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火事のニュースでよく聞く言い回しについて。
お世話になっています。 最近、テレビのニュースを見ていて、気になることがあったので質問いたします。 表題の通り、火事のニュースでよく聞く言い回しで、 「焼け跡から一人の遺体が見つかった。警察ではこの遺体が、“連絡が取れなくなっている”この家の住人とみて、確認を急いでいる」 というのがあります。 この中の“連絡が取れなくなっている”という表現なのですが、少し前までは“行方が分からなくなっている”という言い方をしていたように思います。 何故、“行方が分からなくなっている”ではなくて、“連絡が取れなくなっている”と言わなければならないのでしょう。 今日、見たニュースの中で、「“連絡が取れなくなっている”小学一年生の子どもとみて、確認を急いでいる」と言っていたのを聞いて、何か、ものすごく違和感を覚えたのです。 小さな子どもと“連絡が取れなくなっている”というのは何か変な気がします。 小学生であれば携帯を持っているかもしれず、そしてその携帯で連絡を取ることができないということもあり得るかもと、何とか一応は納得できます。 では、もっと小さな幼稚園の子どもや、生後間もない赤ちゃんの場合でも“連絡が取れなくなっている”という表現が使われるのでしょうか。 “連絡が取れなくなっている”の意味がどうにもよく分からないのです。 何か、変な質問かもしれませんが、お答えをいただければ幸いです。 宜しくお願いします。
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- Ganymede
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すでに優秀な回答者から良回答が寄せられているのに、ご質問者はぴんと来ていらっしゃらないようです。私が今から書くのは、その良回答の二番煎じで、劣化させたようなシロモノです……。 (1) 婉曲語のインフレ 「ウィキペディア」は玉石混淆と言われてますが、次の「婉曲法」の解説は「玉」でしょう。その一部を引用します。 婉曲法 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A9%89%E6%9B%B2%E6%B3%95 (引用開始) 婉曲法が普通に用いられているうちに、もとの語句がタブーになり、さらには言い換えまでが悪く取られてさらなる言い換えが必要になることもある。 (中略) 例えば便所の意味のtoilet room(化粧室、トイレ)はもともと婉曲語だったが、bathroomに置き換えられ、さらにwater closet、またrestroom、W.C.と置き換えられていった。 (引用終り) さて、「行方不明」という語は、言葉通り 行方が分からなくなっているだけ……(a) を表す場合と、 「死体は見つかってない、あるいは未確認だが、死亡のおそれが強い、またはほぼ確実」の婉曲表現……(b) の場合とがあります。確か、アイドルの中川翔子がこれでしくじっていました。自衛隊のイージス艦と漁船とが衝突して、漁船乗組員が帰らぬ人となった事故です。(ご遺体が見つかってなくても)もう客観的に生存の可能性はゼロになった頃だったのですが、しょこたんは非難を浴びました。 「死体未発見だから『行方不明』なんであって、『死亡がほぼ確実』の言い換えとは違うじゃん」と主張する人は子供でしょう。事故・災害の統計でも、「死者・行方不明者」と「ひとくくり」にされます。たとえば「フーテンの寅さん」は(a)で、そのうちフラリと戻ってきますが、海難事故や火事で「行方不明」と書かれることは、(b)を宣告されるに等しいのです。したがって、その場合の「行方が分からなくなっている」は忌み嫌われて、「連絡が取れなくなっている」と言い換えられ始めたのでしょう。 つまり、前出の「toilet room → bathroom → restroom」のように、「死亡したとみられる → 行方が分からなくなっている → 連絡が取れなくなっている」という言い換えです。 > “連絡が取れなくなっている”の意味がどうにもよく分からないのです。 “行方が分からなくなっている” の言い換えに過ぎないため、意味は同じです。 (2) バールのようなもの 金庫をこじ開ける犯人は、「バールのようなもの」を使うのが常です。マスコミ報道を信じる限り。しかし、これは「お約束の言い回し」であって、実際にバールやバールに似た道具でこじ開けるのではないらしいのです。じゃあ何かというと、それは言わないお約束なのか、私もつかめていません。 マスコミ各社は用語(隠語?)統一協定を結んでいるわけでもなさそうなのに、ほぼ横並びになっていることがあります。「行方が分からなくなっている」が一斉に姿を消して「連絡が取れなくなっている」に言い換えられているとしたら、新しい「お約束の言い回し」ということでしょう。
こういうのは警察の発表どおりの文章を引用している場合が多いのですよね。 「バールのようなもので」と同じパターンだと思います。これはたぶんマニュアルがあるのでしょう。言葉の自然の流れにしては揺れが無さすぎると思います。 なお行方不明も連絡が取れなくなっているも本人の意思の有無には関係なく使えますね(本人の意思で連絡をとれなくするのは私もよくやっています)。 おっしゃるとおり小さい子に「連絡が取れない」という表現は滑稽と思います。 またそこに死んでいると見ている人に連絡が取れないと言うのもなんだか可笑しい。 連絡が取れなくなっているだけの人がたまに居るのかもしれないし。 また死体確認に力を入れていて「連絡が取れない人」の捜索はしないという意味なのかもしれません。 違和感のある表現は「この人だと思っているけれどまだ確実な検証が無い」という意味をあらわす一連の言い換え語と思ってくださいという信号でしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 警察発表のとおり引用している、というのは十分あり得ることだと思いました。 >違和感のある表現は「この人だと思っているけれどまだ確実な検証が無い」という意味をあらわす一連の言い換え語と思ってくださいという信号でしょう。 このご意見も納得なのですが、ただ、何故、「行方が分からなくなっている」から「連絡が取れなくなっている」に変わったのか、肝腎のそこの部分がいまひとつ納得できないでいるのですが……。 もう少し考えてみます。
