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光が全くない
ドラマでは人は悩みながらも困難を乗り越えてゆきます。それはドラマに出てくる人間はみな容姿がよく周りに人がいるからである。現実は悩める人間は孤独であり、それに押し潰されそうになる。一体どうすれば光が見えてきますか?
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- chaaaaaaco
- ベストアンサー率0% (0/2)
こんばんは! 生きている限り、人間に本当の孤独ありません。 私たちが勘違いしている孤独は 集団の中での孤独であり、 決して孤独の中の孤独ではない、と私は思います。 せっかく周りにたくさんの集団があるのだから、思い悩む前に、おもいきって何かに挑戦してみるべきではないでしょうか?
- ubatama76
- ベストアンサー率14% (35/246)
ドラマはしょせん空想で理想です あなたが今面しているのが現実なんですから 理想ばっかり見てたら光なんて見えるはず ありません 人間誰しも死ぬまでもがき苦しんでます 隣の芝が青く見えるように他人が幸せに見えても ほとんどの人は現実でがんばっています
こんばんわ。 現実に容姿がよくてもブサイクでも 悩んでいたり、不安だったり、孤独だったり、それに押し潰されそうだったり… そんなことは、同じだと思います。 みんな人間ですから 備わっている臓器や心は一緒ですからね。 ただ それに対して光を見出そうと 努力したり、乗り越えようとすることも 同じ人間ですから 容姿がよくてもブサイクでも 出来ると思います。 容姿に自信がないのですか? 周りに人がいないのですか? 容姿に自信を持つのも、周りに人にいてもらうのも 自分次第で変わると思います。 具体的にどんな状況なのか書かれていないので分からないですが 光を見出したいのなら 行動しましょう。 必ずそばにいてくれる人はいるだろうし、 容姿を気にしなくなれることは出来るだろうし、 頑張ってください。
- suunan
- ベストアンサー率14% (224/1569)
そうであるかはケースバイケースです。 あなたが何を相談したいのか別の質問として 具体的に書いてください。
- tiyo_jo
- ベストアンサー率11% (11/92)
悩みを解消するか自己完結させる。 周囲に他人が居ようが居まいが手段は色々あります。 そもそも他人を頼るような悩みって仕事関係以外で思い付きません。
- -micchi-
- ベストアンサー率9% (2/21)
っていうか、周りにいる人間から距離を置いているのも自分だって事には気づいてる? 孤独だって、自分で選択した結果だからな。 それに押しつぶされそうになるっているのは、単純に自分を見ていない証だろに。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20256/40157)
光を何処に見出すか、ですよ? ハッピーエンドが全てのゴールではないはず。 孤独と感じても本当に孤独になっている訳ではなくて、 周りを見れば家族やサポートする人はいたりするんです。 自分なりに困難を越えていくプロセスの中に実は光はあるんですよ☆
-赤塚不二夫さんの葬儀でのタモリさんの弔辞より- あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放たれ、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。 あるがままに受け入れる。世界(すべての出来事、存在)に意味を持たせ、色をつけているのはあなた自身です。他の人もまた自分の色眼鏡を通してしか見れません。人間は誰一人として、あるがままに世界を見れてはいません。嫌な出来事をその場だけではなく、平穏な場所や時間にも繰り返し思い出し、あなたに嫌な思いを味あわせているのは他ならぬあなた自身ではありませんか。嫌な思いは、その場で感じるだけでよいではありませんか。そうすれば、ほとんどの時間は平穏です。 悩みがあってはいけないと、誰が言ったのでしょう。孤独であってはいけないと誰が決めたのでしょう。あなたが悩むのなら、悩むことが当然なのでしょう。誰でもあなたと同じ立場なら、きっと同じように感じるのでしょう。 人は時として、不幸にしがみつくことがあります。また、人は常に“自己肯定感”を求めます。一般的に回答者は『考え方によっては、不幸ではないのではありませんか?』とアドバイスします。自分自身でもそのように自分に言い聞かせます。でもそれは同時に、「悩んでしまっている自分」「不幸だと感じてしまった自分」を否定することになるので、やっぱり“自己肯定感”が持てなくなります。矛盾しています。悪循環ですね~。 じゃぁ、「悩んでいる自分」「不幸だと感じている自分」を否定せず肯定しつつ、悩みや不幸から解き放たれるにはどうすれば良いのでしょう。まず、「悩むのも無理ないよね。」「不幸だと思うのも当然だよね。」と心の底から共感することだと思います。「誰でも私と同じ境遇になれば、同じように感じるよね。」と本心から思うことです。 待って!そんなことをしたら、悩みや不幸を認めることになるんじゃないの?と思われるでしょう。でもね、自分が感じた感じ方を認めなければ、この世の中、何を信じて生きていけば良いと言うのでしょう。自分が不幸だと感じたのなら、きっとそうなのでしょう。客観的に見れば不幸ではないかも知れないけれど、「自分は不幸だと感じた」事まで否定する必要は無いでしょう。 あるがままを受け入れるには時間が掛かるでしょうが、一歩一歩自分の足で歩んでいくしかないでしょう。あなたがあなたの事に一番関心があるのと同じように、他の人も自分の事に一番関心があるのです。あなたが“自己肯定感”“自己重要感”を持ちたいように、他の人も“自己肯定感”“自己重要感”を持ちたいのです。人を恨んでいる時、人は幸福ではありません。泣いて暮らすも一生、 笑って暮らすも一生。「人生の意味とは?」と問われても、決まった答えなどありません。私たち一人一人が問われているのです。
- ma3zu
- ベストアンサー率27% (285/1036)
潰れるのは自身がそれを望むから 孤独なのは目を閉じてしまっているから 目を開き周りを見渡せば 孤独ではないこと、光があることに気が付きます。 潰そうとしているものは 自分自身です。 目をつぶっているから 何に潰されそうになっているのかが分からず 光もない闇の中だと思ってしまう。 現状を受け入れ、その上で 何ができるのかを見つければ それが光です。
天は自ら助くるものを助く という事で、行動あるのみです。 死に物狂いになってもがいてさえいれば、正解ではなくともそれに近い地点にまでは必ず辿り着けます。そしてもがいている中で、違う道だって見えてきます。 天を仰いで口を開けているだけでは、いくら待とうとも何物も与えられません。 まして今では「同じように悩み、同じように孤独な人間」にすらネットでいくらでも出会えるわけですから、昔に比べりゃずいぶん恵まれてますよ。
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