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「ろう文化」は差別語ですか?
大学の発表で「異文化としてのろう文化について」という題にしようとしたところ、差別的であると指摘を受けましたが納得できません。「ろう文化」という言葉は定着していると思いますし、「異文化」という言葉が差別的なら外国文化も語れないと思います。どなたか、助けていただけませんでしょうか?
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ぴたり該当するものとは言えないかもしれませんが、とりあえずすぐ思いつく範囲では、以下のグループの中には、オーソライズされつつある主張が含まれています。 多文化関係学会ホームページhttp://www.nime.ac.jp/jair/ 障害学への招待http://fuji.u-shizuoka-ken.ac.jp/~ishikawa/shotai.htm なお、「日本文化」に包摂されないことが差別につながる危険性が指摘されていますが、「日本文化」という実体を想定すること自体が、むしろ、その域内で不断に繰り返される「同化政策」を潜在的に背景にして肯定しているものであり、差別を作り出すものであると考えられます。 「ろう文化」の積極的な主張の危うさは、別の部分にあると思われます。その点についての議論については、障害学の中での議論の中に該当するものが見当たると思います。
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- pokuda
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率直に、「ろう文化」という言葉が、どれほど社会的に広まっているのかというのを示すなら、そのものズバリの本があることを見せれば、説得力あるのではないかと思うのですが。その指摘した人というのは、「ろう」という言葉に差別性を感じたのではないですか。 ちなみに、この本は、その筋の人が軒並み執筆しているので、これ見ても「差別だ」と言い続けられるのなら、その人、ちょっと頭固いかも。
お礼
アドバイス、ありがとうございました。さっそく、URLを活用させていただきます。ANo.#8のお礼欄にも書かせていただきましたが、公共機関においても「ろう」という言葉が避けられる事実もあるようです。今回のことで、言葉は正しい定義のもとで使うことの重要性を再認識しました。しかし、同時に、いったん、手元を離れると話手の意図とは関係なく一人歩きをするものであることも痛感いたしました。このことに対して話し手がどれほどの責任を負うべきなのか、現在考え込んでいます。
- fuchikoma
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発表の内容によりけりだと思います。「異文化としてのろう文化」というとき、異なると比較している対象は(健常者の)日本文化ですよね? つまり、ろう文化≠日本文化と受け取られてしまうかも知れません。 「ろう者には独自の文化がある」と主張したいのなら、ことさら異文化を強調する必要はないでしょう。結論としては、「ろう文化も含めて日本文化だ」となると思いますし。そうなると異文化は消えてしまいますよ。 ここでいうろう文化は日本の内にある文化のことであって、外国文化は日本の外にある文化のことですから、どちらも同じ異文化だとくくることはできません。 自分が持っている文化=日本文化、それ以外の文化=異文化となると、たしかにある種の驕りを感じる方もいるでしょう。この図式だとろう文化は異文化になりますね。大抵の方は。
お礼
ご回答ありがとうございます。返事が遅れて申し訳ありません。現在、「異文化」という言葉の含意の多様性に驚いています。そして、むやみに使うべきではないという結論に達しています。大変参考になりました。
- hinomoto001
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「異文化」まで駄目だと主張する人間がいるのか。病膏肓に入ると いふべきか。 勿論、「異文化」も「聾文化」も差別語ではないが、弱者を表現する 語は侮蔑的なニュアンスが含まれてしまふといふのも事實。強者を 表現する語が侮蔑的なニュアンスが含まれない(と我々が判斷する のは)のは強者がさういふ事を氣にしないからである。弱者が氣に するから侮蔑的ニュアンスが増幅してしまふ。「支那」「朝鮮」「外人」 「部落」「盲」などなど。これらの語は差別語ではないから使つて 構はないが、是非とも使用しなければならないといふ事でもない。 どうしても嫌だ、理窟ぢやないんだ、と激しく主張する人間の前で 無理に使用すべきではないだらう。誤解されあらぬ事態に發展する 場合があるからだ。ある種の團體が問答無用とばかりに壓力を掛けて くる事もあるだらう。論理が通用しないのが世間といふもの。 「差別的であると指摘」した人間が、どういふタイプの人間か充分に 把握する必要がある。
お礼
ご回答有難うございました。今回のことにどう対処していいのか判断基準をいただけた気がいたします。
