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世の中の現実について(厳しい回答お願いします)
最近自分が疑問に思ってる事について質問です。 最近様々な哲学本を読んでいるのですが、どの本にも「自然の法則」がでてきます。自然界に無駄は一切無く完全であり、その法則は人間社会にも当てはまるらしいのです。自然界って植物が存在し、草食動物がいて、肉食動物がいて、食物連鎖が上手く巡回して均衡を保っていますよね?自然の法則が人間社会にも当てはまるとしたら、奇麗事や良い人ってだけじゃ駄目なのじゃないでしょうか?人間には人種の違いはあっても種別の差なんてないじゃないですか?(こいつは草食人間、あいつは肉食人間なんて種別できませんよね。)だからこそ強く生きるべきなんじゃないかなって思うんです。僕は自分の力不足で、大事な人の辛い出来事や環境に対して、良い方向に変えてあげる事も背負ってあげる事もできませんでした。今までスピリチュアルな本ばかり読んで自分を慰めて、もっと優しくなれば、もっと良い人になればきっと素晴らしい人生が送れると思ってたけど、ここ最近もっと現実主義、実力主義にならないと駄目なんじゃないかなって。だって、自分が大事だと思う人達(家族でも恋人でも友人でも良いです。)に対して、協力できたり救ってあげれるだけの実力が無いと、結局はただ同情して良い方向に導いてあげる事なんてできないじゃないでしょうか?文章が長くなってしまい申し訳ありません。賛否両論あるかとは思いますが、どんな意見でも構いません。 回答をお願いします。
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- fan-ta-sy
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・・・・・・・・。 哲学といっても畑は広いですし、古代ギリシャの哲学を読んでいるのか、日本のわびさびの様なものも哲学と言えますでしょうし。 人と人との間の事、 人の字は二人の人が寄り添って一人の人となる、 人間とは人と人との間、 私も、 人間相手では気が狂いそうになることはあります ありますですよ。 無知の知や我思う故に我ありや、黄金率やシータの様な数学的幾何学的な宇宙構造の成り立ちや そういう究極にまでシンプルな、自然界、存在と運動への眼差し、孤独な己一人を自覚する静寂の思想はひと時の問い詰めや心の平安とはなりますが、 どう言ってみた所で、人間は自然界の腕に抱かれて、人間社会という現代出来上がった構造の中で二人の人から肉体を貰って生まれて来て、周囲の人に守られて育ちます。 霊性の話にも関心のあった方のようですから、 はっきり言えば、真の霊能者にしか探知できない事ですが、神と魂があり、(キッパリ言いますが宗教とは関係ありません。)神の中の創造主がこの宇宙を支度し、生命体の中へ、魂は落ちてきて入り、死の日までの時間を生物として送る。其の事情は、一つ一つの魂の成長の為。 自分として何をしたら良いか、 というのは、生まれた日から今を生きている中、これから先を生きて行く己自身の中に、在るものだと思います。 周囲に尋ねて分かることでは無いと思います。 『お前は お前の居る世界で 天国を作れ』 この言葉は、結構、胸に強く、来るな、と思いました。 色々な霊能者さんや、魂の話を一生懸命する人達が、長い言葉を使って言おうとしていますが、この言葉ほど短い、はっきり教えてくれる言葉は、そう観掛けないな、と思えるほどに、よく要点が凝縮されていると思いました。 この言葉は、USAで、道で交通事故があり、車から投げ出されて意識不明となっていた時に幽体離脱したアメリカ人青年が、其の時頭上、天に現れた光の渦、其の光の向こうへ昇ろうとした時に、光の側から御祖父さんの声で、この言葉と共に現世へ押し返された時の、メッセージでした。 要は、其れなのだと思います。 この世では、皆記憶喪失ですから、(今の生命を生きている其の前の自分の記憶は) 周囲は皆、何かしら迷っている訳です。 唯でさえ、人間は弱い生物です。弱いが故に支配を受け入れる、弱いが為に武器を持つ。弱いが為に大きな力と思えるものの傍に保護されたがり、隠れたがる。教えて貰おうとする。与えて貰おうとする。 救済を求める。甘いほうへ行こうとする。周囲に流される。逆に、其の漬け込み所を狙って、我欲を満たす為に救済者を演ずるものも出る。 喜劇や悲劇といっては余りにも惨めな、けれど惨憺たる人間の歴史、実社会の実情じゃないでしょうか。 人は、人へも森羅万象へも、謙虚であり冷静で、優しくならなくてはならない、 其れ以外には、問い詰めてみれば、他には何も、無くなります。 其れを実現するあり方は人其々でしょうけれど、己との問答勝負、特に今の時代や社会環境から言えば、周囲の行う事柄で、自分が心底、真実感心できる事柄以外は、余り汲む物は無く、後は自己がどれだけ勇気と確固とした意思を持って、己なりの良い生き方を生きてみるか、 其れだけなのではないでしょうか。 