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花が「桜」を示すようになったのは、いつの時代からでしょうか
万葉時代、花といえば「梅」のことで、多くの人がこの外来の花を珍重し和歌に詠んでいますが、花が「桜」を示すようになったのは正確には、いつの時代からなのでしょうか。 お教えください。宜しくお願い申し上げます。
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梅が桜に代わって行くのは平安時代の中期でしょうね。 【万葉集と梅】 万葉集には多くの花が詠まれていますが、一番多いのがハギで140種 梅が100余首、桜が40余首いわれレイます。 大伴旅人が730年、梅の花の宴を開き、梅の花を歌に詠んでから 花は梅というのが定着したようです。 【梅から桜へ】 桓武天皇が平安遷都の時に、内裏の正殿に梅の木を植えたが、 960年の皇居炎上の時に、焼けてしまいました。 その後、桜の木が植えられました。これが有名な左近の桜です。 これがきっかけとなって京都の邸宅や大路には桜の木が植えられました。 また、平安時代になると中国文化の影響で、衣装が明るい色が 好まれるようになったのも桜が人気を集める一因になりました。 【古今和歌集と桜】 京都の桜が貴族の家に多く植えられ、路の木も多くなると、 歌に詠む歌人も増えていきました。そこ風景を詠んだ歌は下記のものです。 見渡せば柳さくらをこきまぜて 都ぞ春のにしきなりけり 素性法師 世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 在原業平 古今和歌集には春の歌の130首のうち、実に100余首を数え 梅は20首となりました。 また、桜の花が散るのを見て、自分の人生と照らし合わせて うたに詠む歌人も多くなりました。 花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり 入道前太政大臣 参考になさってください。
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中古・王朝時代からのようでっせ 「古今集」になると桜の方が多うおます
お礼
ありがとうございました。 非常に良いサイトをお教えいただきました。
お礼
ありがとうございました。 感激しました。 和歌まで、ご紹介いただきまして助かりました。