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お払いする?してない人も山ほどいるよね??
前厄です。なのだそうです。 そういう「迷信」めいたことが嫌いなので今までも仏滅とか気にしたことありません。 お払い行かなかった人っていますか? 行きたくないのですが(そういうことに何千円も払うのバカバカしくて+払ったからってor 払ってないからって、運を年齢のせいにだけされるのもバカバカしくて) 主人の実家はそういう「伝統」とか「しきたり」みたいのが大好きで 行かなかったらいろいろ言われるんだろうなとは思っています。 もちろん、その年代は新しい病気になりやすいから、とか子供も産まれて家族構成も 変わって来て、何かがおこりやすいってのはわかりますが だったらお払いしてもしなくても状況は同じでしょ。って思うのです。 でも行かなかったら、何かがあったとき「ほら、やっぱりお払いしてないから」って 言われる? そうなったら気分悪いからお払いに行く、っていう感覚で行かれるのでしょうか?
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そういうことが本当に嫌いで、どうでもいいとお考えでしたら、もし本当に神様とかいうのがいたらかえって迷惑でしょうから行かなくて良いんじゃあない。 なんか困って「神様お願い!」とか子どもが受験だから「合格祈願に。」とかも考えないわけでしょ。 私なんかはそうはいかないので、精神安定剤代わりに薬代だと思っていってます。 周りからゴチャゴチャ言われないって楽よ! ちなみに、「私の厄は義母にあげて下さい。」ってお願いしてきました。 ルンルン
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- yapoo
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私この前の日曜日にお払いしてもらって来ました 18才の時はしませんでした その18才の夏に交通事故で全治1ケ月のケガをしたり 19才の時もまた交通事故でケガをしたり 体調を崩したり 嫌な事が続きました でも20才を過ぎてからはなくなりましたけど それでもやっぱりお払いしとけば良かったと思いました 別に厄年でなくてもお払いしてもいいみたいです この前も厄年には見えない男の人が来てました 一応 儀式だからやっといてもいいと思います 神社のごしんたいを近くで拝めるなんてこんな時くらいしかないし 大きな鏡でしたよ でも女の32才はこれから老いに向かって行くので 体調も今までとは違ってくると思うので お払いしたから全てがオッケーとは思ってはいませんけどね
お礼
ありがとうございました。 たいへんだったんですね。 今は体は大丈夫なんですね??
- TEKITOU
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厄年というのは人生の節目として、その年代にたとえば両親の死に直面するとか そういった周期のことを昔の人の知恵で諭したのではないでしょうかね。 時代によってズレるでしょうが... 厄年を機会に、家族旅行してみるとか ご両親といつもと違うスタンスで何かしてみるのも一考かと思います。 オハライは必要ないにしても、気持ちのケジメはあっても良い気がします。 厄年を期に、周囲の人や物事ことを相手の立場で気にしてみることは 決して悪いことだとは思いませんが? 迷信だから好きだとか嫌いだとか、ムキになって○×で片づける 必要もないと思います。
お礼
なるほど。気分を引き締めるきっかけに 旅行はいいのかもしれませんね。 ありがとうございました。
- hirokoro
- ベストアンサー率40% (14/35)
私も結婚する前はそういったことって自分としては関係ない感覚で、お払いなんてしたことなかったんですよね・・・。でもやはり主人の実家の方ではとても重要なことだったようで、結婚以来毎年神社でお払いしてもらってるんです。(というか、行かされる。) 厄年ともなれば夫婦別々でお払いしてもらわなければならないとかで、当然その分のお金を納めなければならなかったりして、ただでさえ必要性を感じていなかったわけですから、最初はそれはもう、とても抵抗を感じました。 でも、最近では何となく、あれもいいものかなという気がしていたりするんです。 というのも、実際にお払いしてもらう現場に行くと、なんだか張り詰めたピンとする雰囲気の空間があって、特にはりのある声の良い神主さんだったりするとちょっと別世界というか、異空間の中にいるような気がして・・・。 しゃらんしゃらんと響き渡る鈴の音も結構美しいもので、頭の中がからっぽになる感じがします。 敬虔な気持ちになって、自然と背筋が正されます。 きちんと正座をする機会なんてあまりないので、しびれと戦う時間でもあるのですが・・・(笑) 未だに不信心の私ですが、そんな気持ちにさせられました。 この風習の伝統が保たれている理由が今では何となく判る気もしています。こういうのは決して伊達ではないんですね。 ちょっと見方を変えて、厄年だからとかにこだわることなく、一度あのまったりした空間を体験してみるのも面白い経験かなと思います。 なんかあまり参考にならなかったかな。すみません。
お礼
ありがとうございました。 参考になります。
- etamaki
- ベストアンサー率42% (9/21)
私はこの間、厄年でしたが、全然気づかずに後厄まで終わっていました。 私のように、日々ボーっと過ごしていて、何か余り良くない事があっても、「またドジをやってしまった」くらいしか思わないならいいですが、もし、厄年に何かやな事があって、「お払いしておけば...」と、少しでも思いそうなら行った方がいいと思います。 ちなみに初詣とかは行きますけど。
お礼
そうなんですよね。19才も厄年だったとは、こないだまで知らなかったんです。 しらないまま過ぎていれば楽なのに。 でも終わってみたらそんなものかもしれませんね。ありがとうございました。
- 80468046
- ベストアンサー率22% (2/9)
私自身はまだ厄を気にする年齢ではないのですが、私のお世話になっている方(以下○さん)が、厄払いしていなんじゃない?と言われた経験があるそうです。○さんが当時抱えていた仕事のひとつが、当人の努力と関係ないことで、上手くいかなくなったときに、その仕事に関わっている他の人たちから言われたそうです。飲み屋で年齢の話から発展して、○さんが厄払を受けてないのがこの仕事が上手くいかない原因では?という感じで。あんまり悔しいので翌日、世間話的に上司に話したら、俺も言われたことかるから○も厄払いにいっとけ、と言われ、厄払に行った、でも、その後も仕事の状況は変わらず。「俺思うけど、時間と金使って本当に厄払いしないで、とえいあえず、周りのやつらに厄払いしました、って嘘ついたとしても結果からみれば同じことだったんだよな」これが○さんの厄払い観です。で、言ってました「後で思い返すと、飲んでるとき×が、自分が天中殺だってこと隠してたなぁ」。天中殺…。
お礼
たまりませんねえ。そんなの、じぶんのせいにされたら。 3回くらいひどい目にあったら、お払いも考えてみます。 それまで、職場ではナイショにしとこう....
