• 締切済み

国、社会、会社、学校は存在するのか。

不景気も手伝ってか、最近テレビでは会社が国がという言葉をよく耳にします。 そういう時は決まって不平不満であることが多いのですが、 時々、国や会社などというものは存在するのかと思います。 国土や国民は存在しますが、それは土地であり人であって国ではありません。 会社も社屋や事務机はありますが、それもビルであり机です。 そういう意味で国、社会、会社、学校はどこにも存在しません。 存在しないものに対して不平不満を言うことはもしかすると的外れではないでしょうか。 もちろん気持ちは分かるのですが埒が明かないのもうなずけるように思います。 皆さんはどのように感じるでしょうか。

みんなの回答

  • ryuken_dec
  • ベストアンサー率27% (853/3139)
回答No.4

>世界は物質と電気信号で出来ているので特別気にする必要はないというご意見ですね。 少し違います。気にする、気にしないという表現をするためには、物質以外の感情が存在することを前提にしています。ですから、質問者様のような物質主義の考え方では感情的なものや判断的なものは「無」なはずということです。埒が明かないとか的外れなどの表現そのものが矛盾ではないか・・・ということを言わせていただきました。 ちなみに私はそういう主義者でなく、人間という存在はあって、そこに意志や感情が存在すると考えていますので、人間の意志の集合であるコミュニティの存在は認めています。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうでしたか。 ただ私も物質主義の考え方一辺倒にはなれないのです。 なれるわけもないですね。 これはバランスの問題でどちらがいいかではないと思います。 感情に振り回されるのもだめだし、それを無視するのもうまくいかないでしょう。 そういう意味で不平不満をたくさん持っている人はバランスが悪いと思います。 国、社会、会社、学校は存在するのか、こういう視点も時には必要ではないでしょうか。

  • ryuken_dec
  • ベストアンサー率27% (853/3139)
回答No.3

【国は存在しないが、国土や国民は存在する】 国が無ければ、国土も国民も無い。国の土地が国土です。国が無ければそこはただの土地です。国の民が国民です。国が無ければただの人々(民族)です。 アメリカという国がなければ、アメリカの国土は存在しません。アメリカという国がなければ、アメリカの国民は存在しません。 上の突っ込みもありますが、質問者様の考え方は徹底した物質主義ですね。 しかし、そんなことを言えば、机なんて存在するんでしょうか? 机なんて鉄パイプと木の組み合わせであって、そこに机という意味を人間というものが勝手に与えただけです。机というのは、それは机だと思う人がそう思うだけで、確固たる存在ではありません。もちろん鉄パイプもそうです。それがパイプに見える人がそういっているだけです。ただの鉄の塊です。 ・・・で、それを徹底した考え方をした人がいました。 「世の中は全て原子の集合体に過ぎない。だから人間を殺すというのは原子の塊に働きかけただけで、何も問題は無い」という趣旨の発言をしました。 上のように会社や国などという概念的な存在を徹底的に認めないとなると、究極には最小構成要素まで分解されてしまいます。 人間という存在すらも分子がそういう形に固まっているだけで、その外部にある空気分子などとの境界を設けて確固たる存在で呼ぶことがおかしくなります。 人間など存在しません。そこにあるのは原子です。 >もちろん気持ちは分かるのですが ですので、気持ちなどというものは存在しません。人間の感情も所詮はただの電気信号です。ただ電気信号の流れが変わっただけです。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 つまり、世界は物質と電気信号で出来ているので特別気にする必要はないというご意見ですね。

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.2

>そういう意味で国、社会、会社、学校はどこにも存在しません。 部分的な、しかも物質においてという意味では、どこにも存在してませんね。 では、指だけ、髪だけであなたの存在はわかりますか? あなたの髪の先からつま先まで、所有している財産、生まれてから今までの経験、人脈、もちろん将来まで含めて、これらを含めてやっとあなたの存在を明らかにできるのではないのでしょうか? (指だけ見て「これが俺か…」なんて思わないでしょうし、思われても困りますよね?) 法律的には法人格として(自然人よりは制限されてますが)人となります。 会社なら登記簿(自然人でいう戸籍)に存在していますし、資産、従業員、株主や取引先を含めたステークスホルダー、将来への期待も全部含めて「会社」です。 しかし、そんな小難しいことを考えなくても、「クラス・班・家族・群れ」などが巨大化したものが「国、社会、会社、学校」で、集団の名称と考えるといいと思います。 (クラスという物質は存在しませんが、まとまりを意味する呼称では存在しています) 掃除をしないA班の連中が悪い、挨拶をしないあの家族は態度が悪い…など集団に対して不平不満を言うこと、至って普通だと思いますが… それに社会に対しての不平不満は確かに的外れであるのは一理あるかもしれませんが、企業や学校へのクレームって的外れでしょうか?

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >企業や学校へのクレームって的外れでしょうか? 気持ちは分かるんです。 とても 手段としてもそれしかないのですから。 ただ、酒を飲んで会社の愚痴を言っているおじさんを見ていると。。。

回答No.1

組織とは何か? 私はドラッガーの考え方を参考にしていますので、興味があれば見てみて下さい。 会社や国や社会という組織が責任のない不思議なものに映ることはよくあることです。組織の性格はある特定の人の性格を強く表していることが多いのです。それは場面によっても異なります。 例えば年金が不足していることの責任者が誰かはハッキリ分かりません。バブル期に運用に失敗した「誰か」なのですが、そういう各種の組織のマネジメントを進歩させることが今の社会に生きる1人1人の責務なのだと私は思います。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 組織とは便利なものです。 攻める側は組織を、守る側は組織を隠れ蓑にしますね。 結局は人間しかいないのに。

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