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死刑廃止論側のまともな意見はあるのか?

wikipediaなどをみると、死刑存置論と廃止論が同列にあつかわれているような気がしますが、具体的発言にある内容は、廃止論は正当性があるものとは思いません。現実を無視した感情論や揚足論というかんじで主張としての価値がないと思います。 私からすれば、死刑は存続の方針で確実なのですが、なぜこれほどまで廃止論が日本ででてくるのでしょうか。 そして、このサイトの過去ログにもこれを扱ったいろいろな質問がありますが、真に合理的な意味で死刑存置論に論駁する論などあるのでしょうか。 極悪囚人を生かしておくには経済的に費用が掛かりますし、社会の安全面でも危険を孕むことだと思います。私からすればどうみても死刑が打倒なのですが..不思議でなりません。

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回答No.10

 ANo.7なんですが。  父母が持ってくれた我が生育の課家庭も、自慢ではないが、今の私が振り返ると、よくまぁ幼い子どもとともに生き延びたと存じます。でもこのことなどは、そういう事から目を離してみていかないと、妥当な思考が開始しないと存じます。  私もホームレスをとても同情しております。しかし関わるのは勿論、見るのも話すのも避けていました。古い社会事業の高等教育に46年以上居たのに。でも昨日人と待ち合わせが、時間ありすぎて、上野で、彼らと交流ができました。年金生活の私もうらやましいな、と思う人たちや、そうでない人も居ました。もちろん数時間の一面の接触でしたが。 だから、多分拘束と監視の中の刑務所生活より、いいのではないかな。肉体的にも。法学出身で、刑務所の人とは多少付き合っているが、それは悲惨なもので、心身は全く自由はありません。食べているといっても、ちょいと事情は想像できないでしょう。  被害者のお気持ちや、損害は計り知れないでしょう。  それを加害者の受ける刑罰で回復するのはとてもできないでしょう。  仮に被害者とその関係者が死刑や極刑を望んでも、本当はそれでも何十分の一も満足いかないのではないでしょうか。  だから、それは無視するのではないが。  むしろ被害者はある程度のところで、どうしても歯を食いしばってこらえてもらわなければならないと存じます。  被害者とその関係者は、むしろ、自分の気持ちの処理、生き方の中で、重いだろうが、背負っていきていくことを自分に了承、受け入れることの方が大事だと存じます。  私にできないが、その状況になれば、そうする以外にありません。

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質問者

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なるほど。参考に為りました。有難う御座いました。

その他の回答 (9)

  • bone0000
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回答No.9

きみは自分のことを勘違いしてるようだけど、君は決して死刑存続論者じゃないよ。 もちろん死刑廃止論者でもない。 君は死刑推進論者なんだよ。 死刑廃止論者は、死刑絶対反対。 死刑存続論者は犯罪者とはいえ人を殺す事は本当は良くないけれど、やむなく殺さなくてはいけない時もある。 君の場合はそれなりの理由があれば殺しても良い、むしろどんどん殺すべきだ。 しかもそれなりの理由と言っても基本的には君の都合や損得勘定にすぎない。 前の人も言っていたけど、君の考え方は存続論者のなかでも浮いてしまうと思うよ。 理由があれば殺しても良いという考えにおいては、こちら側と言うよりあちら側の人の考え方に近いね。君と回答者との問答を見ててなぜ寒気を感じたかやっとわかった。

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質問者

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そもそもwikipediaの死刑存置論と廃止論の主張をみて、素朴に疑問を思ったため質問しました。 うーんbone0000さんの主張がいまいちピンとこないのですが、まあいうのであればそういうことなのかもしれませんね。極端な社会悪は排除されても仕方ないと考えています。そのほうが社会に有益であれば。

  • trent1000
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回答No.8

>もちろん、冤罪といった危険性は否定できませんが、罪状が明らかな場合、極刑に処すのも問題ないかと思われます。 おっしゃることはわかるのですが、そう簡単な問題でもないんですよ。 例えば富山の痴漢冤罪事件の場合、明確なアリバイがあったにもかかわらず検察はそれを調べもせず、裁判官は検察官の主張だけを鵜呑みにして有罪判決を下しました。 その時点では検察官も裁判官も「被告の犯罪であることは明らか」と思っていたでしょう。 今まで死刑判決を受けていながら再審で無罪になった人たちも、最初の裁判では「罪状が明らか」と思われたからこそ死刑という判決を下されたんです。 本当に「罪状が明らか」なのは物的証拠が多数有り、被告がそれを認めていて自白に矛盾した所がなく、死刑執行のその時まで無罪を主張しない場合に限られます。 もし仮にそういう人たちのみを死刑執行するようにした場合、死刑執行を逃れるために一切罪を認めないものが多数出てくるでしょうし、そうなれば事実上死刑廃止と同じ効果が出てしまいます。 ですので、「罪状が明らかな場合、極刑に処す」というのは口で言うほど簡単ではありません。 それと、経済性の観点から長期刑よりも死刑というのは危険な考えです。 もしそうであるなら、社会インフラの恩恵を受けていながら収入が低いために税金を納めていない貧乏人に生きる価値はないことになります。 年金を受け取るだけで税金を食い潰している老人も生きる権利はないことになります。 人の命は金銭に置き換えられるものではありません。 これは死刑の存廃に関係なく人としての最低限の理性だと思います。

