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不安神経症(疾病恐怖?)

自分には血液のがんと言う持病があり、現在経過観察中です。 日常の中でそんな状況ですから、持病とは別のがんなのでは、と何かの拍子にとても不安になり、医者に行き問題ないと診察されても疑ったり、それが収まったら違う病気が気になる…と言うのを繰り返し、とても辛いです。 自分なりに冷静に、神経症の一種だなと考え、心療内科にいこうと思うのですが、持病の病院が遠く、不安の症状が出ているときは電車に乗れません。そこで近所の大きな精神病院へ行こうと思うのですが、やはり持病があると主治医の許可を貰ってから来なさいと帰されるのではないかと不安です。 なにかいい方法はないでしょうか…

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  • hipotama
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回答No.2

血液のガンという重篤なご病気で心中察し申しあげます。さて、「主治医の許可」と言うことですが、精神科にかかる際に既往歴に書くと思います。薬物療法で薬の処方する際に、既往歴の薬と相互干渉する場合は言われるかもしれません。 不安神経症の人に「気にするな」と言っても、無理なことだと思います。「気にしない」「気にしない」と思えば思うほど「気になってしまいます。」それではどうするかと言うことですが、現状を受け入れそれとともにどう生きていくかと言うことです。 父は直腸ガンで亡くなり、母は乳ガンで乳房を切除しました。その両親の子供ですから、ガンの発生率は高くなると思います。ある時歯医者に行ったら「紹介状を書きますから、大きな病院に行ってください。」と言われました。紹介状をそっと見たら、「白板症の疑い」と書かれていました。白板症というのは口腔内に出来る前ガン状態のものです。2~3時間待たされ、口の中を2~3秒見て「大丈夫です。」と言われました。お医者さんは長く待たされていることに恐縮して「すみませんね。」と言いましたが、私は「大丈夫です。」と言われたことにほっとしました。何時ガンにかかるかもしれないと言う不安の中で、その前兆があったらすぐ、病院にと考えています。ガン宣告された場合には、それも運命かなと思います。女房には、「あなたは病院が好きだね。」と言われてしまいました。 鬱病質の人とそうでない人との現状認識の性格さを調査した研究があります。それによると、前者の人が現状を性格に認識しているそうです。現状を正確に認識していますが、それが返って仇となりストレスがかかってしまうそうです。質問者の場合も、今の現状を「神経症の一種」と正確に現状分析しています。しかし、その先に「電車に乗ったら不安症が出たら」「受診拒否されたら」と、マイナスのあらゆる想定をしてしまうと思います。それで、がんじがらめになって身動きが取れなくなってしまうと思います。 高校時代に青春学園ドラマを見ました。その中で主人公の教師が言った「Let's Begin」(何かを始めよう)をそう言う身動きが取れなくなったときに思い出します。がんじがらめの状態の時に、何かしらの行動を何も考えずに起こしたらどうでしょうか。まず、精神科に行くことを考えて見てはどうでしょうか。 運命と言うことを書きましたが、後一歩間違えれば交通事故で死んでいたのではということがありました。好運の連続で、けが一つしませんでした。それは、亡くなった父が守護霊になって守ってくれたのかなと思いましたが、霊の見えるという人にこの話をしたらそうではないと言われました。私はまだ生きながらえて、まだやることがある運命だと言われました。 質問者は血液のガンで経過観察中ということなので、2~3ヶ月、6ヶ月に定期検査すると思います。その時に異常なしと言われたときに、「また3ヶ月生きることが出来た」と考えてはどうでしょうか。この先3ヶ月は分からないが、とにかく3ヶ月は生きられた。分からない先の3ヶ月をまた生きられたと言えるようにしたいと考えてはどうでしょうか。マイナス思考する人は過去に囚われず未来を考えてとした方が上手くいく場合があります。質問者の場合は、「逆も真なり」で未来のことを考えるのでなく、過去を考えると言う方が上手くいくかなと思いました。 当事者になってその情況にならなければ、その心情は分からないと思います。私の少し似た経験から考えて見ました。ヒントになれば幸いです。

colona-a
質問者

お礼

hipotamaさま、ご回答ありがとうございました。 冷静な文章の中に気遣いが感じられて読んでてすこしキモチが楽になりました。 私は現在維持療法中で、半年毎に投薬治療をして病勢をコントロールしている状態です。 寛解 にいたっておらず、つまり年中病気な訳ですが、不思議とその間はやはり【半年無事だった!あと半年は自由!】と考えることが出来ました。しかし何らかの精神的なショックを受けるととたんに不安定になり、病気のことばかり考えてしまう時期があります。前向きな時期に戻りたい!と強く願うのですが、なかなかその道が見つからず、迷子になる事も多々あります。 急がないで寄り道しながら、なんとか大通りまで出られるように頑張って歩きたいです。 回答、本当にありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • 20042000
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.3

