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八王子教習所破綻における人の醜さについて
八王子自動車教習所債権者説明会の映像が動画で 流れています。 私はこれを見て人はここまで醜いのかという悲しみを もっています。 ニュースの記事 http://jp.youtube.com/watch?v=pFnqDibebOA&feature=related 普段は普通にいるのが、いきなり人を言葉でなぶり殺すように なってしまいます。 たしかにこの社長は、いきなり破たんする対応はものすごく 批判に値すると思います。 しかし、動画をみているともう社長の顔はなぶられた奴隷の ような顔をしています。 この映像をみて人とはここまで醜いのかと思いすごく 虚しいのです。自分たちはこれほどまでに醜く 平気に嬲れるだけの存在なのだと痛感しています。 よろしくお願いします。
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- osanem
- ベストアンサー率18% (83/438)
>普段は普通にいるのが、いきなり人を言葉でなぶり殺すようになってしまいます。 そうですか? あの程度、当たり前だと思います。債権者として金が返って来ない限り、怒りは収まらないのは当然です。 どうも、あの教習所は使用していた会場を数日前から手配していた報道もあります。真実ならば、悪質な計画倒産であり生徒、マスコミへの謝罪のフリをして、矛先をかわそうとしているとさえ感じますね。
- acmac
- ベストアンサー率54% (48/88)
肉親を殺されたとか、5億円を騙し取られたとか、そういう極限の状況であれば心情としては人間が人間を卑しめなぶるのはやむを得ないしむしろ自然だと思います。 残念なのはこの件の場合、たかだか5万とか30万程度の金銭的被害で相手を人間扱いしないような態度で怒り狂っている人々がいるということですね。相手が不正義を働いて自分が優位に立てば、汚い言葉で人間を罵ってよいとすれば、高利の金貸しが返済しない人に「内臓を売れ」というのもOKとなりますからね。ちょっと例えがずれているかもしれないですが。 いずれにしても教養と知のある大人ならここまでひどい態度ではないでしょう。若気の至りだなあと思ってみています。
- issaku
- ベストアンサー率47% (244/509)
むきだしになった人間の感情というものは、そういうものです。 自分が当事者になったときに、醜いと感じるその感想を惹起することができれば「冷静な人」という評価を得ることができ、なにより自分の自我を守る術となります。 激しい感情というの実は自分自身を壊すものであり、感情の抑制は自分を守るためにこそ必要な能力なのです。 ところで、私には、ネット上のイベントである「祭り」とかいう現象も同じように醜くさを感じます。 大半が無責任な傍観者であることを自覚しながら、当事者のように感情を高ぶらせて、その実は批難のための批判による自己肯定とそのための行動を娯楽として楽しんでいる分、余計に醜い光景であると私には感じます。 今回の件は、映像となっているからわかりやすいだけで、実にありふれた光景だと思います。
>普段は普通にいるのが、いきなり人を言葉でなぶり殺すように なってしまいます。 いや、たぶん普段普通の人はあんなときでもあんなこいいませんし、 実際、みんながみんないっていたわけではないし、 もともとああいう人なんでしょう。 誰でも自分の虎の子をもっていかれれば怒るのは当然、それを 群集心理をあおる形で、債権者をみな集め、ただでさえ怒っているところに、 入るのにまたされ、会場でまたされ、火に油を注いだ形の集会でした。 再建のための集会なら経営者が顔を出すのも道理ですが、 破産するのに矢面にたって集中砲火を浴びるのもどうかと思いました。 論点がかみ合わないですから意味がないのです。 逃げて、逃げて、しばらくたったら、みんなも怒りも冷め、冷静に戻る というのは卑怯だとでも思ったんでしょうね。
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