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日本人に死刑存続論者が多い理由は?

日本には死刑存続論者の方が廃止論者よりたくさんいます。 しかしその理由がわかりません。 何でですか? 宗教や文化的な問題なんですか? ちなみに、存廃問題の議論はよそでやってください。

みんなの回答

  • fmxcv21
  • ベストアンサー率0% (0/7)
回答No.16

日本の死刑を廃止を唱える人たちの中に、どうやって死刑を廃止すればいいか、死刑廃止後の刑法体系はどうするべきか、死刑を廃止した後の犯罪被害者保護はどうすべきかをまともに主張している人が少ないからです。 日本の文化的な側面からいえば、日本は「潔い死」と同時に「水に流す」と言う、本来は、潔く罪を認め謝罪し贖罪をすれば許す(場合によっては、時間が経てば過去の事だと言うだけで許してしまう)と言う文化がありますので、まともな「死刑を廃止した後の司法刑法体系」の提示が出てくれば多くの国民が死刑廃止に賛同するのでは無いでしょうか。 日本は法治国家ですから過半の国民が納得すれば死刑は無くなります。

noname#105359
質問者

お礼

だいたいわかりました。 ほとんど宗教的や文化的な問題ですね。 ちなみに、互いの立場の人のことを悪く言うのは悪いことの一つだからやめた方がいい。 これはここに解答してくれた人の大半に言っています。 この問題の一番醜いところで、互いの立場の人をさげすむ事があまりにも多すぎる。

  • ryuken_dec
  • ベストアンサー率27% (853/3139)
回答No.15

日本では、「切腹して自らの無実を主張する/忠義を立てる」などと命より重要なものがあるという宗教観があるからです。 命がプライドや忠義であったりというものより軽いので、命第一主義の価値観とは相容れないところがあるのでしょう。

  • flavas2
  • ベストアンサー率63% (200/317)
回答No.14

存続や廃止以前にね、 現状維持論者が多いんでしょう。 どちらかというと日本人は保守的なんです。 仮に古来より日本が死刑のない国だったとして、それで取り立てて問題が起きていないのなら、おそらく廃止論者のほうが多いことでしょう。 法改正してまで死刑を行おうと言う動きは少ないと思います。 たぶん9条存続論者が多いのと同じような理由だと思います。 とりあえずそれでまとまっているんだから 膨大なエネルギーを使ってあえて現行を廃してまで変えることじゃないと言う感じでしょう。 現行は凶悪犯罪を犯したら死刑という法制度で育ってきているんです。 もちろん宗教的な意味合いも文化的な意味合いもあることでしょう。 専属の親族の仇を討つのも義ですから。 明治時代に廃止されるまでは、江戸時代では敵討ちは法制化されていましたからね。 存廃問題を持ち出すとしてもね。 存続するのにも廃止するのにも問題があるとするならば 変える必要がないと考えるでしょう。 仮に廃止に変えたところで それはそれで新たに存続論者から問題が出てくるわけですから。 定まった考えがあるわけじゃなくね。そのときの時勢とか優勢な考えに従うんでしょう。日和見主義みたいなものですよ。きっと。 日本でも中国のように死刑制度の不備、つまり不十分な裁判、役人による悪用、臓器売買が露呈されればあっという間に死刑廃止論者が増えると思います。 私も存続論者ですが、死刑を廃止する合理的な理由が示されない以上 廃止論に回ることはないです。 死刑を廃止するメリットが充分に公然と告知されない以上 今のままでいいんじゃないかと考えるんじゃないですかね。 ご参考までに。

  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.13

元々日本には切腹のように罪に対して自らの死で償うという文化があります。 他人から死を押し付けられての死刑でなく、自らを死という行為で罰するんです。 他人から押し付けられての無理やりの死刑が元なら死刑は行き過ぎた罰ではないかという考えにもなると思います。 しかし日本のように自ら罰して腹を切ることが根底にあると、重大な犯罪を犯したものは自らの命を持って償うことは特別残酷でもおかしなことでもなく感じます。 だから日本では死刑存続論者が多く存在するし、死刑廃止にならないのだと思います。

  • pojipoji
  • ベストアンサー率32% (53/161)
回答No.12

死刑という刑罰が、国家が被害者又はその遺族に代わって行う復讐であると捉えられている気がします。日本ではあだ討ちというものが制度化され実行されている時代がありました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B5%E8%A8%8E あだ討ちは国家の刑罰権の不足を補うものであったと考えられます。喧嘩両成敗という国家が直接には関与しないという原則があり、当事者同士で決着させる趣旨であったと考えられます。 またあだ討ちは忠義、孝行を尊ぶ考え方にあって庶民の大きな人気を博したことは、例えば忠臣蔵が現代まで人気を得ていることで知られています。他にも曽我兄弟の仇討ち、鍵屋の辻の決闘などあだ討ちというテーマは日本人の心をとらえてはなさない美学の一つであると考えられます。進駐軍はこれを恐れ占領時代検閲を行っています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BE%E6%88%91%E5%85%84%E5%BC%9F%E3%81%AE%E4%BB%87%E8%A8%8E%E3%81%A1 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%B5%E5%B1%8B%E3%81%AE%E8%BE%BB%E3%81%AE%E6%B1%BA%E9%97%98 http://www.topics.or.jp/index.html?m1=5&m2=25&bid=11660741513855&cid=11661688522069&vm=1 文学でも菊池寛の恩讐の彼方になどあだ討ちを扱った作品があります。森鴎外の山椒大夫も広くみればあだ討ち物語にも読めます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%A9%E8%AE%90%E3%81%AE%E5%BD%BC%E6%96%B9%E3%81%AB http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%AF%BF%E3%81%A8%E5%8E%A8%E5%AD%90%E7%8E%8B%E4%B8%B8 童話でもかちかち山などはあだ討ち物語そのものです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%A1%E3%81%8B%E3%81%A1%E5%B1%B1 漫画でも金田一少年の事件簿シリーズは犯行の動機としてあだ討ちを繰り返し取り上げました。