他人と、全く口を利かないで黙々と誠実な生活を行ない、黙って、一生懸命人の役に立っている方だって、居ます。 生活事情に係わり合いながら相手を助ける、必要な時に必要な事を行なって行けるというのは、形は千差万別あると思います。 犠牲になるというのと、貢献出来る有形というのは、少し違うと思います。 今の世の中、普通に接していったって、大抵、何も伝わりません。 利害損得、競争構造、目先の事柄だけで、思考がぼ~っとしちゃってる人が、殆どですもん。 いっそ、今までのあり方、やり方では、自分は何も納得できるもの、生きていて心から充足した感覚が無い、 と思う場合には、社会や周囲や自分自身の都合の良い子を演じるパペット(お人形さん)は、辞めて、 本当に助けなければならないと感じる状態の人、動物、に出会った時、他の誰が無視していても、自分は、迷わず手を差し伸べる、心の強い人になってみる。 情報は幾らでも溢れていますが、 其の周囲の中から真実を探り出そうとするより、 自分が命として貰った、其の今を生きている自分の経験の中に、一番大事なことは在ると思います。 感情や気持ちが一滴残らず、枯れ尽きる前に、気付いて動くべき事、自分を救済する事が先ず大事であると思います。 周囲を観ていても、きっと、らちが明きません。
- caek
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厳しい意見はできません。 私も 同じように考えています。 大事な人の辛い出来事や環境に対して、良い方向に変えてあげる事も背負ってあげる事もできなかった、ということですが、 そういうことが自分にできたら どんなに素敵だろうと思いますが、 そういうふうに 何とかしてあげたい、という気持ちだけで充分なのでは、とも思います。 何でも osc-disさんが 解決してあげたり背負ったりしていては 結局 その人のためにならないとも思うんですよ。 いろんなことを乗り越えていくのが人生なのだから、自分が何とかしなくちゃいけない、 でも、それを 応援してくれる誰かがいるだけで とても心強いのでは? 私は osc-disさんのような考えの人がいるということだけで とても 嬉しい気持ちになりました。
- kinchann11
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「自然界に無駄は一切無い」という意見には賛同できますが、「自然界は完全である」という意見には賛成できません。 もし、この宇宙が完全であれば、宇宙はその存在意義を失います。不完全であるからこそ、完全へ向けての進歩・開発・成長があるといえます。不完全であるがゆえに、善だけでなく悪が存在し、愛だけでなく憎しみが存在し、喜びだけでなく悲しみが存在し、晴天だけでなく嵐が存在します。 素晴らしい人生とは、何でしょうか?病気も苦しみも葛藤もない、喜びだけの人生でしょうか?そのような環境の中で、新しい自分の発見・進歩・成長ができるでしょうか?
- fumie0725
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No.6さんの『でも、それでも「奇麗事」が通用する世界を、目指して頑張ってきたのが人間社会』というのにすごく共感しました。 ですが現実的な問題として、人に優しいだけでは何にもならないです。お人よしって利用されるだけ。ちゃんと優しいと認めてくれる人もいるでしょうが、馬鹿だなって思う人も多いだろうし、利用することを考える人も多いです。 人の役に立つという積極的な考えのもと協力するのはいいですけれど。現実世界であやふやで、実力のないぐうたら人間ならば、馬鹿にされるだけです。ある程度認めてもらっていなければ、優しさを理解されることもありません(馬鹿にされたって何言われたって、みんなが幸せならばそれでいいとかいう仏心の持ち主の場合はわかりませんが、そうではないですよね?) 何かを為すには、そして認めてもらうためには、実力が必要です。仕事ができる、信頼できる、きっちりしている、など。つまり、強さ。 動物世界でも人間社会でも、生きていく上では「強さ」が必要です。動物世界では文字通り生死をわけるものですが、人間はちゃんと満足な人生を送れるかどうかに関わってきます。無論、暴力的な強さではありません。知恵、と言ったほうがいいかな。そして精神力。でもこれは、他人を虐げる強さではないのです。 優しくなるべきか、強くなるべきか、やじろべえじゃないんです。共存は可能です。(蹴落とさなければ蹴落とされるような社会はわかりませんが…) 本当の強さは、優しさだと思います。そして本当の優しさは、強さだと思います。 忙しいときでもパニックにならずに人に優しくできること。ライバルも尊敬できること。嫌なことも、逃げずにちゃんと向き合うことができること。 そんなひとだったら、周りの大切な人に、すこしでもよいきっかけを与えてあげられるのではないでしょうか?
