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人間のメスは何故、胸やお尻をオスに触られる(見られる)のを嫌がるのでしょうか?

よく考えたら不思議なのですが、これは他の動物にはない事です。 よく知りませんが、牛などはオッパイをいくら触っても怒らないはずです。 人間の場合、弱い部分を守る為にその様に出来ているのかと思いましたが、それでは何故、女に触られて(見られ)も嫌でないか、あるいはカッコイイとか好きな男に触られても嫌でないのかが説明出来ません。 だとすれば、人間のメスは優秀なオスの遺伝子が欲しいが為に、優秀(気に入った)なオスにしか触らせない様に出来ているんだと考えました。 しかし、それならば子供を作る時に使うあそこの穴だけを嫌がるはずですし、関係が無い胸とお尻はどう説明するんだろう?と疑問が出ます。 それに女性は男性のペニスや尻を見ると嫌がるのも何故なのか、ペニス見ると喜ぶ女性もたまにいますが何故でしょうか? また女性がペニスをなめるのは何故でしょうか? どうなのでしょうか? あと別に変な考えで訊いてる訳ではありません。ただの一般人なので分かりやすくお願いします。

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noname#160718
noname#160718
回答No.1

 カテゴリーはここで良いと思いますが、質問が多岐に渡るのでもう少し疑問点を絞った方が良いでしょう。  まず大前提として、ヒトの性行動は生殖のためだけではなく、他に様々な文化的な側面を持った行為、ということがあります。これはヒトに特有の現象で、他の動物にはほとんど見られません。チンパンジーと近縁のボノボという類人猿がほとんど唯一の例外です。  このことと関連して、ヒトは生殖器だけでなく乳房や臀部、脚といった他の部位がセックスアピールを持つようになっています。  これはヒトが二足直立歩行をすることと関連がある、という説もあります。  つまり二足直立歩行をすることによって雌の生殖器が"見えなく"なりました。四足動物だと雌性生殖器は容易に見える位置で露出しているのですが、直立歩行になると通常の姿勢だと身体から下向きになるので生殖器は他人から見えません。  雌性生殖器は発情期になると粘液を分泌したり充血して腫脹したりといった変化があり、それが雄に対する強烈なアピールになるのですが、その変化が容易に見えなくなったため、その代替として乳房や臀部がセックスアピールを持つようになった、という説です。つまり「乳房や尻にセックスアピールを感じるように進化した」ということなのですが。  この、生殖器以外の身体部位にセックスアピールを持たせる進化、は「発情期以外の性行動」をも促すでしょう。  他の動物の雄は発情した雌を見ることによって「興奮」するわけですが(雌が発情していないとまったく興奮しない、というわけでもないですが)、乳房や臀部にセックスアピールを感じるようになると、これらの部位は性周期の中で特に変化はしませんから、雄は「常に雌に性衝動を持つ」ことになってしまいます。  そうすると雌としては、雄が常に自分に性衝動を持っているとすれば、発情期以外の「妊娠する可能性がない時期」であっても雄を受け入れた方が何かと得なわけです。  というわけで、ヒトは動物の中では珍しい、「常に性行為をする」動物となったのではないでしょうか。  で、「生殖器以外の部位にセックスアピールを感じる」方向に一旦進化すれば、どの部位にそれを感じるかは制限がないわけですから、鎖骨フェチや項フェチも出てくるわけで。  つまり、ヒトの雌にとって乳房や尻に触られるのは、「性行為そのもの」と同じ意味を持っています。嫌がるのは当然です。  ま、女性の身体のどこに性的興奮を覚えるかは非常に細分化されていて、全ての男性をかき集めれば女性の全身をカバーすると思うのですが、最大公約数というか乳房や尻にセックスアピールを感じない男はいないですよね。おそらくこの2カ所にセックスアピールを感じる進化が最初にあったということなのでしょう。だからほぼ全人類に共通なのでしょう。  乳房(ちなみに"生物学的"には"にゅうぼう"と読みます)や尻に、格好いい男や好きな男に触られても嫌ではない、ということもそれで説明できると思いますが、それもシチュエーションによるわけでしょう。  例えば公衆の面前だったりするとやはり引くと思いますが、それもやはり乳房や尻に触ることは性行為そのものと同じ意味を持つ行為だからです。  女性の方が見るのを嫌がる、ということに関しては「シチュエーションによる」としか言いようがありません。  さらに生殖器以外の乳房や臀部にセックスアピールを持たせる進化は、「性行為の文化化」をも加速させるでしょう。文化としての性行動はボノボなどにも見られますが、ヒトはそれが極めて著しいです。  つまり生殖器以外の部位にいくら執着しても繁殖には結びつきませんから、これらの部位に対する性的興奮を感じる進化は、「生殖を目的としない性行動」の発達も促すでしょうから。  オーラルセックスなどはその一環でしょう。

