サービスとは本来、人間←→人間の間で行われるホスピタリティーであると考えます。他人に何かを提供する、ともすれば自己犠牲の上に成り立つもののように捉えられがちですが(サービス業に従事する現場の人間にもこういう勘違いをしているものが結構いる)しかし、現在の社会の経済活動の中で行われるサービスとは、そのような一方通行のものであってはいけません。
経済活動におけるサービスとは、本来人と人との間で直接交換されてきた「サービス」を物に変換して間接的に交換する事に発展し、進化してきたものであると考えます。
相手になにかしてあげる、そうすれば自分も何かして貰える、という気持ちと期待で協力しあい、結果として互いに満足し合うことが経済活動における本来のサービスの意味するところです。
例えばプロ野球の試合、これも立派なサービスです。プレイヤーだけでは成り立ちません。プレイヤーは観客を楽しませる為に精一杯のパフォーマンスを提供し、観客は声援を送る。パフォーマンスと声援の相互作用がなければ良い商品(試合)は生まれません。観戦料はその対価であり、結果です。
どのような仕事においても、サービスの提供側がいかにすばらしい役務の提供をしても、そこに顧客の協力と参加、満足がなければ、それは失敗に終わります。例えば車を販売する者は販売の接客がサービスであり、車は商品であると考えてはいなでしょうか?違います、顧客を満足させるのは「車」というサービスです。接客は「車」というサービスを提供する手段にすぎません。
昨今の物質文明の進化?によって本来の形、人間対人間の「さーびす」が削除され、物対物の直接交換が経済活動の中心になってきたような気がします。文明の原点が人間←→人間の相互協力(サービス)の上に成り立っていることを、サービス業に従事する者はもう一度考え直さなければいけないような気がします。
人間的な相互関係ののなかで「サービス」は生産され消費されます。サービスに係わる当事者と顧客が、互いに相手の参加動機を理解、尊重しあうとき、経済的、人間的満足に繋がるものであると思います。
お礼
凄く良くわかりました。私は分かっているつもりで居ましたが、やはりつもりだけでした。、物が合っての人と人ですね。物とは仕事の性質 製品によって異なるけれど、提供する側とされる側だけでなく、其のものの理解があってこそ、サービスがあり、接客が出来るのですね。 常に人を大事にしていたら、又来ていただける。愛想良くしていたら、・・・って対 商品会っての、当たり前のことが、見えなくなって、行きずまってしまうのですね。目が覚めた思いです。感謝致します。有難うございました。