- ベストアンサー
「なった人(経験者)じゃないとわからない」という言葉について
私はなぜかよく人の愚痴や悩みを聞かされてしまうのですが、それに対して慰めたり共感したりすると、 「こんなの経験した人じゃないとわからないよ!」とか言い返されることがあります。 この言葉には「あなたはこういう経験したことがないくせに、わかったようなことを言わないで」 といった意味が含まれているようですが、いや私も経験しているんだけど…。 と、こんな経験ありませんか? 私はこういう言葉を言われると、なんだかすごく嫌な気持ちになり、 何だか納得できない気分、そして何となく相手に対して軽い軽蔑心のようなものを抱いてしまいます。 なぜそんな風に思うのかを、言葉で整理して文章で説明したいのですが、 自分の中ではっきりとよくわかりません。 そこで質問なのですが、みなさんはこういう言葉を相手に言われたとき、 その言葉をどのように取りますか?そして言われたときの気持ちはどんな気持ちで、どう思いますか? 変な質問だとは思いますが、答えてあげてもいーよという人がいましたら、 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (19)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
「こんなの経験した人じゃないとわからないよ!」と、言われたら、「ま、そうだわな」と思いますが、そんなに心が乱れませんね。私の場合。というか、幸い自分にはそういう苦しみがなくて幸運だったなあ・・・と思います。 「痛み」というのは、人間の感覚の中で一番共有できないものなんだそうですね。あと、喉元すぎれば熱さ忘れるみたいに、自分が経験してても、過ぎてしまうとむしろ経験者だけに厳しくなったりしますが、その厳しい態度は実は今苦しくないことからくる余裕かもしれませんしね。 例えば、女性の生理ってありますよね。元彼女が言っていたんですが、生理痛の重さ軽さって、本当に人それぞれなんだそうです。重い人は、とことん苦しいらしい。のたうつほどに。でも、軽い人は、本当に平気なんだそうです。少しだるい程度で、問題ないんだとか。 で、生理痛のきつい女性に一番厳しいのが、生理痛の軽い女性なんですってね。生理痛の軽い女性には、生理痛で動けない女性が甘えているようにしか見えないんだそうです。むしろ、生理がない男性の方が、「よく分からんが大変なんだろう」と許してくれるけれど、「私だって生理は毎月あるけど、頑張っているわ!」という女性は厳しいそうです。でも、こういう女性って、実は生理が軽いだけだったりするんですよね。頑張れるのは、痛みが軽いからなんですよね。本当にきついと頑張れないんでしょうね。 と、そういうわけで、私は「苦しい」状態の人の言動に反発心は起こらないですね。苦しくないだけで、十分幸せなので。むしろ、「悪いなあ」と思います。
その他の回答 (18)
- domaine-espoir
- ベストアンサー率11% (202/1743)
こんにちは。 自分だったら、 「うん、たしかにそういう(=本人として経験していないい)面、あるね・・・、自分の目線だけで言っていたね、ごめんねっ」と言います。 自分の目線だけじゃなくて、その人の目線もわかりたいという意識があるから。 たぶん、その経験があっても、こう言うかなぁとおもいます。 プロセスというかそこに至る過程も すべて自分のケースと違うこともあるって、 おもっているからなのかもしれません。 愚痴も悩みを言いたくなるときって、 自分のことで頭も心もいっぱいいっぱいになっていて、 自分を出さないと苦しいときなのかもしれない。 なので、あまりその言い方への自分の受け止め方のなかには、 あまり嫌だなぁとか軽蔑心を持ってしまうっていうのは ないですー。
お礼
回答ありがとうございます。 大人の対応ですね。私も大人にならなくちゃ。 みなさんの回答読みながらいろいろ考えると、 受け取り方は相手や内容によるケースバイケースで、 今回のはレアケースだな~と思いました。
