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国民というものは無批判で他人の尻馬に乗るのが基本なのか

そういった根源的な疑問を感じる事がありますが。 国民というものがなんなのか意味がよく分かりません。 モンスターペアレントとかもそうなんでしょうかね。 もしくはワーキングプアの住人とか。 自分の考えを持つたず、無批判と無宗教・無政府主義が基本なんでしょうかね?

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noname#94983
noname#94983
回答No.3

さあ、どうなんだろうな。実際、政治とか思想的なところで「ごめん、あんまりそういうことわかんない」という態度の人は多い気がする。そういう意味では「あんまり考えてない」人は多いだろう。 ただ、多くの人は、「日々の暮らしに忙しい」というのが正直なところなんじゃないか。わしら貧乏人は忙しいんだ!ってことさ。例えば、ここでは夏休みだの学生が休みになる次期になると、やたら威勢だけはいい思想的政治的な色の濃い投稿がどっと増える。これも「暇だから」といったら、言い過ぎかね? こういうことは、本気で考えようとすると面倒くさいし時間がかかる。そこまで入れ込む余裕はない、というのが大半の人の気持ちだろうさ。 それにな。威勢よく思想や政治姿勢をぶち上げる人が、果たしてそうした人々と違って「ちゃんと考えている」か?というと、意外とそうでもないんでないか。ここでもいろんな色合いの意見出てくるが、色合いが鮮明で強固な人の考えを良く見ると、実は「どっかで誰か有名人が展開してる発言をただ繰り返してるだけ」だったりする。ネットなんかで威勢よく意見を述べてるサイトの大半は、どれも似たり寄ったり、「どっか検索して見つかったのをそのまま丸写しにしてないか?」と思うようなものばかりだったり、な。 例えば、何か国が大きく変化しようとするとき。そうしたとき、本当に力になるのは、「口先で立派な意見を叫ぶ人間」ではなく、「無口で、何も考えず日々黙々と働く人間」たちだったりしないだろうか。何も考えてないように見える人間、ただ黙って人に言われるままに生きているだけのように見える人間。そういう人間こそが、実はいざとなるとき本当に役に立ったりしないか? 進歩的な意見を口にしていた人間たちが、いざというとき真っ先に逃げ出す姿というのを、オレたちは今まで幾度となく目にしてきたんじゃないか? 確かに、サイレントマジョリティは、明確な言葉として思想をつむぎだすことは苦手さ。だがな、日々自分の果たすべき役割を黙々と果たし続けている中で、さまざまなものを見聞きし、おのれも気づかぬうちに自分の中に蓄積されてきているはずなんだ。そうした実生活に根ざして培われたものこそ本当の思想でないか。言葉にはならない、体で感じ取ってきてはぐくまれた思想。そうしたものもあるんでないかと思うんだよな。 美しい言葉で表現可能なものに「本物」は意外と少ないんでないかね。本物は、言葉で表現し得ないところに案外とあったりするもんじゃないのかね。

aporo1
質問者

補足

>多くの人は、「日々の暮らしに忙しい」というのが正直なところなんじゃないか。わしら貧乏人は忙しいんだ!ってことさ。例えば、ここでは夏休みだの学生が休みになる次期になると、やたら威勢だけはいい思想的政治的な色の濃い投稿がどっと増える。これも「暇だから」といったら、言い過ぎかね?  多忙などと最もらしい事をいって、なにも考えない様になる事はいけない事ですね、むしろ、自分の生活が何故多忙なのかという事を根本的に考えるべきかと思います。 >それにな。威勢よく思想や政治姿勢をぶち上げる人が、果たしてそうした人々と違って「ちゃんと考えている」か?というと、意外とそうでもないんでないか。 他の情報の引用だっとしても、それがその個人において単にデータを集めてそれで終わりだと思っていなのであればいいのかもれませんよ。その沢山集めた情報の中で自分の中での考えを構築し、全く新しい考え方を生み出せるのであればただのネット上でのパクリ行為ではないと思います。 ただ、政治家といよりもむしろ男に限ってかどうかわかりませんが。人間が夢を語りだしたら政治家か宗教家のどっちかというのは決まっている事らしいです。 政治家などの「夢」なんてものは所詮は国民たちにとってはどうでもいいことです。 国民はそんな大きなチャンスや大きな家が持ちたい訳ではない。ただ、普通の人として暮らしたい。人としての威厳を損なわない、人間としてあるべきもの望めれば、無駄なリスクを背負い込んで大きな利益を得たいなどと思わないのでは。 そこらへんが政治家と国民との間でずれている所だと思います。

その他の回答 (3)