  • tooma37
  • ベストアンサー率25% (96/374)
回答No.11

人権思想と法治主義を多くの国民が理解していない、もしくは誤解している事が大きいと考えます。元々このふたつは絶対王政へのアンチテーゼとして生まれたもので ・人権は全ての人間に与えられている=全ての人間に与えないと支配者の意図的な解釈を加える余地を与えてしまう。 ・条文化された法律はその共同体の総意であり極力尊重されるべきである=法の軽視や曲解を許せば支配者の専制を招いてしまうという という発想があります。この考えを基にに基本的人権を謳った近代憲法(日本国憲法を含む)を解釈すれば、死刑がその憲法下にそぐわない制度であるという結論が出るのは自然なことです。  しかし日本ではこういう考え方は余り広まっていないので、死刑廃止の倫理的な後ろ盾が論理的とはいい難いヒューマニズムを中心とするようになってしまうので多くの人間の賛同を得る事ができていないのが現状です。

  • wiz0621
  • ベストアンサー率42% (182/430)
回答No.10

やはり日本人の精神的な特質、すなわち「旧態依然」の一言で表せると思います。 明治以降、日本は論理的な整合性によってではなく 「どうしても必要とされた場合にのみ」社会システムを変容させています。 死刑制度自体に重大な欠陥が発見されるか、関係国すべてが死刑廃止に 傾くまで、日本で死刑廃止論が主流となることは無いでしょう。 加えて政治体制や法制度・経済や会計のシステムに至るまで 日本独自の発想というものはほとんど存在しません。 死刑廃止論が始まったのはまだ40年程度ですから、その概念が 未だに伝わっていないと考えられます。 今や技術・経済先進国である日本も、社会制度の概念に関しては 100%の輸入国であり、近代以降は常に後進国なのです。 ちなみに宗教は論理的な根拠になることはあっても、 変革の原因となることは殆ど無いと考えられます。 聖書は「殺す無かれ」とする一方で、中世以降キリスト教国家でも 死刑は恒常的に行われています。 これは同様に聖書の記述を根拠としているのです。(一部の酸が全体を腐食させる)。 このように宗教とは一元的なものではなく、解釈論でしか語れません。 正反対の理論の持ち主が同様に聖書の記述を根拠と出来るのですから 聖書に書いてあるから死刑は廃止、という批判は短絡的に過ぎます。

回答No.9

>日本人に死刑存続論者が多い理由は? を、「日本では、死刑制度の支持者が多いのは、なぜでしょうか?」と言い換えても同じだと思いますので、そのように置き換えて考察します。 >宗教や文化的な問題なんですか? 宗教的な背景があるとは、断定できないように思います。他の回答者さんの記述にもあるように、無宗教と言い切る人の増加も一因かもしれません。宗教は考えなくてもいいと思います。 文化的な背景はあると思います。「主君の仇を討ち、潔く切腹する」という作品を毎年年末に見せられ続けている国民なので、究極の責任の取り方は、自死か死刑かで決定です。更生よりも責任追及、バッシングに傾いているような印象が強いのです。朝青龍、亀田親子、船場吉兆・・・追い込む風潮は厳然としてあるように思います。冷たい社会です。自殺3万人超の時代ですから、相関していそうです。 これが、死刑制度支持者の実態であると思います。一朝一夕で出来上がったものではありません。また、短期間で転換するとも思えません。質問者さんは、この死刑制度に不支持の声を上げたいと思いますか。行動を興しますか。おそらく傍観するでしょう。ですから、なかなか変わらないと思います。かなり長期に亘って維持されるでしょう。そして、「それでいいのだ」と思います。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.8

放火で死刑の国だからw

noname#65441
noname#65441
回答No.7

まず、死刑制度は復讐の国による代替行為です。 社会秩序を維持する為、個人間の復讐やその連鎖を防ぐためです。 国家を構成しているのは個人の集団ですから、大多数が復讐を望む以上、死刑制度は存続する訳です。(被害者が極刑を望むのはニュースでもよく見るところです。) よって殺人を禁じている国が殺人を行うのは矛盾であるとの指摘は当たりません。 何故人を殺してはいけないか? に対し人智では論理を構成できません。 答えは、唯一、宗教によるものです。 神が殺してはいけない、と御命じになったから、のみです。 キリスト教の聖書には、殺してはいけない、復讐は神に委ねよ、とあります。 存続論者が多い理由は、日本人には宗教と規範が無い為です。 この指摘に対して以前は反発をもち異論を唱えましたが今はその通りだと思っています。 ちなみに、いわゆる仏教は宗教ではありません。 宗教学上も仏教学者もそれを認めています。(一部の)

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