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古文の敬語について
ある時、鎌倉に下りける僧のありけるに、文一つ書きて、ことつて下さんと語らひければ、この僧、「やすきほどの御ことなら」とありければ、嬉しく思ひて、文を書きて、この御僧に奉る。 ~ たしかに届けて、僧は、すなわち帰られけり。 最後の帰られけりの「れ」は尊敬になっています。 でも僧への敬意は「奉る」だけで、他は敬意を払っていません。 こういうことってあるのでしょうか? よろしくお願いします。
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それほど詳しい者ではありませんので、参考までに。 出典がわかりませんが、平安の作品と比べて後世になるほど敬語表現は緩くなっていくようです。 その人物に対して常に敬意が表されていないのに、ごくたまに敬語表現が使われるような文章もありえるでしょう。 現実の文章がそのようであれば、「そういうこともある」としか言いようがないと思われます。 恐らく、それほど気になさることではないかな、と思います。
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- banzaiA
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回答No.2
では、質問者さんは、この「れ」は何だとお考えですか? 『受け身、尊敬、可能、自発』の「る」の連用形ですよね? 消去法で考えて下さい。 受け身でもなければ自発でもない。可能でもないなら 尊敬でしかないのではないですか。
質問者
お礼
よくわかりました。ありがとうございます。
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