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昔のスペクタクル史劇の???
今日が2回目の質問になる、neuromanという茨城県民です。先日「アントニーとクレオパトラ」と「ジュリアスシーザー」を同じ日に見ました。そこで???なことがありました。 前者はチャールトンヘストン演じるマークアントニーが主人公、ヒロインはエジプト女王クレオパトラで、敵は若き日のジュリアスシーザーですが、当時のローマ世界はマークアントニー、レピドス、シーザーの三巨頭が覇権を争っていた様子。最終的にエジプト中心に力を持つマークアントニーとローマ本国のシーザーとの決戦となり、シーザーが勝利し、マークアントニーとクレオパトラは自決。という内容でした。 一方後者には晩年のシーザーが登場。ブルータスらに暗殺されます。その後の政権争いのときブルータス軍団のライバルとなった勢力がなんとチャールトンヘストン扮するマークアントニーという武将とレピドスという武将なんです。確か二人とも死んだはずでは???と思ったのですが・・・・これはどう解釈するべきなんでしょう?ローマ史やシェークスピア史劇に詳しい方!!よろしくどーぞ!!
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- nikubo
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gggghさんが観られた映画は共にチャールトン・ヘストン主役の 「ジュリアス・シーザー」1969年作 「アントニーとクレオパトラ」1971年作 とおもわれます。映画の製作順と歴史の流れは一致しています。 で、ggggghさんは逆の順番に観られたみたいですね。 アントニーとクレオパトラに敵対したのは若き日のジュリアス・シーザー ではなくオクタヴィアヌスの勘違いです。 これで矛盾がなくなると思います。 かなり、ちんぷんかんぷんな映画と思われたでしょうね。
- KINGBIRD
- ベストアンサー率53% (597/1108)
Q.「これはどう解釈するべきなんでしょう?」 A.「それは映画です。」 古代ローマで、シーザーが生きていた時代というと紀元前50年前後です。(シーザー自身は紀元前100年ごろ生まれ、暗殺されたのは紀元前44年です) 仰るようにシーザーを加えて3人でローマの勢力を作っていた時期があり、それは世界史では「第1回三頭政治」と呼ばれています。ただし、シーザー・アントニー(アントニウス?)・レピドスの面子ではないですね。 第一回がポンペイウス、シーザー、クラッスス、第二回がアントニウス・オクタヴィアヌス(後のアウグストゥス)、レピドスです。 ちなみにその第一回は、一人が戦死したため均衡が破れ、残る一人が元老院と手を組んでシーザーと敵対するという結果です。 マークアントニーというなんだかずいぶん英語っぽい名前はおそらくアントニウスでしょうね。クレオパトラと一緒に自殺した、と書いてあるところからして。 ちなみにレピドスが失脚したと伝えられているのが紀元前36年だから、シーザーの死後12年後、アントニウスもアクティウムの海戦でオクタヴィアヌスに敗れたのがシーザーの死後の紀元前31年なので、映画ではどちらが史実に近いか微妙なところですね。 答えとしてはそれは映画だから。なのですが、もしもっと詳しいことをお知りになりたければ日本人の作家としては塩野七生をお奨めします。 ところで・・・今回が二回目のneuromanですってことですが、ggggghのHNはいったいどういうこと??
お礼
有難うございました。史実の流れがこれではっきり分かり大満足です。2番目の方の答えと併せて考えると、映画だからというより僕自身の思い違いが原因と分かりました。今後ともよろしくお願いいたします。 あと、ちょっと突っ込ましていただきますとマークアントニーとかジュリアスシーザーとかって言うのは英語っぽいというか英語そのものですよね?ハリウッド作品ですからマルクスアントニウスとかユリウスカエサルでは「誰?」ってなりますからね。すいません!またごひいきに!
お礼
ありがとうございました。多分おっしゃる通りかと思います。「オクタヴィ・・・」と呼びかけられていたように思います。途中からシーザーだと思い込んでいたものですから、「オクタヴィ・・・」というのは何か分からないけど「執政官」みたいなシーザーにのみ許された敬称だろうな。と思っていました。 なるほど!そうなってくると面白いのは両作品でチャールトンヘストンがマークアントニーを演じたのもすごく効果的ですね!昇り竜の頃と落ち目の頃のコントラストが「もののあはれ」を誘います。1番目の回答の方と併せて考えると史実の流れも今はっきり分かりました。重ねて有難うございました。