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孤独な人は理屈っぽい人が多い

孤独である結果理屈っぽくなるのでしょうか、それとも理屈っぽいから孤独になってしまうのでしょうか? しかも孤独で理屈っぽい人は自分の考えが必ず正しいと考えるのでさらに手がおえません。どうすれば救われますか?

みんなの回答

  • wanekoz
  • ベストアンサー率14% (199/1373)
回答No.9

「孤独な人は理屈っぽい人が多い」に根拠がありません。 統計があるなら示しているはずです。 「孤独で理屈っぽい人は自分の考えが必ず正しいと考える」にも 根拠がありません。 つまり根拠なしで意見が正しいと思い込んでいるのは まずあなた自身です。 しかしその記述は自分は該当しないという前提であり 矛盾しています。 爬虫類の猫を探して来いというようなはに話は 誰も相手のしようがありません。 したがってあなたは孤独なままであり、 永久に救われないでしょう。

  • JARCA
  • ベストアンサー率57% (4/7)
回答No.8

ドストエフスキーの「地下室の手記」を読んでみましょう。

  • ye11ow
  • ベストアンサー率40% (230/564)
回答No.7

本質的に「孤独」と「理屈っぽさ」は、あまり関係ないような気がします。 但し、「自己正当化のための理屈っぽさ」になると、大いに関係してきそうです。 「自分の考えが必ず正しいと考える人」は、集団に溶け込みにくくなるので、 やはり孤独になりやすいことでしょう。 「常に自分が正しい」と考える人は、 (1)(知的に)思考の幅が限定されている、か (2)(精神的に)自分の非を認めるだけの度量が無い、のでしょう。 特に、(2)の影響のほうが大きいと思うのですが、いずれにせよ、 多くの経験によって磨かれ、知的・精神的に成長を果たすことで、救われるでしょう。 もう少し踏み込んで考えてみますが、 自己正当化のための思考や発言が極端な人というのは、 それをせざるを得ないような精神状態にあることが考えられます。 周囲の人によって、もしくは自分自身によって否定され、プライドが傷つき、 何とかして自身の存在を肯定せねば、劣等感に負けて、辛くて正気を保てないのです。 また、他人との間に距離をおき孤独になることで、他人から否定されることや、 他人との比較で自己否定に陥ることから回避しようとする傾向があるかもしれません。 そのような人が、行き詰まった状況を脱し、成長を果たすためには、知的面では、 自分を守ることに囚われている固定化した思考パターンを変えていかねばなりません。 そして、短所よりも、自分の能力的長所に着目し、それを伸ばし、 自分で認め・受け容れられる自分自身をコツコツと作っていくべきです。 精神面としては、行動を起こし小さな成功体験を積んでいき、 傷つくこと・恥をかくことを過度に恐れない、前向きな心を育んでいくべきです。 臆病なまま、前向きな行動を起こせずにいては、いつまでも前進できないのです。 行動を起こし、小さな成果を得つづけることによって、自信が少しずつ回復していき、 やがて、極端な自己正当化を必要としない、知的・精神的に健全な自分ができます。 そうなれば、他人の中に入っても堂々としていられるのです。 理屈っぽい私からのアドバイスでした(笑)

  • fusem23
  • ベストアンサー率18% (72/383)
回答No.6

どちらも正解。 孤独な人は、理屈しか役に立つものがないのです。 自分も含めて、感情を考慮する必要性もないので、練習不足になります。 理屈っぽい人は、感情が理解できないのですから、人に必要とされることが少なくなり、孤独となります。 もちろん、そんな人も、仕事で役に立ったりしますが、それと人に必要とされるかどうかは別の問題です。 >自分の考えが必ず正しいと考えるのでさらに手がおえません。 それはあなたの勝手でしょう。 もし付き合う必要性が存在するなら、否定しなければ良いだけです。 大抵は、否定でも肯定でもどちらでも良い問題ですから。 それでも、その理屈の害が無視できないのなら、感情に訴えることです。 感情面で機嫌を取れば、理屈は引っ込みます。

回答No.5

後者だと思います。 救う必要はありません。価値観の違いです。 それでも救おうとするのは自分の考えが必ず正しいと思うからであり、故に救おうと思う側が孤独だからなのでは?

  • yuki360679
  • ベストアンサー率10% (152/1427)
回答No.4

人生に悩んで哲学者になる人は多いようですよ。 その原因は、主に悪妻だそうですけど(ウヒヒヒ) あいだみつおさんのようなエッセイを書く人が増えてますが、上記のような方が多いのだそうですよ。

回答No.3

理屈っぽい人は、自分を守るためにさらに理論武装したりして、リスクをとれなくなります。 だから、人から見たらつまらない人間だと思われてしまいます。 そして、孤独に陥るから、ますます自分の殻に入って自分を守り、さらに理屈っぽくなって自分を守ろうとします。 リスクをとれないからこそだと思います。 孤独な人でも一人で強く生きている人がいますが、理屈っぽい孤独というのは疎外感を感じて生きているから、楽しくないですね。

  • formidable
  • ベストアンサー率15% (470/2940)
回答No.2

後者でしょうね。 《流石、素晴しいご高説ですな。この際、是非、 書いて魅せてくださいませんか。是非、ご論文に纏めて 魅せてください》 と言ってみましょう。 <サシスセソ>で賞賛しましょう。 サ……流石 シ…… ス……素晴しい セ…… ソ…… 他は、アナタご自身で考えてみてください。 但し、《凄い》《凄~い》《スゲェ》は、 おバカと思われてしまいますので、要注意です。 次に、また何かを言ってきたら 《それも書いておいてください。たのしみにしています》 くらいのことを言いましょう。 本当に書いてきたら、 《後で、ゆっくり拝見させていただきます》 と受けておきましょう。 後日、感想を求めてきたら 《ゆっくり鑑賞させていただいております》とだけ。 機会を見て、 《ちょっと、期待外れのところがありましたね。せっかくの ご論文が Mottainai》 といった対応もします。 そんな対応をつづけていれば、 そのうち近づいてこなくなります。 ただ、 言動は飛去来(=Boomerang)のように還って参りますので 思わぬところから還ってくることがあることも 心に止めておきましょう。 以上のような揶揄っぽい方法ではなしに、 小説・童話・絵本・哲学論文・エッセーetc.を 書くことに才能を活かすように真摯に提案、 対応するのも1つの方法です。

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20298/40238)
回答No.1

自分なりに孤独と折り合いをつけようと必死になっている部分はあると思うんですけどね。その過程で色々と自分だけでなく周りの環境や境遇に対して僻んだり、捌け口を見出そうとする行為がだんだん素直さを欠いてしまう事はあるかもしれませんよね。 本人が変わらないと周りはどうしようもありませんからね。 自分なりにその孤独という限定状況を少しでも打開していこうと思えばやはり心を開いていかなと難しい訳ですし。その際に長い間の孤独感がつい自然な部分を自然に受け止められないが故の理屈や素直じゃない部分なんでしょうけどね。本人がそれに気づいて少しずつ変わっていくしかないですよね☆

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