• 締切済み

むかし話

ももたろうは育ててくれた、おじいさん、おばあさんのために、鬼退治行って鬼を退治して、ハッピーエンド! うさぎとかめは、ウサギは足が速いのにだけと、さっぼていたので、負けてしまった、かめは、最後まで一生懸命歩いたので勝負に勝った。 良く分かる昔話、、がしかし 浦島太郎は、なぜ??カメを助けて、お土産で玉手箱貰ったんですか? 開けていけないなら、なぜもらったのか?? 何の役に立つの? 空けておじいさんになるぐらなら、かめを助けるべきではなかったんじゃないのですか? 結局不幸なってるみたいですけど、なぜだか教えてください!お願いします。

みんなの回答

noname#63792
noname#63792
回答No.2

現在、本屋さん図書館で目にする絵本が一般的にポピュラーになっているようですが、 昔話には、「地域、時代によって」ストーリが異なるようですね。 また、ストーリーの元となった物も、お話によっては複数あったりするようですね。 確かに西洋の童話でも、西洋のお話と日本のお話では エンディングが違うものもあります。 また本に限らず、映画でも起承転結がはっきりしているものや 曖昧に終わって考えさせられるものもあります。 幸せか不幸か、黒か白かはっきりしているお話もあると思いますが 中には終わりが曖昧で、「何を伝えたいのか」を読み手自身が考える内容もあるかと思います。 浦島太郎のお話は何を伝えたいんでしょうね。 私としては 「困った者を助けると後でよいことは必ず起きる」ということと 「夢のような出来事は人生の中であるかもしれないが、簡単には手にはいらず、また、起きたとしてもそれは夢と同じくらいあっという間の出来事」 。。ですかね(あくまでも、私としては)です。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E5%B3%B6%E5%A4%AA%E9%83%8E
taos
質問者

お礼

ありがとうございました。 勉強になりました。 また何かあったら、お願いします!!

  • kenji_aki
  • ベストアンサー率50% (29/58)
回答No.1

解釈は人それぞれあると思います。 私の見解ですが、 浦島太郎は亀を助けたお礼に竜宮城に案内されて そこで、踊りや豪華な食事など夢のような時間を楽しみます。 帰ってみると、あれから何年も時間がたっていて 友人や家族はとっくの昔に死んでいたことを知ります。 絶望して、玉手箱を開けるとお爺さんに。 多分、玉手箱の中には自分が竜宮城で楽しんでいた時間が詰められていたのではないでしょうか。 それを開けたことによって本来の自分の時間を取り戻したのでしょう。 つまりは、幸福や享楽に身を預けているとあっという間に時間が過ぎてしまうというような話なのではないかと思うのです。 もしかしたら、人間の一生の中の幸福なんてものは竜宮城で過ごした時間ほどしか無いという意味なのかもしれません。 なんにせよ、遊んでばかりでは人生を台無しにする。 そんな教訓でもあるのでしょう。

taos
質問者

お礼

そう考えると、なかなか酷な物語りですね。 :もしかしたら、人間の一生の中の幸福なんてものは竜宮城で過ごした時間ほどしか無いという意味なのかもしれません: 人生ってそんなものかもしれませんね! ためになる回答ありがとうございました。