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国民というものは無批判で他人の尻馬に乗るのが基本なのか
そういった根源的な疑問を感じる事がありますが。 国民というものがなんなのか意味がよく分かりません。 モンスターペアレントとかもそうなんでしょうかね。 もしくはワーキングプアの住人とか。 自分の考えを持つたず、無批判と無宗教・無政府主義が基本なんでしょうかね?
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そういった根源的な疑問を感じる事がありますが。 国民というものがなんなのか意味がよく分かりません。 モンスターペアレントとかもそうなんでしょうかね。 もしくはワーキングプアの住人とか。 自分の考えを持つたず、無批判と無宗教・無政府主義が基本なんでしょうかね?
補足
>多くの人は、「日々の暮らしに忙しい」というのが正直なところなんじゃないか。わしら貧乏人は忙しいんだ!ってことさ。例えば、ここでは夏休みだの学生が休みになる次期になると、やたら威勢だけはいい思想的政治的な色の濃い投稿がどっと増える。これも「暇だから」といったら、言い過ぎかね? 多忙などと最もらしい事をいって、なにも考えない様になる事はいけない事ですね、むしろ、自分の生活が何故多忙なのかという事を根本的に考えるべきかと思います。 >それにな。威勢よく思想や政治姿勢をぶち上げる人が、果たしてそうした人々と違って「ちゃんと考えている」か?というと、意外とそうでもないんでないか。 他の情報の引用だっとしても、それがその個人において単にデータを集めてそれで終わりだと思っていなのであればいいのかもれませんよ。その沢山集めた情報の中で自分の中での考えを構築し、全く新しい考え方を生み出せるのであればただのネット上でのパクリ行為ではないと思います。 ただ、政治家といよりもむしろ男に限ってかどうかわかりませんが。人間が夢を語りだしたら政治家か宗教家のどっちかというのは決まっている事らしいです。 政治家などの「夢」なんてものは所詮は国民たちにとってはどうでもいいことです。 国民はそんな大きなチャンスや大きな家が持ちたい訳ではない。ただ、普通の人として暮らしたい。人としての威厳を損なわない、人間としてあるべきもの望めれば、無駄なリスクを背負い込んで大きな利益を得たいなどと思わないのでは。 そこらへんが政治家と国民との間でずれている所だと思います。