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九十年代以降の公立病院の変化
- 九十年代以降の公立病院は、経営が悪化し、サービスの向上や先端医療に遅れています。
- 職員の態度の低下や研修医制度の変化により、質の高い先生が派遣されなくなっています。
- 長年の間に市民の目から、よくない医療は淘汰されたため、公立病院のあり方について意見が分かれています。
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医療の話は立場によって感じ方に差がでてしまうので非常に難しいですが、参考意見として読んでいただけますでしょうか。 以前の公立病院の職員には態度がよくない人がいたのは事実だと思います。 職員の態度で言えば、間違いなく現在の方がサービス精神が向上しており、これは患者や他の民間病院から学んだ結果でしょう。 では、何故赤字になるのかというと、 最も大きな要因は医療に係る費用が莫大になったにも関わらず、対価として支払われる診療報酬が引き下げられているからです。 現在の診療報酬では明らかに赤字になる行為・部門があります。 一方、黒字になる行為・部門もあり、総合的な収支により病院経営が行われています。 自分が病院経営者とすれば、当然利益のでる診療行為の比率を増やしたくなると思います。 民間の病院は赤字になるわけにはいかないので、敏速に経営方針を修正していきます。 分の悪い診療行為は誰もやりたがりませんが、必ず誰かがやる必要があります。 その矛先が公立病院になりました。 公立病院は赤字の補填を管轄する自治体に願い出るわけですが、医療に関わる費用の増大に伴い、自治体もまかないきれなくなりました。 さらに研修医制度が始まったことによる医師不足、7:1看護の診療報酬引き上げに伴う看護師争奪戦が追い打ちをかけ、競争力の弱い公立病院の経営は更に悪化していきました。 医師を含めた職員の意識改革も重要です。 公立病院の職員は民間病院ほど態度がよくなかったかもしれませんが、受けられる医療の質は上のことが多いです。 民間病院では必要最低限の医療を見極めることで、しっかりとした利益を生み出します。 公立病院では予防的措置も含めた医療を行うことが多く、赤字体質を更に助長します。 第3者的な立場からみると、予防的な医療は一見不要と思われるかもしれませんが、当人やその家族からは優しさとしてとらえられます。 そのさじ加減が下手なのが公立病院といえるでしょう。 患者の意識が変わったことも大きな要因です。 医療者が患者の意見に耳を傾けるのはとても大切なことですが、昨今異常なまでのクレーマーまで増えてしまいました。 治療費未払い等、民間病院では犯罪になるような行為でも、公立病院ではグレーゾーンとなることが多く、クレーマーの温床となりつつあります。 最後にマスコミ等のメディアの影響もあります。 マスコミはプラス志向の報道よりマイナス志向の報道を好みます。 特に役所を叩きは多くの人に共感を生みやすいので、過大に報道されがちです。 そのため、自分が体験していなくても、公立病院は「悪」みたいな意識が市民にすり込まれており、スタートライン自体が引き下げられていて、ほんの少しのトラブルでも、公立病院だから・・・、みたいなことになりがちです。 今は医療全体が苦しい情勢で、皆手探りで対策を模索しています。 競争・淘汰も必要だと思いますが、医療格差は防がなくてはなりません。 医療の問題は医療者だけではなく、結果的に自分にも関わることなので、ご一緒に考えてもらえると幸いです。
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- TAKEUSA
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通りすがりの者です。 No1さんの返答、素人では無さそうですね。で、貴方のお礼の回答・・・No1さんの意見を理解して無さそうで、昔の経験を通して公務員に質の悪さが現状を生み出していると言う持論に戻っていますね。 例えば「良い香りのする桃や李の樹には自然と人が集まり」と有ります。そうでしょうか?No1さんは民間を見習い対応も良くなり、質も民間より良いと書かれています。実際公立病院に行って「閑散」としている事って有りますか?私の経験上どこも大忙しでかなり待たないと受診出来ません。繁盛していますよ。 また、No1さんは保険給付の引き下げで、赤字部門・公的サービス(救急・産科・小児科)を地方行政が支えきれなくなってきていると書かれている一方、貴方は「血税」「人材を切る」「質の向上」が述べられてあります。無駄が無いと言うことではありません。ここで言う赤字部門とは怠慢で起きるのでなく(なら民間がやります)、皆保険ではもう採算が合わない。患者が来ても赤字にしかならない部門ってことです。商売として成立しないサービスを経営者である自治体がもう補填(血税)・支える事が出来なくなったから閉鎖するのです。 悪質なのが淘汰されることは結構な事です。しかし公立病院の抱えている本当の問題は違います。