- t_shigeno
- ベストアンサー率40% (4/10)
そうか・・・「異文化」という考え方が まだ積極的な考え方として一般的に定着していないのか・・ 確かに「異なる」という言葉が排除につながるイメージでとらえられるのかも・・・ でも、この場合、「異なる」ことを積極的に評価する必要がある、というこの主張の含意を殺しては本旨が伝わらない部分もあると思います。 あえて言えば、例えば「外国人」「外国文化」という言葉を避けて「多文化・多民族」というような言い換えをすることには、積極的な意味があるのだけれど・・・ 少々きついですが、これを援用して「障害も多様な文化のひとつ」という含意での「多文化」という言葉を使ってみる手もあるかもしれません。
お礼
ご教示ありがとうございます。あまえついでに、おうかがいいたします。「異なることを積極的に評価する必要がある」という主張は、どのような方々が行っていらっしゃるのでしょうか?(団体名、URL、文献など) あつかましいのですが、よろしくお願いいたします。
- E-DC2
- ベストアンサー率22% (131/595)
こんばんは。 「異文化としてのろう文化について」と言う場合、 「ろう文化は異文化である」と主張していると聞こえます。 しかし「ろう文化は異文化ではない」と思う当事者もいるでしょう。 かたや、「外国文化は異文化である」は、当事者でも異論はない(少ない)と思われます。 「1つの文化としてのろう文化について」程度が妥当だと思います。 では、良い発表を。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「ろう文化」はりっぱなサブカルチャーであると積極的に存在を肯定している方々だけではないということですね。問題の深さを感じます。
- t_shigeno
- ベストアンサー率40% (4/10)
誰に、どのような経緯で差別的であると指摘されたのでしょうか。 私は、ろう文化を積極的に主張することのある種の危うさはあると考えますが、 ろう文化という考え方は、少なくとも当事者が選択して定着しているいるひとつの考え方であって尊重すべきだと考えています。 また、もちろん、それはひとつの異文化として社会に積極的に位置付けたい、という含意なくしてありえないのではないでしょうか。 以上の理由から、差別語ではありえないし、それは、ろう者の生活する世界を、当事者を中心にしてどのように位置付けるかというひとつの考え方に対する、ひとつの反対意見をのべられたに過ぎないと考えます。ここに差別ということばを持ち込むこと自体がすでに暴論であり、反則です。 助けるという内容が具体的にわからないのですが、「ろう文化」という考え方が現在どのように論じられているのか、ていねいに展開すること以外にないのではないでしょうか。当事者の見解を多く引用することも効果があるかもしれません。 こんなことで多少助けになったでしょうか?
補足
ご回答ありがとうございます。 どのような経緯での発言かとのご質問にお答えいたします。発表の内容ではなく、単に上記のタイトルに対するコメントでした。「ろう文化」という言葉は、ろうの方々が「健常者」と異なる文化に属すると示唆する排他的なものであり、また、「異文化」という言葉も、「健常者」が自分を主流であると考えるある種の優越感のにおいがするとの指摘でした。私自身は、これらの言葉がある程度普通に使われているような気がするのですが、どのような文脈でどのように使われたら差別的でないのか分からず質問いたしました。(社会学なんかでよく使われる言葉のような気もしますが・・・)
- gamasan
- ベストアンサー率19% (602/3160)
内容によりますが タイトルからは確かに差別的な 感じを受けますね 外国文化と同列にしていいものとは思いません。 もっといいたいことを表した いいタイトルが ありそうな気がしますが。。。
お礼
なるほど、外国文化と同列に扱うのは無理があるかも分かりませんね。ご指摘ありがとうございます。
- toro7272
- ベストアンサー率36% (59/163)
ろう「聾」という言葉は、ごく普通に使われている言葉ですので、差別用語では無いです。 takayaさんがおっしゃっているように、「ろう」と言う言葉は定着していますよね。 実際に、耳の遠い方が通っている「聾学校」も、「ろう」が付くので問題は全くないでしょう。 耳の遠い方に対して差別用語にあたる言葉は、「つんぼ」「おし」です。 今も、その言葉を使うと間違いなく常識を疑われことは間違いないですね。
お礼
ご回答ありがとうございました。普段、あまり意識しないでしゃべっているので、こんなときに基準がなくて困っています。反省しています。
お礼
こちらのわがままなお願いをきいていただき、恐縮です。さっそく、勉強させていただきます。本当にありがとうございました。余談ですが、あの後、大阪市の元教育関係者のお話をうかがったのですが、大阪市の教育現場では「聾者」という言葉は一切使われないとのことです。また、「異なる」ことを示唆する表現の使用にも大変気を使っているようです。このような事実は、今だに「同化政策」が社会の主流であることをうかがわせるものだと感じました。