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「観光」は何故、「観行」ではないのか?
こんばんわ。 この間、「松本人志のゆるせない話」(あの「すべらない話」の スピンオフ番組。)という番組で、松本人志が「観光」というテーマで 「‘観光‘は絶対、‘観行‘でしょう。‘観に行く‘でしょう! 俺が国語の先生で、漢字テストをやったら‘観行‘と書いた子 に点数やって、‘観光‘と書いた子にげんこつや!」 と言ってました。大笑いしながらも、「なるほど。そういえば何故?」 と思ってしまいました。何故なんでしょう?意味からしたら 「観行」の方がわかりやすくないか?特に外国人なんか混乱するような 気がします。理由を知っている人、教えてください。
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- ccloveforu
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光という字にはこの世とかこの世界、ひいては世間という 意味があります。古くは仏教用語からの派生ですが、それが この熟語の元となったものです。つまり、意味としては、 世間のさまざまな様子を見に出かける、というような意味です。 テレビでの話は国語を知っている人または漢文の教養のある 人ならそういう訓読はできないことはすぐ分かります。
語源はいろいろ出てますが、 日本では観光という考えそのものが無かったので 英語を翻訳した際の漢字を選ぶ話と思います。 ですから厳格な語源はというと英語のsight seeingですね。
- morimaru47
- ベストアンサー率56% (499/884)
「観」の字には、見回すという意味があります。 「光」の字には、風景という意味もあります。例えば、「風光」という熟語がありますよね。 そこで、きちんとした語源があるようですが、「観光」の字義は、よその土地の風景などを見て回るというようなことになります。 仮に「観行」としたならば、単に観に行くということになって、意味が広がり過ぎるでしょう。事故や火事でも、展覧会でも、野球の試合でも、何でもかんでも「観に行く」です。 そこで、見物や遊覧などの行楽的なニュアンスに限定するために、「観光」となっているのでしょう。やっぱり、「観行旅行」とか「観行客」では意味が通らないと思います。
- fregrea
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こんにちは。 漢字源という漢和辞典によると、 「光」には景色という意味があるそうです。 けしきを観るから「観光」と表すのではないでしょうか。 広辞苑でも「観光」について同旨の解説をしています。 以上、参考になれば幸いです。
- shiritai
- ベストアンサー率43% (10/23)
ウィキペディアで、下記のようにありました。 語源は易経の、「国の光を観る。用て王に賓たるに利し」との一節による。