回答No.7

 ご回答の通りと存じます。  死刑を廃止したことがないから、予測や想像ができなくて、それが実は大きな動機になって、存置論を展開しているかもしれませんね。  不安な動機を論拠には存置論は構成しにくいのでしょうか。  起こるかもしれないことに、私も完全に不安がないわけではありません。  でも犯した罪とのつりあいと償い、その社会的回復から、死刑存置をすることは、少し説得性もなくなりつつあります。  そして何より、罪を犯す人の宿命も私は何か考えてしまいます。  また、話は別ですが、≪極悪囚人を生かしておくには経済的に費用が掛かりますし、≫ということは、お気持ちはりかいできますが、経済性を存置論とのかかわりでだすことは、あまりいい気持ちにはなれないのですが。其の通りでも。もちろん建前と本音のはなしではなく。  それと、死刑で解決させてしまうのと、一生かかって思い出しながら、償うのと、重さは質がちがうのではないでしょうか。  心に何も思わなかったり、再犯したりはありうるでしょうが、そういう人こそ人間としての、犠牲者のような気がします。  廃止論も存置論も結論していない結果、存置論となっていますが。私自身は。

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質問者

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>死刑で解決させてしまうのと、一生かかって思い出しながら、償うのと、重さは質がちがうのではないでしょうか そういう意見も強いのであれば、納得できるのかもしれません。 罪人留置の経済性を強く考えるのは私自身が貧しいからかもしれませんね。生きるだけでこれほどまでお金が掛かるのに、罪人はただ食い潰す、というのが理解できないのでしょう。只でさえお金が無くて家ももてないひとが大勢いるのに、罪人は雨風凌げて、ある程度栄養も考えられた食事を食べ、毎日が安定している、というのが理解できないのでしょう。大罪を犯しているのに、生活レベルでいえば、ホームレスよりずっと上というのも納得がいきません。こころの問題というより、おかれた状況が問題なのだと思います。もちろん、何も思わないわけではありいませんが。 そういった意味で私は経済性を重視していますが、「一生かかって思い出しながら、償う」のは誰のためになるのでしょうか。被害者に有利でしょうか、それとも単に罪人の罪悪感を付加するためしょうか。私は基本的に裁きは被害者のためにあると考えます。被害者にとって満足できる処置であれば問題ないと考えます。しかし、「単に罪人の罪悪感を付加するため」というのは被害者は本当に望むことでしょうか。仮にそうであるにしても、経済性からそう安易に長期刑にするのは得策だとは思えません。被害者も望むのであれば、終身刑といった長期刑よりいっそのこと死刑にするのが合理的にように思います。生命が存続するためには、コストも掛かりますし、リスクも小さくないからです。 もちろん、冤罪といった危険性は否定できませんが、罪状が明らかな場合、極刑に処すのも問題ないかと思われます。

回答No.6

日本最大の死刑廃止論を唱える人権団体は 冤罪の可能性がある死刑囚は支援をしますし抗議行動も行います。 鹿児島や富山での冤罪事件で彼らはこれをしませんでした。 冤罪被害者(被告)を支援したのは知人や近しい弁護士です。 上記の人権団体は本気で冤罪を無くそうとはしていない、 むしろ冤罪を死刑制度廃止のプロパガンダに利用しているとさえ思えてきます。 穿った見方でしょうか。