お礼
八十年代の初頭のころ、東京都で一番有名な公立進学校を卒業していますが、ただの一介の主婦です。結婚退職して長い間専業主婦でした。 九十年の初頭に初産で、関東の地方都市で公立病院に掛かりましたが、そこでの経験があまりに強烈で、なぜ公立がこのような劣化した医療を行うのか、物凄く悩みました。それだけのことです。 彼らよりも、私自身が十代の三年間を過ごした公立らしい高校で、公立魂を持っているからでしょう。弱者への思いやり、虚飾のない礼儀と助け合い、平等、パブリックと名乗る機関なら、公に尽くす理想があります。おそらく、東京都の公立病院なら、誠意を持って医療を受けるものを歓待するし、これだけ厳しい思いはすることはなかったと思います。 東京でも、広尾の日赤や愛育病院などの名門の産婦人科に、妊婦さんたちが集まっていく様子を見ていれば、私の言うことはよくわかると思います。地方の公立病院に人は集まるでしょうが、行く病院がなくて、仕方なくではありませんか。施設は地方では市民病院は確かに、よいとは思います。しかし人材はどうでしょう。 私が垣間見ただけでも、なぜこの人たちが公務員採用なのか、疑問に思う人が大勢います。 もし立て直すなら、人材の部分を再考して、民間に負けないようにレベルアップするしかないのでは。 産婦人科の医療そのものは、自然分娩場合の私費です。どうして赤字部門に転落するのでしょう。昔は儲かって仕方がなかった部門ではありませんか。なぜなら、妊婦さんが大勢来ないからでしょう。 小児科の方こそ、子供を救う意味で、なくしていただいては困りますけれどね。また、小児科だと個人のホームドクターで大概済んでしまうことがおおいですが・・。 どうしても、公立の看護学校というと大學の下に位置づけられます。その養成系から人材をスカウトするなら、公立は民間の下になります。市民病院の採用が、もっと看護大卒との間で競争力が高まるなら、現状は変わるでしょう。 血税を使わなければならないところは、使わなければならないでしょう。しかし、無駄な人材への投資は、考え直していただきたい。
お礼
私の住んでいる町の市立病院でも、産婦人科や小児科が閉鎖されています。今は、少子化の影響で、産む人自体が減ったのもありますが、近所の評判を聞くと、二度目の子は私立の産科に、四人出産した家は、娘だけはここで医療を受けさせたくない、いう話を聞いたことがあります。緊急な事態が起こった場合、市立病院に運ばれていたのに関わらず、全個室テレビつきの待遇の良い産科へと、淘汰が行われたのでしょう。 私は里帰りで出産したのですが、実家の近くの市民病院は、外来では問題はなく、むしろ超音波も市立病院より出世前診断もつくような機械でよかったのですが、入院後のスタッフが、今思っても悪魔のような言動の人たちで、満足に診察もしないような酷い医療で、帝王切開でした。きちんと医学的に納得のいく診療なら、私自身食い下がることもなかったと思います。しかし、どの時点で手術に踏み切ったのか、という問いに、執刀した医師がきちんと答えられないのです。私自身、こんな病院将来はない、今に大変なことになる、当時そう思って、一ヶ月検診を終えた時点で、見切りました。その予想が見事的中しました。 医療には、医療者としての誠意や精一杯を尽くす義務があります。そこには市民に対する虚飾も何もない、礼儀もあるのではないですか。 病院経営のことは存じ上げませんが、仁や礼という東洋の哲学で大切にいわれている忠恕(真心)が、市民の医療者には欠けていたように思います。桃李、物言わずとも自ずから道を成す、良い香りのする桃や李の樹には自然と人が集まり、小道を成している。それが、現在の産婦人科の現状だろうと思います。 病院の職員に市民よりも、高い人格と志があるなら、こんな現状は起きなかっただろうと思います。マスコミは大衆を映す鏡です。決して、過大な報道ではありません。私自身、あの当時ドクハラで報道されていた内容をはるかに超える内容を経験しています。 採用された人材に関しては、市民のお荷物になるような質の悪い人材はぜひ切っていただきたいのが本音です。税金は病院の職員への生活保障やボランティアのために使われるようなことは辞めていただきたい。 血税を使うなら、市民のエリート、優れた人材に対してだけです。今ひとたび、公務員の質(レベル)に関して、一考をしていただきたい。