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県庁所在地青森市
以前から疑問に思っていた事で、青森県出身の方にお聞きしてもわからないので教えて下さい。 一般的には県庁所在地は、昔の藩主が住んでいた(治めて城があった)所にあると思いますが、青森県は弘前市でなくて、青森市に県庁がありますが、どうして青森市に県庁所在地があるのでしょうか? いきさつを教えて下さい。 又、青森市には城址はあるのでしょうか?
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廃藩置県当初は弘前が県庁所在地で、県の名前も「弘前県」でした。 しかしながら当時の弘前県(青森県)は、旧松前(現在の函館あたり)をも県域に含んでいたため、 弘前では地理的にも交通的にも、県の中心都市として適さないと判断したのでしょう。 程なく、県の中央に位置して、北側を海に面している(=下北や函館からもアクセスしやすくなる)ということで 現在の青森市の場所に県庁所在地を移し、その際に県名も「青森県」と改めたようです。
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- river1
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青森県の母体は、津軽氏の津軽藩と南部氏の南部藩が母体です。 行政を円滑に進めるため、両藩の藩境の現在の青森市に府が定められたのです。 廃藩置県の発足当初は現在の都道府県数より多く、現在の都道府県数にする時に新たに決められました。 >青森市には城址はあるのでしょうか? ありません。 ご参考まで
お礼
有難うございました。 津軽藩は知っていましたが、南部藩は初めて知りました。 私は日本の歴史に最近興味が出てきたので、これから勉強したいです。
- hiroki0909
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青森は弘前藩が江戸への廻船の寄港地として整備した港町であり、「青森城」のような拠点となる城塞は存在しないようです。この、城下町のような政治拠点ではなかった青森市がなぜ県庁所在地になれたか、ですが・・・ 1 北日本最大級の港湾都市としての経済的・軍事的拠点性を重視されたから 北海道(蝦夷地)開拓の足がかりとしても、またロシア・清国等に対する軍事的守備拠点としても、当時からかなり重要な立場に、青森市は置かれていたのではないでしょうか。映画にもなった「八甲田山遭難事件」で有名な陸軍歩兵第5連隊も置かれていたことですし。 2 弘前藩は、奥羽越列藩同盟に加わり明治新政府に敵対していた時期があるため、その本拠たる弘前に県庁所在地を置くことを、明治新政府が意図的に回避した。 明治新政府のイジメなのか、はたまた地元の残党勢力による一揆等の勃発を恐れたのか、今となっては定かではありませんが・・・。 同じような理由で、会津若松市も福島県庁所在地の設置を回避されてしまいました。
お礼
詳しく、わかりやすい説明を有難うございました。 県庁所在地を決めるのも色々な経緯があるのですね。 これから勉強して、いつか回答者になれると良いのですが・・・。
- hotasora
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一つのことに関しての回答になりますが 1871年(明治4年)9月、県庁が弘前から移され、県の県庁所在地となることが決定した。弘前ではなく青森が選ばれた理由は、地理的な条件や海運などからと言われる。 らしいです。 城址と検索した結果、見つからなかったので私の探した範囲では城址はないようです。
お礼
わかりやすい回答とURL有難うございました。 歴史は面白いですね。これから色々な?を勉強したくなりました。
お礼
有難うございました。 ものすごく詳しいのですね。私もこれから勉強していきます。