- kinoppi
- ベストアンサー率22% (47/213)
その時の状況にもよりますが、大人気ない発言だなーと思ってしまいますね。 で、そういう相手には失礼ですがこっちも大人気ない態度で 「人に物を相談しておいてそれはないんじゃないの?」 と言いますよ。 つまりは愚痴をこぼしたりする場合は真逆の答えも十分有り得るという覚悟を持ってほしいと思いますよね。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね。 私は実際、精神的にあまり成熟していない方がよくそう言う気がしますね。 聞き手のこちら側が大人の態度で接する方がいいかもしれませんね。
- tips
- ベストアンサー率14% (829/5762)
こんにちは。 そうだよね、経験したことないから、 わからないよね、ごめんね、 でも、自分がもしそういう立場だったら こうおもうよ、それに○○さんが大事だとおもうから こうやって一緒に話を聞いてるんだよー でも、そうだよね、いうとおり、 経験のない、自分がいろいろと、ごめんねーと、 言うとおもいます。 たぶん、愚痴ったりしてるときって 人に対する余裕がないから、 なにをいわれても、ある程度しょうがないと あきらめます。
お礼
回答ありがとうございます。 回答者様はとても優しいですね。 私も愚痴を言ってくる人が大事な人だったり 内容がとても深刻なものだったら こんな感じになれると思います。
- bonnieMckee
- ベストアンサー率6% (20/321)
もしその様なことを言われたら… 「だったら私に愚痴らんといてくれる?」 と言うでしょう、きっと。 「私の気持ちなんて誰にも分からない!」っていう事でしょう? だったら自分一人で消化して下さいって感じです。 冷たいですか?
お礼
私も同様に思います。 冷たいのかな? それを言ったことはないのですが、言ったらきっと 冷たいと言われそうですね。 回答ありがとうございます。
この質問を見た瞬間に鬱病のことと思いました。 >「こんなの経験した人じゃないとわからないよ!」 この言葉は、鬱病に関しては 「経験した人でも他人のことはわからない!」 と、思っていますから。 #14さんの一連の回答は、胸が詰まる思いで読んで いました。 私も経験者ですから。 この質問は別のカテゴリーでされた方が懸命でしょう。
お礼
自分的には解決しているので、別カテゴリーで質問しなおす気はありません。 が、回答ありがとうございます。
>またまたたくさん書いてくださって、ありがとうございます。 他人事ではないですからね。 >こんな質問のためにお時間をけっこうとらせてしまったみたいで、なんかすみません。ありがとうございます。 コンピュータと外注先に指示を出して手待ちの時間が多い仕事なんです。 たまたま、空いてますから。 >鬱病に関しては自分自身も以前なったこともあり、 私の母が躁鬱病で、母の弟が鬱病で自殺しています。 >身内も一人鬱病により自死しておりますので、思うことがたくさん、たくさんありますが、 高校生のころから、躁鬱の母抱えて、文献は読み漁りました。25年前と今とではこの病気に 対する解釈も治療法も変わったと思います。 >ここではテーマが異なってしまうので書きません。 そのほうがいいでしょう。 >偏見と断定されてしまえば、もうこれ以上言えることは何もないです。 怒らないでください。心因性の躁鬱病というものはないと申し上げたいだけです。 それと、言うまでも無く鬱病患者を励ましてもなんの助けにもなりません。 気の持ちようで病状が回復するものでもないでしょう。 かくいう私が、高校時代、大学時代、布団に包まって乞食さながらにゴミタメ のような部屋で、真っ黒い化け物のようなやつれた顔の母を幾度も叱りつけて 「頑張れば働ける。家事をやれ! 甘えるな! お母さんの病気は贅沢病だ!」 叱咤激励し父は怒り狂い酒乱になって、弟は性格が歪んでいじけて小心な子供に そだち・・とにかく、言葉を尽くしても、何にもならないことは私もよくわかって いて、病気が意識のせい・・みたいないわれ方をすると、ものすごく反発を 感じます。