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「人」という字と、「ヒト」という読み方。
お世話になります。言葉の読み方の語源を調べています。 「人」という漢字は「人と人が支えあっている姿」とよく言われますが、本当は「一人の人が立っている姿」をもとにしているものです。 では、日本人は「人」を「ヒト」と読むのはどういった意味からなんでしょう?? 私が聞いたことがあるのは、「一(ひ)から十(とお)まで」で「ヒト」。つまり一通りのことができるようになって、一人立ちした「人」になる。その、一から十までの間を「人間」と言い、人と人との間というときは「ニンゲン」ではなく「ジンカン」と読むべきだ。というものです。 この説がどこまで正しいかはさておきまして、なぜ「人」を「ヒト」と読むんでしょうか?教えてください。
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#5です。 たびたび書き込みまして申し訳ございません。#4の私の回答に対するお礼の欄の内容で気になったことがありますので、もう一度書かせて頂きます。 #3の回答に書いた南方熊楠の言葉「最も入用なる頭や血を呼ぶ名さえなく、これもそれも外国より輸入するを俟(ま)ちたりとすべきや。」を思い出して下さい。ヒトを表すManや男や女などの最も原始的な言葉に対してもっともらしい語源を説くのは、エンターテイメントとしては面白いかもしれませんが、そんな最も入用な言葉を外国から輸入したり、ユダヤ人と言う外国人の逸話に影響を受けたと言うのは、本末転倒になっていませんか、と言うことを#3で述べたかったですが。
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- cyototu
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#4です。書き忘れたことがあります。 英語では「Man」と言う言葉の中に、「人間」(ヒトとヒトとの関係)や「他人」という情報は入っておりません。一方、その言葉はしばしば「男性」という意味にも使われます。そのことから、英語圏の人達の持っている人間観が日本人のそれとは全然違っていることが判りますね。
お礼
続けて回答ありがとうございます。 >>英語では「Man」と言う言葉の中に、「人間」(ヒトとヒトとの関係)や「他人」という情報は入っておりません。 確かにそうですね。「Man」の語源は先に書かせていただいたサンスクリット語の人間という意味の「manusya」で、「man(考える)」という動詞から派生したもので、古くはバラマン教の経典ヴェーダには「manu」と表記されることもあります。ですから、語源から考えればmanとは「考える者」という意味で、他の動物とヒトはどこが違うかということで、ヒトを表そうとしたものといえます。 >>一方、その言葉はしばしば「男性」という意味にも使われます。そのことから、英語圏の人達の持っている人間観が日本人のそれとは全然違っていることが判りますね。 確かにそうですね。本来「ヒト」をあらわすものが「男性」意で使われる。キリスト教の最初の人間アダムなんてことが関係してくるのかもしれません。そういう意味では漢字の「女」は手を前で組んで静かに座る女性の姿を現すのに対し、「男」は会意文字(いくつかの文字を合体させて作った字)で「田」「力」ですから経済力という機能をもって男をあらわすわけです。稼がないと男とは認められないんですかねぇ。深刻な問題です。 まぁ、この質問を機に色々調べてみましたが、お国お国使う言葉で色々違いますねぇ。その中から、日本人の特性なども探ってみたいと思います。 どうもお世話になりました。
- cyototu
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#3です。質問の趣旨が分かりました。日本人の人間観を理解したいと言うことですね。 そのことについて参考になるものとして和辻哲郎の「人間の学としても倫理学」を挙げておきます。もともと中国では「人間」とはヒトを指さず、ヒトとヒトとの関係を指しているのだと言うことを、この本で初めて知りました。日本人がその元の意味を強調したい時には、今でもそれを「じんかん」と読ませています。その本を読んで大分後になってから中国人の友人に「人間」とは「人(ヒト)」のことかと聞いたら、とんでもないと答えられました。「人間」とヒトを同じものと考える不思議さを分析することで日本人独特な人間観を分析したのが、上に擧げた和辻哲郎の本です。 また、私は以前から日本人の人間観を探る他のキーワードに「ヒトの物をとるな」と言う言葉があると思っています。この場合「ヒト」は「他人」と書いて「人」とは書きませんね。つまり日本人の人間観の中に「ヒト」とは他者であって、自分のことではないという側面もあるという点です。例えば「ヒトとして生まれて来た自分」という表現でも、先ず自分の心の外側に立って人の集団を眺め、その中にいる自分を他人事として認識していますね。ヒト=他人、この異様さは、他の民族にない日本人独特な個性であるように思えるのですが、如何なものでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 >>和辻哲郎の「人間の学としても倫理学」を挙げておきます。 >>「人間」とヒトを同じものと考える不思議さを分析することで日本人独特な人間観を分析したのが、上に擧げた和辻哲郎の本です。 なるほど。面白そうですねぇ。本を調べさせていただきます。 >>ヒト=他人、この異様さは、他の民族にない日本人独特な個性であるように思えるのですが、如何なものでしょうか。 確かに、私は他人=ヒトということも含めてヒトという語源に何か理由があるのではないかと思ったわけです。 ありがとうございます。参考にさせていただきます。
- cyototu
