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日本に初めて外国人が来た時会話をどうやって成立させたのですか?
言葉が通じなくても喜怒哀楽は通じると思いますが、会話をどうやって成立させたのかが気になります。 身振り手振りで会話したんでしょうか? 例えば地球儀持ってここからこの船で来ましたみたいな感じで?
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あ、朝鮮出兵は秀吉ね。家康の時代以降の解読です。 信長は世界地図知っていたでしょう。象や黒人の宣教師にも会ったはず。 インドも天竺という言い方で知られていたし、もっと西に国があるのも知っていたでしょう(ローマまで行く予定という与太話はよく知られています(^^) 真偽不明だが) 宣教師が日本上陸したとき、僧侶は論争出来たのは確かです。信仰ないものは地獄といわれ(改宗した農民でも)知らなかった祖先が侮辱されるのには納得しなかった。 言葉は21世紀のいまでも津軽弁と薩摩弁では日本人同士でも会話成立しません! 身振りだけでは交流は無理です(^^) 文字書けば意味は通る。 中国でも韓国朝鮮でもベトナムでもモンゴル語漢字自国語の石碑など建てたから2-3か国語辞典っぽいものは各家(一門)の門外不出の秘伝書だったことでしょう。 徳川幕府は滅亡までオランダの衰退知らなかった。(祖父あたりが武士の権利買った裕福な農民の子孫)福沢諭吉はオランダ語学んだことをだまされたといい、英語に転向した。 日本に記録がなくても唐に学んだ日本人の記録は中国で発掘された。日本という表記の最も古い記録らしい。 http://chiezou.jp/word/%E3%80%8C%E4%BA%95%E7%9C%9F%E6%88%90(%E3%81%9B%E3%81%84%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%9B%E3%81%84)%E3%80%8D%E5%A2%93%E8%AA%8C 超新星爆発(かに星雲は残骸)は夜でも昼くらい明るかったが、中国と日本(と北米先住民もそうか)に記録残るのにヨーロッパには記録がない。当時のヨーロッパ人は文字書けないし、紙はないから記録出来なかった可能性はあるが(苦しい言い訳)、教会に記録がないのは暗黒の時代(キリスト教による科学や他民族の抑圧)だったからでしょう。
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- alpha123
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漢字があるから交流は容易だったでしょう。 初めての外国人が誰指すかも不明だが、聖徳太子は百済系って言い方もある。大化の改新の実在も怪しいが当時曽我氏(九州の王朝)と藤原氏(のちにそう呼ばれる勢力)の死闘があったのは確かでしょう。 漢の時代(成立はキリストより何100年も古い)から倭国(たぶん九州の勢力)と交流あった。倭王朝はヤマト王朝(奈良)に征服されるか滅ばされるか統合された。 倭寇は日本から朝鮮半島、中国の遼東半島にかけての海岸部に出没する海賊(=現地政権に服属しない)のこと。 遣唐使あって、朝鮮半島に高句麗百済新羅の3国があって(百済は唐新羅連合軍により滅亡、百済支配階級(貴族とエンジニア)は九州に亡命する。のちに九州から東北に鉱山技術者が移住して金掘って鎌倉と対立した義経派(奥州藤原)です)、のち高句麗も滅亡、統一新羅が半島制覇、のち高麗と改称。高麗王朝倒して朝鮮王朝成立するとき、王氏は全滅した(だから韓国に王氏は少ないはず、中国には多いが) http://www.lifeinkorea.com/Information/history1j. ずっとのちに鉄砲伝来(種子島ほか各地に倭寇の船(中国の船)が漂着、中国人船員とイエスズ会の宣教師が乗っていた) 漢字の輸入あったから日本人は(その支配階級は)意味理解出来た。中国の王朝(秦漢唐元)は(のち分裂した時期もあるが)アジア(ユーラシア大陸)の覇者です。ロシア沿海部、朝鮮日本、東南アジア、インド、中央アジア、東アフリカ、北アフリカ、地中海まで貿易に出かけたこともある。 漢の前、秦の時代からローマ帝国と交流あった。 ローマ帝国はゲルマニアと対立し(隣国とは交流しにくい)漢と交流です。ローマ帝国はのちにゲルマン人に征服されたが 信長の時代、キリシタン大名は若者をローマに派遣した(天正少年使節団=海外青年協力隊か) 絹の着物、刀差しラテン語はなす四人の若者はバチカンに記録残る。帰国後カトリックやめた人もいる(途中で奴隷労働の悲惨な状態や東南アジアに輸出される日本の女性見聞し記録残した) 秀吉も家康もカトリック宣教師の奴隷売買への関与禁止した(南蛮人(カトリック)の排除、紅毛人(プロテスタント)優遇のきっかけ) 家康の朝鮮出兵は大量の書物(医学書など)略奪したから江戸時代の漢方の発達はその解読です。朝鮮の王朝は王室と貴族が争ったから庶民に漢字教えなかった(ハングル作ったがのち禁止! 日本では寺小屋の発達で漢字は普及)
- miyanowaki