noname#78932
質問者

お礼

有難う御座います。 雌の生殖器が見えなくなった為に、オスは胸とお尻に興奮する様になり、そこをを触られるのは性行為そのものになってしまう訳ですね。 しかし、人間の性行為の目的は必ずしも生殖ではなくなった・・・確かにそうですね。

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noname#160718
noname#160718
回答No.7

 Jagar39再びです。  私がNo.2とNo.5で述べたことは、性に関する「文化」の「生物学的な背景」です(「必然」ではなく)。  きちんと呼んで頂ければお判りになると思いますが、私がNo.2及びNo.5で述べたことと日本での乳房の地位に関する事実は、まったく矛盾しません。  現在でも乳房を丸出しで日常生活を営んでいる地域はありますし、日本に「乳房は性的シンボル」の文化を持ち込んだ欧米から(それ以前の日本にそういう認識がまったくなかったとはとても思えませんが)、今度はトップレスの文化がやってきたりするわけで、「文化」の流転や伝搬については民俗学や人類学の分野でしょう。それでも生物学はもはや関係ない、というわけでは決してないのですが。  ただ、人類に限らずどんな動物でも、多くの文化行動には生物学的な背景がある、というだけのことです。  極端な話、ヒトの雄はチンパンジーの雌に対して性的興奮を抱くことはできません。それは異種動物に性欲を感じても生物として無意味だから、と素直に納得できるわけでしょう。  ですが乳房に対して性的興奮を抱く、ということもよくよく考えるとけっこう不思議なことなんです。他の動物には見られない現象ですし。  ヒトの雄は生物として「生殖器以外の乳房や臀部に対して性的な興奮を感じる」ことができるようになっているからこそ、欧米からそういう文化が入ってきた時に、それを受け入れることができるわけです。特に日本の男が乳房で興奮できるようにならないと、「乳房を隠す」という文化は定着しないでしょう。  その「乳房で興奮できる」ことが肝心な点で、そこには生物学的な背景が必要だということです。  ヒトの雄は既に雌の身体のあらゆる部位に対して性的興奮を感じる能力を持っています。  ですからイスラム圏のように、女性の顔や手足までも隠すという「文化」も成立する生物学的な背景があるのでしょう。  そもそも「女性は男性を選ぶ」というのも生物学的な背景がある話です。  チンパンジーのように乱婚型の繁殖様式であれば、交配する雄は特に選ぶ必要はありません。雄の間で順位付けもされますし、乱婚型であれば同時に多数の雄と交配すれば、「強い雄の精子」によって受胎する確率が高いですから。  女性が男性を慎重に選ばなければならなくなったのは、人類が一夫一妻制を基本とする繁殖様式を選択したからです。それは子供を未熟児で産んで教育期間を長くとることによって高度な社会性を維持するという戦略、すなわち生物学的な背景が存在するわけです。  倫理観や価値観といった「文化」は、その生物学的な背景の上に構築されるものでしょう。

noname#78932
質問者

お礼

有難う御座います。 まず生物学的背景があって、文化が出来たんですね。 女性が体を隠すようになったのは、男性が見て興奮するから・・・それで欧米から持ち込まれ文化になったという訳ですね。

  • markx01
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回答No.6

女性の本能は『優良な雄(男性)を確実に産み育てる事』です。 男性はより多くの子孫を残そうと多数の雌(女性)と交配します。 一部の子孫が死滅しても、別の子孫が続いてくれるという本能です。 しかし女性は『これだ』と決めた優良な雄の遺伝子だけを受け取ろうとします。 弱い あるいは大して優良では無い遺伝子を受け取っても強い子孫を残せない為です。 あなたの推論は間違っておりません しかし、本来は決めた雄以外、どこを触っても嫌がるものなんですが 現代女性の大半が、胸と下腹部全体を性的部品として見ています。 必ず隠す場所として意識の中で位置付けられている為 見られる事も拒絶します。 決めた雄しか性的部品を触ることができないのは当然ですね。 男性の生殖器や尻を見て嫌がるのは、『これだ』と決めた雄の 性的部品では無いからです。本能で、不必要な遺伝子を受け取りたくない、 興味が無いという事ですので、ただの排泄機関としか見れないんです。 喜ぶ場合は その個人差がありすぎて文面回答は難しいです。 見たときに、快楽を思い出す場合や、ご無沙汰な人、 単に変態だったり様々です。 現在、女性が男性の生殖器を口に含む行為は一般化しています。 理由としては、膣への挿入とは違う感覚であることを知っている為 少しでも興奮度を高める道具として口を使います。 本能で、女性は男性に確実に射精してもらわなければならない為 男性の興奮度が上がる事を進めていると思われます。 口で射精したり、射精時に外に出したり避妊具を装着したりと現状は様々ですが 当然、性的行為そのものは『子作り』ですので、 本能のお話ではこうなります