- dai-ym
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自然界に無駄が無いかどうかはわかりませんが、 「強さ」は当然必要ですよ。 この「強さ」は暴力的な強さだけでなく、暴力に屈しないなど精神的な「強さ」も含まれます。 知識を得て活用して「強さ」を手に入れることは必要ですが、 知識を得て、その知識で自分に言い訳をして自分を慰めているような「弱さ」を持っていてはいけません。 また他人を導けるなんてことも思い上がりですよ。 他人にアドバイスはで来ても他人が動くかどうかは本人しだいです。 You can lead a horse to water, but you can't make him drink. (馬を水際まで連れて行くことは出来るが、水を飲ませることは出来ない。) 外国のことわざにこういうものが有ります。 状況、場を準備してあげることはできますが、実際に動くかどうかは本人が行動しないと無理です。
- 8942
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強さに裏打ちされない優しさは時に無力だよね 優しい言葉だけが中に舞う。そしてヒーローの登場を一緒に願うのみだ
自然界の「強さ」は「生き抜くこと」でしょ? 人間もそういう意味では同じですよね、 とにかく自分の寿命まで「生き抜ける人」が強い人。 生きるためには何をやってもいいという意味じゃありません。 自分の中で「これはやってもいい」「これはダメ」という善悪の基準は必ず持つべきです。 それに反してはいけない。つまり自分に恥じない生き方をしている人は「気持ちを強く」持っていられます。 「死」を考えることは簡単。 「死にたい、もうイヤだ・・」と投げ出したくなるのは誰でも同じ。 でも、そこで「いや、まだだ、もう少しがんばろう」と思えるか思えないか。それがその人の「強さ」でしょ。 人を助けるにしても、基本的には 「その人の問題はその人自身が自分で何とかするしかない。」んです。 心を強く持つための手助けはできても、神様のように救いの手を差し伸べて救ってあげられるわけじゃない。 そもそも「強い人」は、自分が他人を「助けられる」なんて思うでしょうか?逆ですよ、むしろ「自分の力の限界」を知ってるはずです。 「流れに逆らわず、あるがままを受け入れ、自分の無力さに悔しさを感じ」つつも、「自分が正しいと思うことを最後まで貫きながら生きる」ことが人の強さだと思いますよ。
- totocalcio
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はじめまして!この回答は、もっと頭の中を柔らかく、 コーヒーでも飲みながら読んで下さい。 まずあなたの考えは、間違えてはいない事だと思います。しかし、 ちょっと言葉的に堅苦しくない? 今俺は、あなたに微笑みながら問いています、現実社会の厳しさってのは昔も今も変わりません。さっき言いましたが、くれぐれも硬く考えないで聞いてや!(笑)! 例えば病院で手術した場合、お金は必要ですね、しかしお金がなかったら? ・・・命は救えません。ではこれをキツイ言い方にかえます! お金で人の命は買える。・・・非常に厳しいよな! じゃあこれは? 道で行き先に迷ってるお爺さんにあなたが自分はその場所を知っており、そこまで送ってあげる。・・・そうそう優しいよな!!!・・・ これを キツイ言い方で言うと? もう分かったかな?あなたがこんな質問を書けるのなら、すぐ分かると思います。つまり゛難しい言葉なんぞ!一切いらないって事。 あなたの家族の人に「肩をもんでやるよ」っていえば、その人喜ぶでしょ? その時{人を助ける}にならないか? でもその行為を実行している時、何も考えないでする事 無心の状態がいいのでは? でないとその人に失礼やろな? でも相手の心は・・「こいつ何かあるな?」とか「ちっ!小遣いか」 とか思われるかもな・・しかしそんな事どうでもいい。いつも俺の為に有難うぐらいでいい。