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『人を呪わば穴二つ』を実感した経験談を教えて下さい

 『人を呪わば穴二つ』というのは、「人を恨んだり呪ったりすると、さらなる不幸を招くことになる」という意味だと思いますが、なかなかこの言葉を実感することができません。  理性では「恨み辛みはきれいサッパリと忘れて、もっと前向きに行きよう」と思うのですが、理不尽な目に遭わされた相手に対する憎しみをどうしても消すことができません。  このような自分を戒めるため、『人を呪わば穴二つ』という言葉を実感した経験談をお持ちの方、教えていただけないでしょうか。 

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noname#5841
noname#5841
回答No.3

私の知ってる人で、いました。 「人を恨んだり呪ったりすると、さらなる不幸を招くことに」なった人。 確かに、理不尽な目に遭ったし、それに同情する余地も多分にあったのですが、いつまでもその事を引きずってるために、会う度に表情はきつくなって、会話もなにかにつけ、その事に持って行くので、一緒にいても全然楽しくなくて。 で、次第に付き合いが遠のいて行ったのですが、時々聞こえてくるのは、『誰も私を理解してくれない。誰も信用できない』って言いわめいてる、という事。 理不尽な目に遭わせた人については、彼女にどんなにひどい事したのか、彼女が再三言わなくっても、誰もが知っているので、当たり前ですが、誰も付き合おうとしないし、信用しない状況になっているので、本当なら、もう、呪い続ける(憎み続ける)必要なんてないんですけど、あまりにもずっと考えてしまった為に、どうしたらその怒りを昇華できるのか、という事を本人自身が見失って、身近な信頼できる人をも失って、泥沼にハマッタまま、という感じになって…。 たぶん、それが『人を呪わば穴二つ(さらなる不幸を招く)』って事なのではないかな、と思います。 また、誰かを理不尽な目に遭わせた事のある人って、なんとなく、分かりますしね。態度の端々にそういう雰囲気が出てるので、表面上、普通に接していても、すぐに疎遠になったいくし、誰もまともに相手しないから、仕事とかもこなくなるし、飲みなんかにも誘われないし、で、放っておいても孤立して、痛い目に遭っていくものですよ(いわゆる、身からでた錆、ですね)。 morecutterさんが、その相手に直接仕返ししなくても、相手自ら悪い状況に陥って行くもの。 今直ぐは無理かも知れないけれど、怒りは怒りとして『一時保留』と考え他方がいいです。絶対に。 で、美味しいもの食べたり、友達と遊んだり、映画みたりして、他の事に気を紛らわせている内に、怒りはだんだんフェードアウトしていきますよ。 私も相当理不尽な目にあって、怒りのやり場に悩んだ事がありましたが、上に書いた知り合いの件を知っていたので、思い返すと怒りの感情が出てくるのは仕方ないものとして、それについて深く考える事はやめて、できるだけ楽しい事を考えるようにしていったら、今では笑い話にすら、できるようになりましたよ。 ご参考になれば、幸いです。

morecutter
質問者

お礼

 なんだか身につまされるお話しです。  私も怨みのオーラがにじみ出て、周囲から敬遠されていたかもしれません。  「なぜ私がこんな目に遭わされるのか」と怒り心頭に発する思いですが、他人を陥れたり、意地悪をする人は、たった一人にだけするのではなく、複数の犠牲者がいて、想像以上に嫌われているようです。  私が被害に遭った人物も、頭がよくて権力もありましたが、決して人望はありませんでした。自分で掘った墓穴に入る日もそう遠くないかもしれません。  でもそんな下らない奴の不幸を願うより、自分が幸せになる方法を考える方が大事ですよね。  たいへん参考になりました。回答ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • mira5656
  • ベストアンサー率27% (10/37)
回答No.4