  • dell_OK
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回答No.4

国民と言う言葉が大げさすぎるので、そう大きくはなんとも言えませんが、私に限って言うと、自分の考えをはっきりとは持たず、無批判ではないけど必ず批判するわけでもなく、宗教もあまり気にせず、政府の事には無頓着です。 質問者様が言われている基本にとても近い存在です。 質問者様がまたどなたかを見られてそう思われたように、また私が私自身をそう言うように、国民の中には、確かにそのような存在があります。 そのような国民を数えれば片手では済まないと思います。 ですが数が不明なので、基本とまでは言えないと思います。 そう思われている質問者様は、おそらくこの基本とはかけ離れているのだと、私が勝手に想像しますが、そうして、同様な人たちも数えればいくらでもいると思います。 それも、基本と考える事ができ、また基本とまでは言えないと思うのです。 これをして、国民、あるいは、国民性、と言ったまとめた言葉でくくる事はできないのではないでしょうか。

  • daidou
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回答No.2

それは「無知蒙昧な大衆」「愚民」と称すべき輩。 与えられた情報を鵜呑みにし、己の都合のみを追求し、真実・公益から目をそらす人々ではないでしょうか? 「国民」とは意味が異なると思います。 確かに国民の中に、そのような人々がかなり多いことは否めませんが、国にはそういった人々を啓蒙し、真実・公益の何たるかを知らしめる義務があるのだろうと思います

aporo1
質問者

補足

>与えられた情報を鵜呑みにし、己の都合のみを追求し、真実・公益から目をそらす人々ではないでしょうか? 与えられた情報と言いますと、主にテレビや新聞などから得た情報を基本とするという事なのでしょうか? そういった民衆はインターネットとかやらないんでしょうかね? >確かに国民の中に、そのような人々がかなり多いことは否めませんが、国にはそういった人々を啓蒙し、真実・公益の何たるかを知らしめる義務があるのだろうと思います 政治家や国会議員を選ぶのは国民ですから。 無知蒙昧な大衆によって選ばれた者が、果たして真実や公益の何たるかを知らしめられるんでしょうか? 国民が国民なら国も国。最早、通念かと思います。

  • yama_x
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回答No.1

質問の趣旨・意図がいまいちつかみきれないですが・・・ >他人の尻馬に乗る・・・ 一番はじめに行動している「他人」なるものは「国民」の一部では ないのですか? 少なくともすべての「国民」が「無批判」にすべての事を受け入れる、 ということはあり得ないでしょうし、普通の人はこだわるところと、 そうでないところがあって、「ここの部分は自分の主張を譲れないけど、 ここのところはよく分からないし長いものに巻かれとけ」という 「判断」をしているのではないでしょうか? まあ、日本人は「長いものに巻かれとけ」という部分が多いのは 確かかもしれませんが。 ついでに言えば「モンスターペアレント」と言われるような人は 「自分の考え」の塊で、現状を批判しまくりのようなイメージが ありますが・・・どうでしょう? さらについでに「無政府主義」ってこんな話の流れで出てくる言葉 なんでしたっけ?  自分の理解が良くないのかもしれませんが、むしろ国家権力なんて なくていいいから、自分のことは自分に決めさせろ、ぐらいの 意味合いだと思っていたのですが・・・

aporo1
質問者

補足

>少なくともすべての「国民」が「無批判」にすべての事を受け入れる、ということはあり得ないでしょうし、 今回の議題はあくまで国民の基本てなんなのだろうという事なんです。 国民の全てがそんな人達ばかりではないというのは分かりますが。 スタンダードは此れだというものがある以上、これ以上は国民に高いモラルを追求できないのでは。 人徳のある人間や、人間愛を謳う事はしているけれども、それらは所詮、日本人としての基本だったわけではない。 あるある大辞典とかミートホープや船場吉兆など、データ捏造や食品偽装など問題が起きた実例がありますが あるあるだと、血液型性格判断ですが http://www2u.biglobe.ne.jp/~azma/iori/hobo/ho4/co20405c.html 外国だと自分の血液型を知らない人が結構多いらしいです。 病気や交通事故で重症を負った時などで、始めて自分の血液型を知るんだそうです。自分の血液型を知らないまま、一生を終える人も沢山いるようです。じゃあなぜ日本はそんなにまで血液型に拘るのか? 特に女性ですがまだ此れに拘っているし。 食品偽装などもあれだけ社会的制裁を受けているのを見ているのに、まだ此れやっているし。 単に、科学的迷信を論破したり、罰則を強めるだけではこれ等を正すことは出来ないのでは。 実は以外とこういう事は前から(戦前とか)あって、それが表面化されて出てこなかっただけだったのでは。 それじゃあ、一体私たちの日本ってなんだったのか?っていう、根源的な疑問にたどり着いてしまうんです。社会というものの不信感にダイレクトに繋がってしまうんですね。