善悪を考えながら、良いことをしていたら未熟者って事です。ちょっとした事で人を幸せに出来るって事を言いたいのです。 基本的に本を読まないと分からないじゃ、未熟なんですよ。 日ごろの積み重ねが大事、逃げたら負け、同情でも相手が喜べば、それでもいいのかもな。しかし、さっき言ったように、そんな事どうでもいいのです。本を読んだら、あなたにとってその読んだ本の作者が正解なのですか?参考にして読むなら、これもまた別なんかもな。 大事なのは、自分は未熟者だと思う事です。俺も未熟者やしな!まだまだ。 難しい言葉や幻想的な夢見がちな考えは、いらんよ、しかし神は、いるって思った方が自分が強くなるぞ! ここ難しいかな? 一人ぼっちになっても寂しいと思ってはだめ! 俺があんたと遊んでやる!! いい音楽聴いて強く生きてくれ! ・・・・コーヒ冷めたがな・・・(笑)
- uniunix
- ベストアンサー率17% (51/293)
>もっと優しくなれば、もっと良い人になればきっと素晴らしい人生が送れると思ってたけど 間違っていないと思いますよ。(あえて正しいとは言いません) ただ、それを実現するために行動が必要 その行動によってより良い結果を導き出すために実力が必要なのだと思います。 切り離して考える必要はないと思います。 結果だけ見れば現実主義、実力主義なんでしょうけど なんのための結果か、ということを考えれば 良い人生をおくるため、家族を守るためってことにはならないでしょうか。
- ame830
- ベストアンサー率28% (195/684)
自然界っていうのは厳しい弱肉強食です。 弱いものは生き残れないし、優しいだけでも生き残れないし、そもそも善悪なんかない奇麗事だけじゃ生き残れない世界。 でも、それでも「奇麗事」が通用する世界を、目指して頑張ってきたのが人間社会だと思うのですけれどね。 本来なら実力がない人間だとか老人や病人なんて、生き残れず死んでいく運命です。 でも、そんな人達でも幸せに暮らせる社会を人間は目指してきたのでしょ? 人に危害を加えたって、それは弱肉強食だから何をされてもしょうがないのだけれど、それでも悪人が裁かれる社会を目指してきたのが人間でしょ? まだまだ人間界は完璧には程遠いけれど、でも昔よりもずっと多くの奇麗事が通用する世界であり、よりたくさんの人が生き残ることができ、よりたくさんの人が幸せになれる世界です。 きっとこの世の大半の人間なんて、昔だったらとっくに死んでいるか不幸になっている人間です。 したり顔で「世の中厳しいんだ!世の中実力だ!」なんていう親父の多くだって、昔だったら生き残れずに死んでいます。 生き残るため・幸せになるために超えなければいけないハードルが、昔よりもずっと低いのが現代です。 昔よりも、ずっと奇麗事が通用するようになってきているのですよ。 そして、これからもより誰もが幸せに豊かに暮らせる世界を目指しているのが人間です。 確かにまだ、人間社会は完璧ではないから実力をつけたり、現実的に考えることは必要です。 優しさだけではやっていけません。 だからといって、能力や現実論だけでもやっていけないです。 もうそんな弱肉強食の時代は終わりました。 多くの人間は奇麗事と現実論のどちらも持ち、奇麗事と現実論の間で上手にバランスをとって生きているのでしょう。 質問者様の問題は、そのバランスがうまくとれないことでしょう。 本に左右されて、綺麗事に傾きすぎたり現実論に影響されすぎたり、あっちにいったりこっちにいったり。 それは危ないですよ。 グラグラ大きく揺れて今にも倒れそうな、ヤジロベェみたい。 本を読むのはいいけれど、その本のいうことを真に受けすぎるのは、ただの「思考停止」です。 自分が考える代わりに本に考えてもらっているだけです。 自分が思考を停止してるから、本の影響をまともに受けるんですよ。 本を読むなら、もうちょっと考えながら本を読むか、色々なジャンルの本を読んで、自分の中にぶれない軸のようなものを作りましょう。
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