私も疾病恐怖になった経験があります。ひょっとしたことから「肝炎」が気になりました。病院に行き検査を受け「問題ない」と診断されても「ひょっとしてA型」じゃないかと思い、別の病院へ。診察では又「問題ない」と言われ、その時「徹底的に調べるなら、抗原検査が必要」と言われ、またはじめから検査をやりなおしました。手帳は検査日と結果日とでびっしり。病院めぐりでした。完全な「不安神経症」です。精神科へ行こうと思っていた時「森田療法」「生活発見の会」を知り、入会しました。ここはNPO団体です。このような神経症に陥るタイプは神経質タイプの性格で、完全主義、観念的、自己中心的な生き方の特徴を持っています。要は、「人生、物事の考え方、価値観、認識の仕方がやや偏っている」場合が多いようです。怖いものは怖い。不安なものは不安。これが自然です。これを怖くないようにしよう、不安でないようにしようとするところに無理がきます。コロナさんの場合は持病の定期的診断を受け、医者の診断を「事実」と受け止め、今、コロナさんがやらねばならないこと、ビジネスマンならきちんと仕事をし、主婦なら家族のために家事をし、学生なら勉強。要は、事実(検査結果とお医者さんの言うことに直にしたがい)を受け止め、やるべきことをやること。気分本位に流されないことです。コロナさんは、精神的病気ではありません。だれもが感じることを感じているだけです。そのままで、いまやるべきことやる生活が大切。必要なら「森田療法」「NPO生活の発見会」をインターネットで調べてください。同じような悩みの方がたくさんいらっしゃり、立ち直ってます。では。

colona-a
質問者

お礼

回答ありがとうございました。20042000さんのおっしゃる主張、私も頭の中でシュミレートしたことのひとつです。前向きに、やるべきことをやる。考えてもどうにもならない。それは分かっているのですが、その思考が私の感情を支配できないときにどうしようもない不安にかられるのであって、前向きな思考で理論的に感情を整理できるのなら、こんな症状には悩まされていないと思うのです。 私も何人かの人に森田療法を薦められましたが、それが全て正しいものとは思えません。 >怖いものは怖い。不安なものは不安。これが自然です。 そう、自然な状態ならそれで精神の整理をつけられますが、つけられないとき人は精神を病みます。疾病恐怖がもし根拠のないところからの発生なら、前向きに考えることも出来るかも知れませんが、実際にがんとなり、闘病し、その過程で本当の恐怖を味わった人間が他の病気におびえることと、何もない病気におびえるのでは意味が違うのではないかと私は考えます。

  • formidable
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回答No.1

Hypochondriac Delusionっぽく アレコレ考えずに、とりあえず、 その病院に行ってみませんか。 あるいは 電車に乗れるときに 主治医に会って、症状を言い、 専門の病院を紹介してもらうか アナタが希望する病院への 紹介状を書いてもらうと 宜しいでしょう。 直接行って《許可を貰ってから来なさい》 と言われたら、《やっぱりそうか》くらいに 受けて、紹介状を持って 再び行くのもいいでしょうし、 それを、それほど、苦痛に おもわないようにしましょう。 ※闘病中は諸種の辛さがあるのですが 趣味や特技でリフレッシュしたり 無理のないところで 地域の人たちと交流して、 (コトバが十全ではないのですが) 病気を忘れるような感じで暮らすと 宜しいのではないでしょうか。 私の子ども(♂)は 治らない血液の病気なのですが (生き抜いてみせるとい決意の表れなのか) 自力でマンションを購入して 1匹の猫と暮らしています。

colona-a
質問者

お礼

formidableさま、ご回答ありがとうございました。 少し落ち着いたら頑張って心療内科に行ってみようと思います。 お子さんが血液の病気のようで、心配ですね。(再生不良性貧血かなにかでしょうか?)お大事になさってください。 猫をかっておられるようで、実は私の今回の不安発作の引き金は、飼い犬の悪性腫瘍発症が原因でした。身近な者の病気やらなにやらでも、不安になってしまうようです。 病気になると、いずれ自分はいなくなるのだからと周りと距離を置きがちになってしまいます。それは知り合った人を自分の死で傷つけてしまうのではないかと言う恐怖からくるものです。でもformidableさんのおっしゃるように、少しは交流をもって気分転換してもいいのかなと感じました。 ありがとうございました。

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