noname#78932
質問者

お礼

有難う御座います。 男性の下腹部を見て嫌がるのは、欲しいオスの性的部品でないからですね。 排泄機関、つまりただの「汚いもの」と認識してしまうのですね。 喜ぶ場合というのはやはり、挿入時に気持ちよさそうだから・・位なものでしょうか。大きい場合の話ですが。 口に含むのは男性の興奮度を高める為ですか。確実な子作りの為に。

  • sak_sak
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回答No.5

欧米文化が入る前のかつての日本では 胸は単なる授乳器官だったそうで 現在のように男性が見て喜ぶものではなかったようです。 そういう文化が入ってきたから女性はそう思うし そういう行動をとるのでしょう。 生物学的な必然ではなく 心理学とか民俗学の範疇だと思いますよ。

noname#78932
質問者

お礼

有難う御座います。 欧米文化が入ってからそうなったのですか。

noname#160718
noname#160718
回答No.4

 No.2のJagar39です。  もう一度整理して書いてみます。  前提の話として、「本能行動」と「後天的な学習行動」の区別を明確に付けるのは困難、ということがあります。本能行動の判定の結果は全人類に共通ということもありませんし、生涯に渡って不変でもありません。少なくとも生物学としてそのような「定義」は存在しません。  というかそもそも、ヒトだけでなくある程度の知能と社会性を持った動物には、「本能のみの行動」というのはほとんどないでしょう。食べる際の咀嚼や排泄行為くらいでは。  性行為も、例えば犬でも上手く教えないと行為できないことはよくありますし、ヒトでも何の知識もなしに最初から上手くできるとはとても考えられません。学習効果なしには最低限の「生殖」の目的を果たすことも難しいでしょう。  さて、女性が「人前で乳房をさらすのは恥ずかしい」という"価値観"がなぜ発生するのか、が質問者さんが疑問に思っていたことでしょう。男とは明らかに事情が異なります。  それは「女性が人前で乳房をさらすのは恥ずかしいことだ」という価値観、道徳観があるから、というのは確かにそのとおりなのですが、それでは疑問に答えたことにはならないでしょう。「なぜそんな価値観が生じたのか」が疑問なのです。他の動物と同じように、乳房が単なる授乳器官なのであれば、人前でさらすことに何ら問題ないわけですから。  それはNo.2で説明したとおり、「乳房や臀部はセックスアピールを持つように進化したから」ということなのです。もちろんそれは乳房や臀部の形がどう進化したか、ということより、男が「乳房を見て性的興奮を覚えるように進化した」ということの方が大きな要因です。  乳房が性的シンボルになったからこそ、「人前でさらすのは恥ずかしい」という学習効果、価値観、道徳観が生じるのです。  で、生殖器以外の乳房や臀部が性的シンボルになったのは、人類が直立二足歩行を会得したことによって雌性生殖器が視認困難な位置になってしまった、ということが関連しているというのはデズモンド・モリスあたりが言っていたことでした。  発情期の生殖器以外の身体の部位で性的興奮できる、というのは人類の雄が会得した「本能」です。ですがこれは学習効果によって修飾されうるので、人類に共通でもありませんし生涯不変でもありません。  尻に興奮する男、足に興奮する男、もはや身体のパーツではないメガネに興奮する男など、ありとあらゆる性向が存在し流行すらあるので、「文化的行動」です。  ですから、メガネに興奮したりメイド服に興奮したりというのが直接遺伝的な影響を受けている(=本能)わけではないのですが、少なくとも「生殖器という直接的な視覚に依らなくても性的興奮を得られる」という特性は遺伝的なもの、すなわち「本能」です。あとは学習効果との相乗効果なのですが、同じ刺激を同じように受けても、どうしてもメガネには興奮できない男も多々いるでしょう。  ただ、乳房と臀部に性的興奮できる"能力"は人類の大半が持っているのでしょう。  さて、人前で乳房をさらすことができないという価値観は、すなわち「人前で性行為をするわけにはいかない」という価値観とイコールです。  ではなぜひんな価値観が生じたのか?というのが疑問なんですよね。「それが不道徳だから」という当たり前の意見は回答になりません。なぜそんな道徳観が生じたのか?という疑問に答えられないからです。  ヒトに最も近縁な類人猿であるチンパンジーやボノボは乱婚型なのですが、人類はその進化の過程で一夫一妻制を選択しました。まあ例外はたくさんあるのですが。  これは知能が発達して社会が複雑になるにつれ、子供を未熟児で産んで教育期間を長く取った方が有利なのでそのように進化してきたわけですが、それは「雄と雌が協力して子供を育てる」方が有利だったわけです。  まあ一夫多妻制など異なった形式を選択した社会もありますが、どちらにしてもこのような「制限された性行動」を前提とする社会を作る方向に進化したからこそ、「無制限なセックスアピールの誇示」はNGとする価値観が生じるわけです。だからこそ公衆の場での性的行動や言動が「迷惑行為」になるという道徳観が生じるわけです。道徳観の方が先に生じるのでは決してないでしょう。  どんな社会規範(風習、常識、道徳etc)や文化も、ヒトの生物学的な特性と関係ないところに突然成立するのではありません。  社会規範の背景には、必ずその背景にヒトの生物としての特性があるでしょう。  生物学のカテゴリーに質問されたということは、その生物学的な背景を疑問に思った、と思ったのでこういう回答になりました。