  • trent1000
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回答No.5

確かに中にはこじつけとか揚げ足取りの議論もありますが、廃止論の全てに正当性がないとは思えません。 例えば、死刑になった人が冤罪だった場合はどうなるでしょう? 最近も鹿児島や富山での冤罪事件が取りざたされていますが、世の中冤罪というのは結構多くあります。 死刑が決定した人の中にも、再審で無罪が確定した人はいますね。 実際に死刑が執行された人の中にも、冤罪だった人がいるかもしれません。 もし死刑を廃止して終身刑にすれば、冤罪の可能性のある人が再審で名誉の回復の出来る機会を奪わずに済みます。 死刑にしてしまえば、仮に後で冤罪が発覚しても取り返しがつきませんから。 つまり全ての死刑対象者が「極悪囚人」とは限らなくて、一般の善良な市民が含まれている可能性がわずかながらでもあるので、取り返しのつかない死刑を選択することに問題がないわけではありません。 人は間違いを犯します。 人を裁く方(裁判官)だって間違いを犯さないとは限りません。 理想を言えば死刑を廃止して終身刑や、アメリカのような数百年の刑を選択できるようにした上で、懲役として働かせることにより費用を捻出できればベストだと思います。 少なくとも一般市民はサービス残業や長時間の通勤や満員電車による通勤などを強いられてるのに、囚人が週休2日、週40時間労働で残業は一切なし、通勤などもなく、非常に「厚遇」を与えられているのは疑問を覚えます。 ホームレスの中には、刑務所にはいるためにわざと犯罪を犯すものまでいる始末です。 まぁ、死刑の変わりに重労働(1日12時間労働、休みなし)の懲役などを設けるなどが良いかと思いますが、そう主張すると人権団体がうるさいんですよね。

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回答No.4

社会生活不適合者は 社会から排除されるのが、 (社会生活を行なう)全ての生物の本能ですよ? 「一人では生きていけないので 社会を形成している」のに そんも社会を壊す者に対して 排除行為を行なうのは、ごく普通の行動です。 (他人を虐殺しまくっている人物に対し 放置し続ければ、社会がどうなるかは自明でしょう) 性善説に則った「日本の法体系」では 犯罪者を更生するか、手の下しようの無いものなら 死刑にするしか、方法はありませんね。

  • nep0707
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回答No.3

>現実を無視した感情論や揚足論というかんじで主張としての価値がないと思います。 そのレベルで行くと死刑存続論だって似たようなものだと思います。 >極悪囚人を生かしておくには経済的に費用が掛かりますし、社会の安全面でも危険を孕むことだと思います。 「極悪囚人」というのは感情的な評価を伴った表現ですし、 費用も社会的安全性の指摘もデータが示されなければ感情論ですよね。 また、「被害者の人権はどうなる」と言った時点で、既に(法的な意味での)人権論からも遠ざかっています。 ちなみに通常の死刑存続論でもこのような議論はしないです。

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質問者

お礼

訂正です。費用について、刑事施設の維持や運営の収支のことであれば、データは公開されていないので不明です。禁固刑の場合、受刑者が労働することはありませんので、その際の生活費は国庫が負担することに為ります。

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質問者

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極悪囚人というのは犯罪の程度で修飾したに過ぎません。個人的感情の意図はありません。というか問題の本質ではありません。 費用や社会安全性などデータがなくても明らかでしょう。生きていれば養うだけの費用が必須ですし、安全性など大罪人が街中を濶歩していたら安心できるわけがありませんよね。そうでなくてもデータなど調べがつくでしょうし。 >ちなみに通常の死刑存続論でもこのような議論はしないです。 それを具体的に回答いただきたかった。

  • bone0000
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回答No.2

死刑廃止論と言うのは、実際には論説ではなく人間や生物の本能から発せられるものです。自分が殺されないために本能的に他者を殺したり傷つけたりする事に抵抗を感じるのです。反して死刑やその他の刑罰は社会的要請から生まれたものです。ですからもともと問題の性質が全く違うものですから葛藤があり、むしろ安易に回答を出しては行けない永遠の課題なのです。多分あなたにはご理解の範疇を超えていると思いますが。 それよりもあなたの考えの延長線上には社会的不適格者の排除もやむなしと言う思想が垣間見え、果たしてあなたはその考えにおいてあなた自身を適格か否かどちらに判断するのか、いささか興味があります。

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質問者

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こういった方も現にいるのだなと、参考に為ります。 >あなたの考えの延長線上には社会的不適格者の排除もやむなしと言う思想が垣間見え まったく其の通りです。已む無いでしょう?かえってじゃあどうするのと訊きたいくらいです。 社会的適格か否かの判断は現に法律で判断付けられていますから、それに則ればよいだけの話です。まあそこまでメタ論になると話がし辛いです。もっと具体的に問題をあげて議論すれば、恐らく合意に達せるでしょう。

  • nishikasai
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回答No.1

同感です。 海外ではキリスト教から来る「可哀想論」が主流ですが、日本ではキリスト教は少ないので「人権論」が主流です。 被害者の人権はどうなる!

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質問者

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キリスト教の隣人愛やあわれみの心ですね。そもそも宗教的に相手を罰することを避ける傾向があります。「敵を愛しなさい..」 私の意見としては、もっと科学的な立場も全面にでてきてもよいと思います。一度堕落した人間は物質的に社会的再生は困難だということを証明する手立てが有れば..(精神病重症患者、薬物依存) 宗教にしろそこには科学と言う合理性が欠けていますので、現代の観点で普通にみれば、死刑にするほかはないように思います。