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追記 あくまで余談でご質問とは無関係ですが、 http://www.shamrocksigns.com/rekisi/ 通詞の時代 日本における通訳の歴史は古く、 江戸時代に既に「通詞」が制度として存在していました。 江戸幕府は長崎を直轄地として長崎奉行をおきましたが、 その下に通訳・外交・貿易の実務を担当する地役人がおかれ、 それが「唐通事」「阿蘭陀通詞」などと呼ばれました。 「唐通事」は中国語を専門にする通訳者のことであり、 「阿蘭陀通詞」はオランダ語通訳者のことです。 通詞は世襲制度だった 当時の通訳者は、長崎で採用され、 長崎奉行の管轄下で職務についていた地方公務員でありました。 次に、職務内容が通訳業務にとどまらず、翻訳はもちろんのこと、 外国船来航にあたっての業務、貿易に関わる業務など多岐にわたり、 中央から赴任する長崎奉行の外交・通商上の諮問を受けたりも しました。 さらに特筆すべきは、公的な職種として階級が設けられ、 レベルごとの定員が決まっており、昇進試験もありました。 そして通詞をつとめる家が定められ、代々、 男子がその職を継ぐ世襲制度をとっていたことです。 (宣教師による欧米諸国との接点は別論として) 中国との交流は 犬上御田鍬(いぬがみ の みたすき)、飛鳥時代の人物。外交官。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E4%B8%8A%E5%BE%A1%E7%94%B0%E9%8D%AC 鞍作福利(くらつくりのふくり)は、飛鳥時代の通事(=通訳)。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9E%8D%E4%BD%9C%E7%A6%8F%E5%88%A9 遣隋使関連の通訳も知られていますが、 奈良時代に遣隋使や留学僧が長安から漢音を学び持ち帰る 以前にすでに日本に定着していた漢字音、呉音(ごおん) ・・・倭の五王が朝鮮半島から儒教や仏教など多くの文物を輸入 した際に朝鮮半島(百済)経由で伝わったと言われる・・・ をベースに遣隋使の通訳も始まったのでしょう。 科学の発見&進歩もそうですが、 必ずといっていいほど、発明・発見の端緒では何か偶発的な 事象が生じます。偶発的な事象から人為的な普遍的法則を導きだし 一般的に普及するようです。 言語の発達も同じように、ある特定人が 「漂流」といった偶発的事象によって他国に居住し 当初は原始的なボディランゲージ&絵によるコミュニケーション でも、そこから他国の発音を模倣しイメージ化し、 自国の言語と強引にかみ合わせていったと思うのです。 そのような形で通訳の卵が誕生していった印象を受けます。
- miyanowaki
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そもそも人類に「言語の形成」がされた30万年前 以前は問題外として(猫のじゃれあいみたいな感じ^^;)、 紀元前のエジプトにおけるモーセの頃を例に出すと http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BB イスラエル人(ヘブライ語)とエジプト人(アラビア語) の関係、エジプトにおける奴隷としてのイスラエル人 のような奴隷的地位の人から、(権力サイドと奴隷サイドの 意思疎通の必要性から)通訳に値する人が 生じてきたように感じますね。 「奴隷」でなくても、「避難民」「犯罪者→国外逃亡」 「冒険者」「布教活動→宣教師」等、 特殊な人がある国に流れつき、通訳に巣立っていった例は けっこうあります。 ヤジロウ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B8%E3%83%AD%E3%82%A6 ジョン万次郎 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E4%B8%87%E6%AC%A1%E9%83%8E ロレンソ 大永六(1526)年~文禄元(1592)年 http://www2u.biglobe.ne.jp/~hiro-net/sengoku/bushoh/caltual.html コロンブスの第1回航海に随行した ルイス・ド・トーレス (1453~1493) http://www.k5.dion.ne.jp/~a-web/Gv-eTors.htm ルイス・ド・トーレスはキリスト教に転向したユダヤ人で、 ヘブライ語などの「12の言語」を操れたため コロンブスの航海に応募して通訳として雇われた わけですが、やはり学び始めの当初は未知の国の言語は 既存の辞書的なものでは足りず、原始的なボディランゲージ で始まったものと思われます。 マルコ・ポーロがと「元」の王たるフビライ・ハーン とのコミュニケーションもペルシャ人通訳を使っていた 説もあるようですが、そのペルシャ人通訳も当初は商人等で 原始的なボディランゲージではじまったんでしょうね。 商談を成立させる基本的態度がYESorNo つまり 「にこやかな表情で首を縦にふったり」→YES 「しぶい表情で首を横にふったり」→No といった初歩的なボディランゲージではじまったんでしょう。 あと言語に変わるコミュニケーション手段として 人類に「言語の形成」がされた30万年前もそうですが 「絵」による造形でコミュニケーションをとっていたのでしょう。 「絵」による造形は、古墳や洞窟等 未開人の住居関連跡で 発掘されますが、やがてそれが「象形文字」となり 「現在の文字」に発展してきたわけですから。 原始的な「絵のみによるコミュニケーション」は昔から ある程度は意思が伝達できますからね。 あくまで推測です。
- goold-man
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「もの」を指差して相手の言葉を書き取ります。 馬:ホース 水:ワラー(「ウォーター」ではなかった・・・ジョン万次郎の辞書から) 鼻:マウス 自分:マイネームイズ○○ >地球儀 当時わからないでしょうね。地球が丸いこと(見た目水平です)も世界があること(自国以外に2~3の隣国や近隣国があること程度しか)も。