いい手があります。 最近は神社のHPなんかいっぱいありますから、そういうところに手を合わせて厄払いの変わりにするんです(笑) それならば厄払いしなかったことにはならないんじゃないでしょうか
お礼
なるほど。楽でいいかもしれない.... ありがとうございました。
- snowair
- ベストアンサー率29% (13/44)
こんにちは。 外国人は日本の厄の概念すらないと思えば割り切れるかも。 それと、迷信や厄とか縁起担ぎは元を正せば人間の想像の産物である というところに行き着くと思います。 それが時間と歴史を持って文化として確立していくととてつもない 脅威にすら感じられるようになりますし、またそれがその土地で起こった事象 (落雷、地震、豊作のような自然現象であったり、殺人、病気、不妊の夫婦が子どもをもうけたなどの人為的な もの など)などと結びつけて考えられ、更に確固たるものになり、という繰り返しの果てに無視しがたい集団思想になるんじゃないかなと(京極夏彦の著作を読んで(こそこそ))思うようになりました。 だから自分が厄というものを克服できるならそれはyoyoyoさんにとって 単なる思想として捕らえられるようになり、脅威じゃなくなるだろうし、やっぱなんかこわいかも!って思うんだったら払ってもらってすっきりしちゃえばよいと思います。わたしは集団思想とおもいつつ怖いのでお払いしてもらう小心者です。 心配する家族の心安めにもなると思えばまあいいかなと。 ところで京極夏彦読んでみませんか?yoyoyoさんにはぴったりだと思います!
お礼
今度、読んでみようかと思います。 ありがとうございました。
- tnt
- ベストアンサー率40% (1358/3355)
じゃあ、通信お払いをして進ぜましょう 「さ、さ、さ」 お払いしないと不幸が訪れるのなら、 日本人以外は全部不幸になっているはずです.
お礼
ダンナにそういったら、 「日本の幽霊と外国のゴーストはちがうんだ」と訳の分からない反論をされました。 「年齢は一緒じゃん」って言ったら 「でも神様はちがうの!」だって。幽霊関係ないやん。 ありがとうございました。
- tez3
- ベストアンサー率20% (53/262)
>「迷信」めいたことが嫌い だそうなので、現実的なことに絞りましょう。 >何かがあったとき「ほら、…っていう感覚で行かれるのでしょうか? 近いかもしれませんね。でもどちらかと言えば『言われるから』ではなくて『自分で思うのが嫌だから』かも知れません。『やらないでダメ、よりやったけどダメ』のほうが諦めつきますからね。(対外的にもいえますけど…) 『一見ムダに見えるお金と時間を使って、お払いしたから「はい、おしまい」ではなく、自分の心を引き締める。』というのも一つの考え方かも知れません。 今年(いろんな意味で)OKでもあと2年(本厄、後厄)ありますので、いろいろお気を付けて…
お礼
そうなんですよね、あと2年もあるんですよね。(ああうっとうしい!) アドバイスありがとうございました。
- snappy_from_kobe
- ベストアンサー率23% (7/30)
ボクの信仰している宗教は名称は宣伝になるので、また信教は自由なので、ここでは詳しくは申しませんが、「お払い」のようなものもあります。ただし費用は出せればよし、余裕なければ余裕ができたときでいいという、まことに金銭的には安くつく宗教なのですが。厄年なんてのは、人間を長い間やってると、いろいろ体にガタがきたり、その他見直しが必要だろうから、気をつけようということでしょう。だから気をつければいいのです。あなたの場合、役払いしなければ、旦那の親戚がガタガタいうのでしょう?それ、それこそ厄なのだ。だから、厄払いしてやったらいいのです。で、神社に行く、厄払いする。親戚満足。これ、理論的でしょ?だったら迷信でも何でもない。それで厄(親戚のごちゃこちゃ、これすなわち、厄)は払っておるわけですよ。ん、ちょっとへ理屈か?
お礼
なるほどー。そういうの全部ひっくるめて厄なんですね~
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お礼
ウケました。 そうですね、皆さんたくさんアドバイス下さって、うれしいです。 3回くらいすごい目にあったらちょっとお払いも考えるとして、 その時はそのようにお願いすることにします。ふっふっふ....(鬼嫁?)