※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:満州で死んだ父のことを知りたい。長文です。)
満州で死んだ父のことを知りたい
このQ&Aのポイント
父が満州で何をしていたのか、若い妻と幼い子供を残してなぜ自殺したのか気になります。
戦前、父は満州で母と知り合い、贅沢な生活を送っていたようです。しかし、33歳の時割腹自殺し、母子は逃避行しました。
現在は平穏な暮らしを送っている質問者ですが、父の事実を知りたいという思いは捨てきれていません。
何故か、死んだ父のことが、この歳(66歳)になって、無性に知りたくなり、お聞きする次第です。
知りたいこと。
父は、満州で何をしていた人なのか。
若い妻と幼い子供を残して、何故自殺をしたのか。
羅列しました下記のような乏しい情報でも、何か少しでも、得られたらな、と思います。
出来れば、同じような体験をされた同世代の方に教えていただけましたら幸いです。
10年前に、亡くなった母が生前にぽつりぽつり語った話では、
1.戦前、父とは母、日本で知り合い、満州に渡り、私と妹(生後1歳で病死)が生まれる。
2.父は、軍人ではなく、大きな建物に住み、現地の人を何人か使い、暮らしは贅沢だった。
3.日本の将校・軍人の奥さんなどがよく出入りし、父から缶詰を受け取っていた。
4.父、母の前で割腹自殺。(33歳)
母には、「ソ連が来る」と言っていたそうです。(シベリアに強制連行されるからと、即自殺、はないと思います)
5.母子で逃避行。九死に一生。日本の母の実家へ生還。母29歳、私4歳。
6.私と一緒に撮った父の写真は、胸部から上が切られたものしかないので、父の顔も知りません。(当時、皆、大人の男の写真は同じように切ったようです)
7.現地の子供とばかり遊んでいたので、帰国しても、暫くは、日本語が満足に話せなかった。
8.私の戸籍謄本の出生地は、「中華民国北満総省」とだけ書いてあります。
9.どういうわけか、私は、10歳以前の記憶が全くありません。
蛇足ながら、現在の私は、定年まで好きな仕事をし、今もアルバイトも同じ仕事で、孫も居り、平穏な暮らしを過ごしております。
宜しくお願いいたします。
お礼
早速のご返事ありがとうございます。 親子ほどの年齢差の方からこれほど詳しい、鮮明なご返事を戴けますとは!! >どれくらいの期間、逃げ回ったか分からないぐらいで、叔父が覚えてるのは、長崎の佐世保に船が着いたとき、柿の実がなってたそうです。 叔父も、暫く母親の実家が佐賀の田舎にあったので、そこに逗留してたそうですが、その期間もどれくらいいたかよく覚えてないが、桜の花の咲くころまでいたような気がするのでたぶん半年ほどいたのだろうと言ってました。 >叔父も10歳くらいまでの記憶が部分的に欠落してるそうです。あまりに辛かった事を自分の中で封じ込めてるのかもしれないと言ってました。 すべて、叔父上様の言われている通りです。叔父上様に非常に親近感を覚えます。お陰様で遠くの父が近くに感じられます。 ご返事に改めてお礼申し上げます。 ありがとうございました。