すみません、みずしらずの方に不快な思いをさせてしまいました お許しください。 >きちんと治療をする意思はないけれど、医師も周囲も所詮無理解だというようなことをこぼし、 母と同じですね。 母がそれと同じことを口にしたとき、私は毎回激怒しましたけど、父はもう諦めていたのだと 思います。黙って一人でコップ酒を飲んでいましたっけ。 >リスカをしたときの話を楽しそうにしながら、薬を自慢げに見せる。 身内ならいざしらず、友達ならば放置するしかないです。自殺の現場検証に立ち会いたくは ないでしょう。 「・・で、最後にお会いになったとき、彼女はあなたに何て言ったんですか? そのときは死にたいとか、一切言ってなかったわけですよね。」 「係長、遺書がみつかりました。」 「そうか。・・・いえ、もう結構です、お引取りください」 >スニッフしたり好き勝手な服用の仕方をして楽しみ、 狂っている証拠なのですからそれについて感情的になっても仕方ないし 理性的に批判しても止められません。 身内が精神病になるのは大変つらいです。本人より近親者が狂いそうになるほど 悩むものです。 >寝る気がないのに眠剤を飲んで軽いトリップ感を味わって楽しむ。 というか、誘眠剤は副作用が少ないから、寝る前には必ず飲むべきですし いまの精神科が処方する誘眠剤でトリップできるものは少ないでしょう。 それは筋肉弛緩剤の類ではないですかね。 >そして「昨日も薬飲んだけれど眠れなかった」と愚痴をこぼす。 錠数を増やせばいいだけです。リチウム剤を一定量確実に飲み続けて、寝る前に誘眠剤をのんで 朝まで起きずに眠る。これを繰り返して、重い鬱病から半年で職場復帰した人間をみてきています。 一人で生活していたら治療は困難です。 誰かが傍にいて薬を飲ませ生活を管理する必要があります。 >私にはとても肯定できないけれど、そんな相手がとても「幸せそう」に見えていたように思います。 いずれ病状が悪化して自殺しても・・・ですか? 彼女に得たいものが何もないとしても、それは今見えないだけで無いわけではありません。 彼女にも、欲しいものはあります。大きな障害のむこうに隠れて見えないだけです。 目隠しをされて鬼さんこちらとはやされている人が楽しそうに見えるのは、いつか誰かを つかまえて、目隠しをはずして、その人と対面できる面白さがあるからでしょう。 そこに本当に誰もいなくて、目隠しも一生はずれないとしたら、それでもその人が 幸せしょうに見えるでしょうか。 去勢をはっているのだと思います。質問者さまに、強い競争意識をもっているのだと感じました。 >嫉妬の感情なのかなぁ。 相当お近しい間柄なんですね。まるで姉妹のようにお互いライバル視されていますね。 >とりあえずこの人とは、不毛な会話・関係にしかならないし、 そうだと思います。 >薬は私が言ってもちゃんと飲む気はなく、 直りません。一定量のみ続ければ確実に症状は改善します。 これは、病を自我と誤認する病気なのですから・・・意思とは無関係に服用させないと 普通にもどりません。本人普通でないのが好き・・・というか異常の自分を可愛がっている というかある意味病魔に精神を奪われているのです。 きつねつきのように悪魔祓いをすべきなのですが、それが微量金属の服用で可能という 単純な話です。 >最後はあの言葉を言われちゃうんで、 きつねが言ってますね。 >どうしても偏見を抱いてしまうしかない相手ですので、 普通の人間ではない病んだ精神と会話して、感情を乱されても仕方ないです。 >距離を置こうと思います。 というか、私の場合母であっても距離を置かざるをえませんでした。精神病の治療は 強制的に行うのが一番で、経済的事情が許せば集中的な入院治療が一番効果的です。 母は、躁病になると、私と父が町中追い掛け回して、見つけ出して車に押し込み 病院に連れていきました。カッコーの巣の上でという映画を観るたびにそのときの 自分が親不孝な利己主義のように思えて、自己嫌悪に陥ったものです。 