皆さんの回答は、とても参考になりますね。 私は中学、高校生の時、仲のよい友達もいて楽しかったのですが、それ以上に腹の立つことの連続でした。思春期で皆、お互いに子供だったと今は気にしていませんが、あの頃は他人に対して批判ばかりしていました。嫌いなヤツが不幸なめに遭えばいい、とさえ思っていました。すると驚いたことに面白いほど、嫌っていた人達に災難がふりかかりました。死ぬほどの事故が起こったわけではありませんが、それを見て自分の念みたいなものが通じたのか、と思いました。しかしその後、私自身事故に遭いました。骨を折ったりなどの酷いケガはしませんでしたが、今でも気にするような傷を負いました。その時に感じたのが、他人に対する憎悪が全て自分の身にふりかかったのだ、という事でした。 今も昔の色んな出来事をきれいサッパリ忘れてるわけではありませんが、思い出さないようにしているし、なにより今は自分の目標や、やるべき事をするのが最優先なので、考えるヒマもありません!それに大切な友達や恋人がいるので毎日が充実していて楽しいです。腹の立つことも滅多にありませんし、他人の言動もほとんど気になりません。あの出来事があったからなのかは分かりませんが。 きっと今までの自分の態度や言動に、嫌な思いをした人がいるでしょうから、まずは自分をもっと向上させなきゃ、と思います。今まできづけなかった人の思いやりも感じる事が出来るようになりました。 長くなりましたが、腹のたつひとはどこにでも必ずいるものですから、気にしないで、あなたが本当に大切で失いたくない、と思う人達を大事にして、もっと自分の人生を楽しんで下さい!

morecutter
質問者

お礼

 おっしゃるとおり「腹の立つ人はどこにでも必ずいる」のだから、囚われすぎないことが肝要かもしれません。  自分では意識していなかったのですが、私は執念深い性格なのかもしれません。  これは生まれ持った性格なので意識して治していかないといけないと思います。  貴重なご意見、ありがとうございました。

  • curo717
  • ベストアンサー率35% (5/14)
回答No.2

「人を呪わば穴二つ」というのは、憎しみや復讐心は相手を傷つけると同時に自分も傷つけることをいいます。 「穴二つ」というのは、墓穴のことで、相手と自分の分です。 こういうふうに見ると、あなた自身思い当たることがあると思います。 そんなに珍しいことではないと思います。 些細なことなら、日常の人間関係などで経験することがあると思います。 極端な例では、人を殺した(復讐でもいい)が、自分も刑務所に入り死刑になるようなものです。 自分にあるパワーは、他人(ひと)にもあるのです。 自分が憎しみを持てば、必ず相手も持ちます。 相手を倒すことは出来るでしょうが、相手のパワーで自分も傷つくことは避けられません。 だから、許すということは、自分が傷つかないように自分の為でもあるのです。 反対に、「情けは人の為ならず」という言葉があります。 違う意味に捉えられていることが多いのですが、元の意味は「(他の)人に情けをかけるのは、相手の為にならない」という意味ではありません。 人に情けをかけることは「人(他人)の為でなく自分の為である」という意味です。 例え、その直接のお返しがなくても、人を理解したり、助けたりすることは、自分自身の心を豊かにするという意味です。 ある目的は、強い意志があれば達成されるでしょう。 しかし、その背後に愛情があるか、憎しみがあるかで抱き合わせで付いてくるものが違います。 憎しみには、目的の達成と同時に破滅的な付録が付いてきます。 年の功より

morecutter
質問者

お礼

 小人の私は「こんな悪い奴は、天に代わってお仕置きしてやりたい!」などと不埒なことを思ってしまうのですが、復讐のエネルギーが反射して返ってきたら、さらに自分を傷つけることになるんですね。  生きている限り理不尽なことはたくさんあるのだから、ある程度の諦めが必要かもしれません。  回答ありがとうございました。  

  • asuca
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回答No.1

自分自身の話ではないのですが、好きな人が出来てその人が好きな人とうまくいくことを妨害するためにあることないことを噂に流し、その結果その噂の元がわかってしまったがために二度と好きな人の前に顔を出せなくなったやつがいましたね。 私自身の話としてはちょっと意味が違うのかもしれませんがアメリカで業務妨害を受けた相手を訴えたとき勝訴はしたんですが実際に受け取った賠償金よりも裁判にかかった費用の方が遙かに大きかったということがありました。

morecutter
質問者

お礼

 よほど重大なことでもなければ「負けるが勝ち」なのかもしれませんね。  復讐して得られるものより、払う犠牲の方が大きいのであれば、割り切って忘れてしまう方がずっと利口なのだということがわかりました。  回答ありがとうございました。

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