noname#78932
質問者

お礼

有難う御座います。 人前で乳房をさらすことができないという価値観は、すなわち「人前で性行為をするわけにはいかない」という価値観とイコール・・・なんですね。 どこかでは、人が何故排泄や性行為を人前でしなくなったか?  それは「無防備になり、危険だから」と聞きました。勿論それだけではないと思います。 誰とでもセックスして子供を産んでいたら、とても育てられないから本能的にそうなったのではないかとも考えています。(社会的に迷惑とかではなく)

  • otx
  • ベストアンサー率44% (256/576)
回答No.3

人間社会の風習とか、社会の常識とかなどを 教育した結果だと思います。

noname#78932
質問者

お礼

有難う御座います。 確かにそうなのですが、生物学的にはどうかが知りたいのです。

  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.2

こんにちは。 我々動物にとって生殖行動といいますのは「本能行動」です。ですから、性的欲求というものが発生する以上、それが実現されるならば嫌がるのではなく、喜ぶというのが全人類に共通の反応です。ですが、このようなものは「後天的価値観に基づく社会行動」に当たりますので、これはやはりその人やその社会で学習される「価値観」というのを考慮に入れませんと、本能行動の基準だけで理由を説明するというのはできないです。 つまり、ぶっちゃけた話、我々人間の社会には「道徳観」や「恥ずかしい」といった価値判断が明らかに存在するのですから、このような女性の行動や反応は特に不思議でも何でもないわけです。女心が複雑なのは、これはそもそも人間の学習行動そのものが複雑なものだからです。あたかも摩訶不思議に思えてしまうのは、果たしてそれが常に男性を翻弄する存在であるからです。 順序良く整理してみて下さい。別にそんなに不思議なことではないです。 まず、「後天的価値観」という言葉は辞書に載っていませんので、意味をちゃんと説明しますね。 本能行動といいますのは身体に発生する食欲や性欲などを満たすことによって必然的に生命の維持や子孫繁栄を実現するものであり、これは遺伝情報として生まれる前から定められている「先天的な反応基準」に従って選択されます。判定の結果は全人類に共通であり、生涯に渡って変更されるということはありません。そして、他人が見ている見ていないに拘わらず発生する反応は同じですし、自分の意志で結果を自由に選択するということもできません。 これに対しまして、「学習行動」といいますのは生後体験を基に獲得された判定基準に従うものであり、ここではこれを「後天的価値観」とします。 これには個人体験から獲得される「個人的価値観」と、生まれた社会の慣習などから学習される「文化的価値観」というのがありますよね。好きな人ならば触らせても良いというのは、これは「個人的価値観」です。そして、人前でHをしてはいけないというのは主に「文化的価値観」に基づく判定であり、これらはどちらも共に学習行動です。 では、我々がHをするための本能行動の反応基準といいますのは絶対に変更することのできないものです。 ですが、こちらの学習行動では、 「好きなひと・嫌いなひと」 「他人が見ている・見ていない」 このような状況によって選択される行動の結果が明らかに異なります。 つまり、我々人間の脳には絶対に変更することのできない生まれながらの「先天的反応基準」に対しまして、それとは異なる結果を選択することのできる「後天的価値観」というものが学習されているわけです。では、このふたつの判定結果の違いによって発生するのが果たして「道徳観」であり「羞恥心」であります。従いまして、ご質問にある、どうして女性がHな行為に対してそのような反応を示すのかといいますならば、それは「後天的価値観に基づく社会行動であるから」ということになるわけです。