まさに、神がかり状態で大騒ぎしていた母が、注射一本で人がかわったようにおとなしく なり、別人のように弱気になって、時々アル中病室の人や、アルツハイマーの老人を ののしったり、あんたこんなところで、弱気な人生おくったらいかん、と説教はじめたり 今300万円出資したら私が2年で5倍にして返すなどと先生に出資をもちかけたり そういうことがたまにあったのちに2週間くらいで鬱にもどるのです。 家に帰れば、自らのご乱行と失った金、迷惑をかけた人々のことを愚痴りはじめ いやだ、いやだを繰り返して、寝込むと、その先記憶はなくなる。 もう、躁うつ病は私にとって鬼のような病です。 ご自身ご経験がおありなら、というか私もふくめて遺伝的体質なのでお互い注意して 予防に努めましょう。悪魔のはやり病ですよ。 お友達程度の関係なら患者さんには近寄らないほうがいいですよ。 なまはんかな同情は治療のじゃまにしかなりません。 24時間はりついて薬を飲んだかチェックできるならぜひ面倒みてあげてください。 直ったら感謝されます。
お礼
何度も回答ありがとうございます。 相手は躁うつ病の診断ではないようでしたが、 そう考えて適当に距離を置くことにします。 特に親しいわけでもなく、ただのバイト仲間、職場の人間です。 今までもそうですが、仕事以外で、話しかけられなければこちらから話すことは何もありません。
というか atoganaiさん、精神科医もしくはカウンセラーなのでは?とふと思いました。 >はなぜかよく人の愚痴や悩みを聞かされてしまうのですが ってそれ仕事ですから仕方ないです。 >全肯定することの意味は、よくわかっているのですが カウンセラーなら当然ですよね。 >私自身も精神科に通う身なんですが、他人にそういうことを話せる性分じゃないので というか通うって通勤って意味じゃないですよね。先生なら自分が患者と同じたちば だなんて言えませんし、境界域の患者みたら、ほんまオマエ病気かいな?と 思ってしまうのもわかる気が・・・・考えすぎ>自分 ^^;
お礼
いえ、私は患者の方です。 カウンセラーなんてできるほど、心理のことはわかってないし、 口もヘタです。なんでいろんな人が私に愚痴を言ってくるのか、 相談めいたことを言ってくるのか、謎です。わかりません。 単に愚痴のはけ口に使うのに都合のいい奴、なのかもしれません。
一般に、「悩んでる人」ってのは、本当は答えはすでに自分の中で出ているものなんです。 この世の「悩み」には実は2種類しかなくて、 1.具体的な方法論が分からない 2.自分の望みを叶えるための今一歩が踏み出せない 悩みごとの99.999%は2.です。 なので、悩んでいる人に「これこれこうすればいいんじゃない?」と言ったりすると、「分かったふうなこと言わないで」と言われてしまいます。 これは、相手にしてみれば単なる指図でしかないからです。 だって本当は答えはその人の心の中にあるんですから、指図なんか必要ないんですもん。 よって、そういう人達の悩みを聞くときは、「その人が何を言いたいのか」を完璧に理解しようと努めるのみにしておくのがいいです。 このとき、「それって○○という意味?」と訊ね返すことに関しては何度やっても構いません。 ですが、「○○した方がいいよ」は、あなたが経験者だったとしてもやめた方がいいです。 もちろん、その人の心を後押しした結果として、その人が死んでしまったりするような場合は別ですけどね。
お礼
端的に、そのものずばりの真理ですね。 なるほどなぁ~その通りかも~と思いました。 確かに、私の言うことは指図なんでしょうね。 心に留めておきます。 ありがとうございました。