- cyototu
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斬新な言い回しとして皆に受け入れられた言葉でも、ほとんどの言葉は何回も使われて行くうちに摩滅して来てそのうちに飽きられてくるというのが、経験則のようです。民俗学者の柳田國男は摩滅して使われなくなるまでに、ある決まった数があるのではないかと述べています。 きっと、「行方がわからなくなってる」もそろそろ摩滅してきたところえ、誰かが思い付きで「連絡が取れなくなっている」と言ったのを、また誰かが斬新さを感じてテレビの業界で使われるようになってきたのではないでしょうか。 極端な話、「ありがとう」も昔は「かたじけない」などと言っていたのが飽きられてきたときに、神仏を尊ぶ場合に使われてたアリガタイを誰かが思い付きで使い出したら、その斬新さが受け入れられたのでしょう。柳田國男の父は、孫が「どうもありがとう」という言葉を使うたびに、いつもおかしそうに笑っていた、と『毎日の言葉』に書いております。この言葉もそのうち摩滅して別な言葉に置き換えられるときが来るはずです。その兆候として、「どうも」とか「大きに」とか「だんだん(=重ね々ね)」などと、下を略して使われるようになってから久しいですから。 言葉とは個人の好みに無関係に次々に新しいものに置き換えられて行き、始めは違和感があっても,そのうちに慣れて自然に感じるときが来てしまうのが、我々が繰り返してきた経験のようです。
お礼
すみません。補足欄にお礼を書いてしまいました。 今頃気づきました(^^ゞ。 失礼しました。
補足
回答ありがとうございます。 「斬新さが受け入れられた」というご意見。そういう見方もありますね。 でも、斬新だからといって、どのテレビ局、どの新聞も右へ倣えで皆同じ言い回しを使うというのも何か変な気がします。 あまりに型どおりなので、No.4の方がおっしゃっているように、警察の発表どおりに引用しているという印象を受けなくもないのですが。 ちなみに、「行方がわからなくなっている」という言い回しも、摩滅するほどに使い古された言い方ではないように思います。 10年くらい前であれば、「焼け跡に遺体がある」+「住人が行方不明である」=「その遺体=住人である」と誰もが思ってしまうような言い回しで発表されていたと思います。 そしてあとからひょっこり「住人」が現われて、「あの遺体は誰だ?」ということが何度かあったりしたので、確認が取れるまでは「行方が分からなくなっている住人とみて確認を急いでいる」という言い回しになったのだと思うのです。そしてその数年後の現在、「連絡が取れなくなってきている」に変わってしまったのは何故?と思った次第です。 もう少し考えてみます。
“連絡が取れなくなっている”でいいように思います。 “行方が分からなくなっている”だと、どこにいるかわからないわけです。 しかし、実際は「そこに死んでいる人だ」と見ているわけですから、“連絡が取れなくなっている”の方がいいように思います。 生後間もない赤ちゃんの場合は“行方が分からなくなっている”の方がいいでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 きっと、おっしゃるように、 >実際は「そこに死んでいる人だ」と見ている ということなんでしょうね。 でもそれならば、どうして「この遺体をがこの家の住人とみて確認を急いでいる」とはっきりと言わないのか。 何か釈然としないのです。 もう少し考えてみます。
国語の専門家ではありません。 間違ってるかもしれませんが、 「行方が分からなくなっている」では、 その人の意思によりどこかへ行っている というニュアンスに受け取れます。 「連絡が取れなくなっている」では、 その言葉どおり、警察と連絡が取れない という事実の表現ではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 No.4の方のお答えのように、「行方が分からなくなっている」も「連絡が取れない」も、本人の意思によるものととらえられなくもない部分があるように思います。 警察と連絡が取れない状態と、警察が行方を把握できない状態と、どこが違うのか……。 No.2の方がおっしゃるように、「そこにある遺体が本人だ」という認識だということなのでしょうか……。 もう少し考えてみます。
お礼
回答ありがとうございます。 忌み嫌われたことによる、新たな婉曲表現ですか。 「バールのようなもの」は随分長いこと使われてきて、それが他の言葉に変わりそうな気配はありませんが、「行方が分からなくなっている」が忌み嫌われて「連絡が取れなくなっている」に変わったのは、とても早い気がします。 「連絡が取れなくなっている」も、きっと近い将来、忌み嫌われて別の表現になるのでしょうね。 「行方が分からなくなっている」も「連絡が取れなくなっている」も、意味しているところは結局、お答えにある(b)の意味であって、個人的には、言い換えることにどれほどの意味があるのか、と思ってしまいます。 だから、私にとっては「連絡が取れなくなっている」への言い換えが「意味不明」なものに思えてしまったのだと思います。 マスコミとしては「お約束の言い回し」なのでしょうけれど、小学生にまで「連絡が取れなくなっている」という、普通の感覚からいけば「?」と思える表現が使われていたので、余計に疑問に思ったのでした。