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脳科学の情動
どこのカテゴリーが適切なのか分からず、ここで質問させていただきます。 脳科学でいわれる「情動」ということについて学んでみたいと思うのですが、読みやすい書籍やサイトをご存知であれば教えてください。私はどちらかといえば文型で、脳科学という分野は素人です。そんな人間でも読める入門書などがあれば助かります。また、アドバイス・ご意見等あればよろしくお願いします。
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どこのカテゴリーが適切なのか分からず、ここで質問させていただきます。 脳科学でいわれる「情動」ということについて学んでみたいと思うのですが、読みやすい書籍やサイトをご存知であれば教えてください。私はどちらかといえば文型で、脳科学という分野は素人です。そんな人間でも読める入門書などがあれば助かります。また、アドバイス・ご意見等あればよろしくお願いします。
お礼
回答ありがとうございます。 >>概論や総論が纏まったものというのは残念ながらほとんど手に入りません。 やはりそうですか。「情動」という言葉一つとっても、「感情」との線引きも脳科学と心理学の学問の違いや、書く人によって意味づけも異なることは感じていました。だからこそまだまだ、教科書となるような書物も出ていないのでしょう。 >>「情動」というのを理解するのに三年ほど掛かりました 私も腰をすえて考えて生きたいと思います。数多くのアドバイスと総論ありがとうございます。 また >>質問者さんがこれまで仏教学で扱ってこられましたのは「大脳皮質の理性行動」に当たります。 私が考えているのはここなんです。ruehasさんは鋭い方ですね。確かに仏教は「大脳皮質の理性行動」に影響をあたるものです。しかし、大「脳皮質の理性行動」させるためにそのためには「快情動」「不快情動」に働きかけているのではないかと思うのです。 たとえば、お釈迦様のお説教には「ガータ(原意は歌)」という節がついていたと言われます。それは、脳科学という言葉が無い時代から「大脳皮質の理性行動」を仏教的な善へと操作するために「情動」自体に働きかける手段としては節をつけるというのは有効だったのではないかと思うのです。 また、お釈迦様のお説教は「法説」「比喩」「因縁」の三構造を持っています。その中で、法説は理論ですから、理性という脳の表面部分に働きかけている。けれどもそれでは人を行動させるには不充分で、「情動」に働きかけなければならなかったら比喩や因縁話(具体例)をされていたのではないかと考えたわけです。私は一つのは大乗は仏教の物語化ではないかと思うのですが、物語という形式も「情動」に働きかけるには有効な手段なのではないかと思うんです。 仏教は理論を理解させるだけでは不充分で、相手に行動を起こさせる必要があります。ですから、仏教は経験的に「大脳皮質の理性行動」を「情動」に働きかけることで非常に合理的な進化をとでているのではないかと考えたんですね。 まぁ、仮説もいい所の素人のいい加減な考えなんですけどね。 回答ありがとうございます。挙げていただいた著作も探して見ます。ありがとうございました。