>愚痴や相談は精神的な病関係のことです。 そういうことなんですか。それはまた難しい領域の話ですね。 >つまり病気に対して理解がない、 鬱病が対象だとしたら、病気に対する理解は,医者でも難しいです。 私の母が30年以上罹患していましたので、どういうことなのかわかります。 分裂病なら入院させてかかわらないことです。 >「病気になった人でないとわからない!」と言われるのです。 なった人でも意識がないからわからない部分があります。 ただ本人も周囲も含めて、「病気」という認識がもっとも大切であって 必要なことはひとつしかありません。 言葉の慰めや励ましは、薬のかわりにならないどころか毒です。 母が鬱で寝込んでいるときさまざまな親族が訪ねてきてくれて 励ましてくれましたが、躁に変わって「大暴れ」して以来、誰一人 我が家に近づかなくなりました。 必要なことは、薬をきちんと服用する。・・・・・それだけで症状は改善します。 変なアル中専門医が標榜する精神科にかかると,身体が麻痺する薬を とんでもない量で処方されて、それがきっかけで薬不審になるというのが 躁鬱患者のお定まりの「こじらすパターン」 鬱病は風邪と同じと言うなら、風邪薬(リチウム系錠剤)の服用で直せはいい。 >私自身も精神科に通う身なんですが、 それならば、薬の有効性はおわかりのはずです。 >他人にそういうことを話せる性分じゃないので相手は知らないのですが。 そこがおかしいな。 精神の病についてあいてが打ち明けて相談するという以上は、相手はあなたの ことを信頼し、心を打ち明けてくれています。 お立場はあろうかと思いますが、自分だって同じだと言わないかぎり、話は通じない し気持ちも通じないでしょう。 質問者さまのお悩みの半分は、「自分も同じ病なのだ」ということを伝えられない もどかしさがあるように思います。 >私が吐き出せないことを軽々吐き出せることに対して羨ましさを感じ、 そうじゃないでしょう。東京駅の改札口でハンドマイク片手に 「私は精神病で~す!!皆さん私の苦しみは、わからないでしょうけど・・・」 って、演説ぶっているわけではありません。 10年前の事件の渦中に「じつは私はオウムの信者ですけど・・・」と うちあけられたオウム真理教の残党という立場でもないわけで たった二人で向き合う場で、相手が素直に告白していながら素直に教え られない自分に腹がたっていたりするのではありませんか? 実はオレ水虫なんだよ。 えーーーつ。私のサンダルはかないでね。絶対に そういっている娘が、部屋でこっそり足に薬塗っているのと同じ。 >同時に、相手がつらいのや苦しいのはわかるけれど病気に甘えている部分が多々目につき、 あーーあ あーーーーあ あーーーーーーーーーーあ あのですね。未だにそういう偏見があるのですか@@ @@ 鬱病なら病気に甘えるなんてことありえません。何もしたくないできないというのが 症状なのですから、薬を飲み続けて回復するしかないです。 いろいろな学説がありますけど、もっとも信頼できる医師の一人から聞いた話は 心理的なショックや事件が誘引で鬱病になることはあっても、本質は遺伝的形質 つまり遺伝子の資質で、脳内分泌のバランスが崩れてなる病気なので 意識や気の持ちようや外的環境の好転で回復する類のものではないのです。 >そこら辺で余計な一言を言ってしまう感じですかね。 それが、事実としたら、私が医者なら質問者さまと本人の面会をさせないように しますね。 >全肯定することの意味は、よくわかっているのですが、 軽度の鬱というのは境界域といってなりかけですけど、それとて予防するには「薬」です。 >気持ち的になんか難しいです。 あなたの症状改善のためにも、興奮はさけたほうがいいですし、その方が身内であっても 会話はなるべく軋轢をさけた内容になさってください。 >言ってはいけない本音を言ってしまうと「ほんとにこの人病気?」と思ってるからかもしれません。 病気かどうかを判定できるのは医師しかいません。直せるのも同様に医師しかいません。 「私盲腸なの。痛くて痛くてたまらないの。」 「そうね。盲腸って痛いわよね。」 「あなた盲腸なったことないくせによく言うわね。この痛みなった人でないとわからないわよ」 「(私が盲腸のときは、もう痛くて言葉もでなかったわよ。あなた本当に盲腸なの?)・・・」 「痛い。痛いわよ。これ盲腸かなぁ、そろとも単なる食べすぎかなぁ」 「あなた自分で盲腸って言ったじゃないの」 「だって死にそうにいたいんだもん。こんなに痛いのは盲腸か腸ねん転よ」 「腸ねん転かもね」 「気楽にいわないでよ、左わき腹なんだから盲腸だと思う」 「そんなに痛いの?」 