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質問の意味が今ひとつ判りませんが、先ずは#1さんの回答で十分だと思います。 もし、質問者さんが、何故日本人はヒトをヒトと呼ぶのかと言うことの謂れを聞いているのでしたら、ヒト、テ、アシ、アタマ、クビ、メ、ハナ、クチなどの最も原始的な言葉に対してもっともらしい語源を説くのは、エンターテイメントとしては面白いかもしれませんが、真面目に取り上げる問題だとは思えません。如何なものでしょうか。 このような問題を考える時に参考になる考え方を、日本民俗学の巨人南方熊楠が、もう一人の巨人柳田國男に明治44年10月10日に書いた書簡から抜粋しておきます。この議論は語源の問題ではなく、ある言葉が果たして外国から来た言葉なのか、あるいは元々日本にあった言葉なのかと言う問題に対して、外国から来たと考えている連中がいろんな理屈を付けてもっともらしいことを言っていることを批判している文章です。 「もし、これもかれも外国より来たりといわば(吼猴さえ四十余種の異声を発するに)最下の蛮民さえ、頭や血や男根、陰嚢ぐらいの用語あるに、日本人少なくも耶蘇紀元前すでに立国せし国民で居りながら、立国に最も入用なる頭や血を呼ぶ名さえなく、これもそれも外国より輸入するを俟(ま)ちたりとすべきや。」 誤解を避けるためにもう一度書きますが、私がここで言いたいのは、ヒトという言葉が輸入された言葉であるかどうかというのではありません。日本人が言葉を話すようになった最も初期の段階ですでに必要とされているような基本的な言葉が出来た理由が、それよりももっと後代になってやっと考えられるような理屈に基づいて出来たと言う論理の倒錯が、けれん味のあるエンターテイメント的な発想だと言いたいのです。
お礼
>>日本人が言葉を話すようになった最も初期の段階ですでに必要とされているような基本的な言葉が出来た理由が、それよりももっと後代になってやっと考えられるような理屈に基づいて出来たと言う論理の倒錯が、けれん味のあるエンターテイメント的な発想だと言いたいのです。 なるほど、ごもっともです。私としても理屈をもって日本人がヒトをヒトと呼称するようなったというよりも、なんとなくそうなっていったというほうが妥当なのかなと思います。 この質問を思いつきましたのは、語源をたどるということは日本人は「ヒト」をどのように捉えていたか?ということにつながるのではないかと思ったからです。。 例えば、高橋 弘次氏によればサンスクリット語の「人」いう意味を持つ言葉は大きく分けると三つあるそうです。(1)人間(2)衆生(3)凡夫の三つだそうで、原意としては(1)考える者(2)執着するもの(3)王者・聖者に対して身分の低い者または愚者となります。(1)は一般的な用語であり、(2)(3)は仏教用語として使われますから仏教の人間観を見ることができます。 まぁ、サンスクリット語は文法を規定して意図的に作られた言語ですから、どのような意図で作られたかが分かりやすい言語といえるでしょう。また、漢字は象形文字ですから意味ははかりやすい。けれども日本語はそうじゃない。そこで語源を調べれば、当時の人たちがどのような人間観を持っていたかが分かるかと思ったしだいです。 ご意見参考にしながら調べていきたいと思います。回答ありがとうございました。
つまり、「ヒト」の語源が知りたいのでしょうか? 「日本国語大辞典」には13種もの語源説が載っています。ですから、「定説はない」という解釈が順当かと思います。 ちなみに、その中に質問者様のお聞きになった説は載っていませんでした。
お礼
>>つまり、「ヒト」の語源が知りたいのでしょうか? シンプルにそう書けばよかったですね。すみません。 >>「日本国語大辞典」には13種もの語源説が載っています。ですから、「定説はない」という解釈が順当かと思います。 そんなに載ってるんですか?調べてみます。ありがとうございます。 >>ちなみに、その中に質問者様のお聞きになった説は載っていませんでした。 ヤッパリあれは金八先生の説明と、それほど変わらないんですね。ありがとうございます。
- Tacosan
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「人」と「ヒト」と読むのは, たぶん中国において「人」の指すものと日本において「ヒト」の指すものが同じだったからではないかと. 「世間」のことを「人間」と書いて「ジンカン」と読ませることはあるみたいですね.
お礼
早速の回答ありがとうございます。 >>「人」と「ヒト」と読むのは, たぶん中国において「人」の指すものと日本において「ヒト」の指すものが同じだったから 私もそのように思います。 ちょっと私の質問の文章も悪かったですね。申し訳ないです。この質問の主題としては音としてなぜ日本人は「ヒト」という呼び方をするのかということです。「ヒ」と「ト」はどのような意味があるかってことですね。訂正させていただきます。 ご存知でしたらどうぞ教えてください。
お礼
たびたびお返事ありがとうございます。 >>ヒトを表すManや男や女などの最も原始的な言葉に対してもっともらしい語源を説くのは、エンターテイメントとしては面白いかもしれませんが、そんな最も入用な言葉を外国から輸入したり、ユダヤ人と言う外国人の逸話に影響を受けたと言うのは、本末転倒になっていませんか いやー、手厳しいご指摘。しかも、私が間違いだったようです。気になって調べてみたんですが、サンスクリット語においても人をあらわす男性詞「nrnam」は「人」と「男」両方の意味を備えていました。 そう考えるとたくさん疑問がわいてきます。もっとも入用な言葉であるはずの二つの用語が男=人とされるのか?なぜ、女=人ではないのか?また、日本語において「ひと」は「おとこ」という意味があるのか?それともインドヨーロッパ語族に限った現象であるのか?気になることが増えるばかりです。 >>最も入用なる頭や血を呼ぶ名さえなく、これもそれも外国より輸入するを俟(ま)ちたりとすべきや。」 まったくおっしゃるとおりで、先に書きましたこととは反対で、旧約聖書の神話において最初の人間を男した要因も言語的に見ていけるのかも?と思ったりもします。 どうやら、私はエンターテイメントが好きなようで申し訳ないです。回答ありがとうございました。参考にしながら、もう少し考えていきたいと思います。