は人ですからないですね。 人の人生の選択肢は当然人によってもまちまちですし、いつにくるというのもまちまちです。人の欠点のほうが見えやすいですから、こういう言い方をしますが、あなたの同い年なのにこんなこともできない奴、と思う人がいると思いますが、それはあなたの方がそのことについて先に岐路を経験し、選択した後だと考えてください。但し、その人は別のことについてあなたの経験していない岐路を経験、選択済みということは忘れてはいけません。自分の中では自信は大事です。過剰気味でも前に進もうとする力になるくらいですから、なくせば落ち込むだけでしょう。ただ、その自信を表に出しすぎるとコミュニケーションを取りづらくなります。(国民性なんですが、その説明もすると字数不足になりますね) 未経験の人生のアドバイスについては経験したことからの応用になります。応用には人の人生に関する感性が必要です。また答える時も言葉を選ばないと、説得力に欠けてしまうので慎重にする必要があります。 自分は小学校の先生に卒業時に「感じる人になりましょう」という言葉を頂き、これを40歳を越えた今も実行中です。ここで答えるのもその感性を磨く修行と考えています。残念ながら自分についても他人についても100%感じ得るようなゴールはないのですが、是非あなたも自分の、そして他人の人というものを感じる人に成れるよう努力してみてください。
お礼
僕ごときに丁寧なご回答を頂き、ありがとうございます。感謝します。 >未経験のことでも自分の経験したことを >無理やり当てはめてしまう傾向があります。 僕は経験値も少ないですが、それでも自分が経験した事に対しては 自信を持ってアドバイスできますが、仰る様に「別のことについて あなたの経験していない岐路を経験、選択済み」の人に対しては 恐れおおくて助言できません。 例えば僕は小学校から一貫教育を受けたのでそういう分野には答えられますが 外部入試組の悩みは想像できません。 けれども本欄でもリアルでも自分が経験した事もないのに見聞きした事や 憶測で進言できる人がいらっしゃいますよね? 私は(その)経験がありませんが○○だと思います、等々の。 僕はそれが不思議で仕方無いんです。 その自信は何を根拠に生まれるのだろう、と。 もちろん様々な価値観を産むテーマ(子育てなど)もあるでしょう。 それには見聞きした話を含め、多種多様な意見があって然るべきかと思います。 けれども特殊な悩み(年齢差が大きい恋愛をしているとか←僕です。 ハンデを持った子を育てているとか、)自分自身が実際に 経験しなければ容易にアドバイスできない問題も世の中にはあるのでは? 一例に過ぎませんが、健康な子供を育てている親や同級生と恋愛している人が どれほど感情移入ができるのか、僕には疑問です。 いわゆる「世間の常識」も人の数だけあると僕は思っています。 丁寧に回答して頂いたので、日ごろ疑問に思っていることを一気に噴出 させてしまいました。 助言を求める立場でありながら不遜な態度でした。 不快に思われましたらお詫びします。良かったら、またお返事頂けませんか? 宜しくお願いします。
- buster0824
- ベストアンサー率10% (49/462)
特に自分の生き方に自信をもってる訳ではないですよ。後悔の連続ですね。人の生き方をうらやましいと感じる時も多々あります。 経験したことなくても、自分ならこう思うってのもあるし、人の経験談もありますね。悩むってことは正解がないですよね。アドバイスって受ける側にとっては正解ではなく案だと思うので、無責任に適当なアドバイスしませんが真面目に考えた答えを言ってるだけです。
お礼
アドバイスありがとうございます。 自分はまだまだ未熟なので第三者からのご意見は貴重に思います。 また、よろしくお願いします。
- jimmy35
- ベストアンサー率26% (468/1774)
うーん、自分の場合は自分の生き方も当然引き出しの中に入れて利用はしますが、他の人の生き方もいい事をしていると思えばそれは文章化位はできます。ただ、これはやはり人生経験が必要だとは思います。自分が苦境に立たされる経験数が多いと、人の苦境時もその引き出しを応用することによって、感覚は掴むことができるようになってきます。つまり失敗の数だけ、未経験のことに対しても応用が効くようになるとも言えますね。後悔の数が多いと、人の後悔もわかりやすくなるということです。 自分の生き方が一番とは思いません。自分の生き方ですら複数の岐路があったはずですし、ベストの道を選んできたとは思えません。これからはできるだけそうしていこうとは思いますが、岐路に立たされた時に自分がベストの道を選ぼうとして選んでいるかを必ず確認します。選ぼうとしないで後悔するのと選んで間違えて後悔するのとでは、後悔の質も量も違います。選んでいなければ、選ばなかった後悔も加わりますよね。また選ばなかった事実に対して自分がどのような気持ちだったかも残念になるでしょう。
お礼
アドバイスに感謝します。 なるほど。 人は生きていく中で幾たびか岐路があって、そのたびにベストだと思える 選択を繰り返して行くので、それゆえ自分の生き方が一番良いと思う、 ってことですかね? 目の前に用意されている選択肢は人によってまちまちだ、とそう考えても 良いのでしょうか?僕は20歳の学生です。
- star81
- ベストアンサー率16% (266/1650)
自分の経験を単純に話しているからです。 ほかには自分の失敗を踏まえて、こうすれば成功するだろうという推測もありますよね。それは自信からくるものですけれどね。
お礼
アドバイスありがとうございます。 推測からアドバイスできる自信、というのはどこから来るんですか? 経験からですか?僕は素直に疑問なので、教えて頂けたら嬉しいです。
お礼
ありがとうございました。