「痛いわよ。痛くて痛くて死にそう。」 「だってあなた、さっきから元気に喋っているし・・・」 「何いってんの、痛み堪えているのがわからないの・・・うーーんどうしよう。病院いくべきかな。」 「あなた、お当番今日じゃなかった?」 「そうだけど、私盲腸が・・・・」 「なにいってんの。少し様子をみたら?」 「様子って。さっきからもう30分も痛いのよ。盲腸放置したら手遅れになるかな?」 「何呑気なこと言ってんの。」 「救急車呼ぶと大事だよね。もし病院いって、ただの食いすぎですって言われたら恥ずかしいし」 「タダの食いすぎなの?お昼なに食べた。」 「いつものホカ弁。・・・悪いもの食べてないけど・・・・うーーーん痛い。」 はやく病院に連れていきましょう。 病気かどうかは医者が決めること.素人に決められませんし、ましてや直せません。
お礼
またまたたくさん書いてくださって、ありがとうございます。 こんな質問のためにお時間をけっこうとらせてしまったみたいで、なんかすみません。ありがとうございます。 鬱病に関しては自分自身も以前なったこともあり、 身内も一人鬱病により自死しておりますので、思うことがたくさん、たくさんありますが、 ここではテーマが異なってしまうので書きません。 偏見と断定されてしまえば、もうこれ以上言えることは何もないです。 >たった二人で向き合う場で、相手が素直に告白していながら素直に教え >られない自分に腹がたっていたりするのではありませんか? 少し的を得た指摘だと思いました。 腹が立つというよりは、「息苦しい」気持ちでしょうか。 きちんと治療をする意思はないけれど、医師も周囲も所詮無理解だというようなことをこぼし、 リスカをしたときの話を楽しそうにしながら、薬を自慢げに見せる。 スニッフしたり好き勝手な服用の仕方をして楽しみ、 寝る気がないのに眠剤を飲んで軽いトリップ感を味わって楽しむ。 そして「昨日も薬飲んだけれど眠れなかった」と愚痴をこぼす。 私にはとても肯定できないけれど、そんな相手がとても「幸せそう」に見えていたように思います。 嫉妬の感情なのかなぁ。 とりあえずこの人とは、不毛な会話・関係にしかならないし、 薬は私が言ってもちゃんと飲む気はなく、最後はあの言葉を言われちゃうんで、 どうしても偏見を抱いてしまうしかない相手ですので、 距離を置こうと思います。 というか、アンケートなのにだんだん人生相談みたくなっちゃって、すみません。
「当たり前じゃん。あんただって、そう言われる私の気持ちがわかんないでしょ。人の心の中って、他人には見えないんだよ。お互い様じゃん。わかってほしいと思うのは甘えだよ。人の言うことを素直に聞けないなら、愚痴を言うなよ!」 、、、、って腹の中で思って、(口には出さず)距離を置くようにします。だって、うざいじゃん!! 所詮人間って、日本だけでも一億数千万居る中の一人でしょ、けし粒みたいな存在。悲劇の主人公になるのって、あほらしいよ。あんたや私のことなんて、だ~~れも知ったこっちゃないんだよ。みんな自分のことで忙しいんだから! って思います。(除くおしgoo) 他人にわからないのは当然のこと。「それを言っちゃあおしまいよ!」って思いますね。 経験したことのない人には、共感はできません。 でも慰めや気休めを言ってくれる相手の好意は、素直に受け取らないといけないと思います。それができないときは、人に話すべきではないですね。
お礼
回答ありがとうございます。 言われてること、理解できます。 私も距離を置こうかなと思い始めました。
- 1
- 2
お礼
とてもわかりやすい例え、ありがとうございます。 なるほど、なるほど、と思って読みました。 救急車を呼んでもらうくらいひどい生理痛の人もいるんですよね。 あーそっかーと、自分のこともよくわかりました。 私は逆に思ったから、心が乱れたんです。 自分も本当はすごく苦しくてたまらないので。 でも人の苦しみは比べるものじゃないですね。 人にはそれぞれ、それぞれの苦しみがある。 どうもありがとうございます。