そして、これは別に男性でも全く同じことです。 >それに女性は男性のペニスや尻を見ると嫌がるのも何故なのか、ペニス見ると喜ぶ女性もたまにいますが何故でしょうか? 只今ご説明しましたように、H反応といいますのは無条件反射であり、刺激があれば本人の意志とは無関係に発生してしまうものです。ですが、我々の脳内にはこのようなものに嫌悪感を発生させる判定基準というものが別に学習されており、この中でも「性的道徳観」といいますのは何処の社会でもたいへん根強いものです。 ですから、公衆の面前でこのような反応を彷彿させる行動や言動といいますのは他人にとっては必然的に「迷惑行為」となり、このため、「セクシャル・ハラスメント」といった解釈が社会的に成立します。 ですから、 ペニスを見せられて何が恥ずかしい。 好きな男のは毎晩見ているせに! このような理屈は一切通用しないです。 >また女性がペニスをなめるのは何故でしょうか? このような行為を快感と体験学習している女性もいるでしょうし、彼氏が喜ぶならば何でもしてあげるというひともいると思います。 繰り返すようになりますが、このようなものは学習行動でありますから、そのひとの価値観によって理由は様々であり、結果は決してひとつではありません。では、何故これが学習行動であるのかといいますと、もしこれが本能行動であるならば、ペニスは口ではなく、性的刺激の最も強い性器の方に自然と導かれなければなりません。学習行動とは違い、本能行動によって選択されるべき結果はといいますのは必ずやひとつであり、それは全人類に共通です。さもなくば、口でペニスを受け入れているのでは、我々人類に子孫繁栄の道はありません。 このように、学習行動といいますのはしばしば本能行動とは異なる結果を選択します。これがどういうことかといいますと、殊に複雑な学習行動を営む我々人類にとって、それは自然の法則として生命維持や子孫繁栄を実現する本能行動の目的を脅かしかねないものであるということです。 「人前でHはできない」 「結婚をしないと子供が持てない」 このよう社会制度を今更取り払ってしまうということはできません。 若い夫婦が性行為としてペニスを口で楽しむというのは学習行動です。ですが、このためには性交を行わなければ自分たちの子供を持つことができないというのは知識として別にちゃんと知っていなければなりません。 人間という動物は行き当たりばったりで本能行動を行使することはできません。これは、先天的な自然法則だけではなく、より豊かな暮らしを獲得するために後天的な価値観に基づく社会制度を優先して運用しているからです。このため、他の動物とは違い、我々人類が自ら作り上げた複雑な社会環境に適応して本来の本能行動を実現するためには、このいためにはどうしてもその社会の誰もが極めて高度な社会行動をきちんと身に付けなければならないということになります。 最初に申し上げましたように、女心が複雑なのは元々人間の学習行動が複雑であるからです。そして、このような学習行動といいますのは本能行動である恋愛やセックスの形態さえもむちゃくちゃ複雑にしてしまいます。このため、それを性的対象とする世の男性といいますのは、結局この女心の複雑さに目いっぱい振り回されることになります。

noname#78932
質問者

お礼

長文有難う御座います。 「先天的な反応基準」によって人間はHをするが、具体的にどのようにするかは、「後天的価値観」によるもので、特に女心は複雑に出来ているので、恋愛やセックスの形態さえも非常に複雑である・・・という事ですね。 それに女性は男性のペニスや尻を見ると嫌がるのも何故なのかは、「セクシャル・ハラスメント」といった解釈が社会的に成立するからであり、生物学的に言えば本来は嫌がるものでは無かった・・・かも知れないと言えるのですね。 ペニスを舐める事については、何と言うか人間の性的行動の目的は必ずしも生殖ではないし、ただそれが気持ちいいから(何故気持ちいいかは不明)といったところでしょうか。