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子供の頃は、様々な事にあきらめる前の自分がいました。

みなさん。こんにちは。 子供の頃は、まだいろいろとやった事の無い事も多くって、 「ああ。こんな事もできたら素晴らしいだろうなぁ。」とか、 「こんな事が、やれる様になれたら、嬉しいだろうなぁ。」とか、 そんな風に、様々な事にあきらめる前の自分というのがいました。 月日を得て、興味は持っていても、 それに費やせる時間が無くなってきたり、 扉を開いてみて、進み難題にぶつかって、それを解決しようと、持ちきれない課題の一つ一つを一つづつ理解解決しようと試み、意識的視野の領域がそれに集中しすぎたりすると、実生活との平衡が難しくなってきたり、 ずっと一つの事を、やっていると、それに固着してばかりでは、気が滅入ってしまいそうで、リフレッシュのために何か他のことにも頭を使いたくなったり、 と、様々な事は、何でもそうですが、扉の向こうには、それを理解、習得、把握する為のカリキュラム・課題として、必要な事というのは、無限遠芋蔓式に存在してきますよね。 で、ふと我に返ったり、生活の中のある瞬間に、 「あ。子供の頃の、様々な事にあきらめる前の自分がいた頃とは、随分、物事に対する情熱とか、純視できる自然な心とか、フレキシブルで自由な心の展開の可能性を自分の中に感じられる期待感の度合いとか、そういった意識的レベルのモチベーションは、その頃に対して落ちているなぁ。」と、感じるときがあります。 そして、子供の頃と比べると、前向きにやろうと思える事柄でも何というか減ってきてしまっていないだろうか?と思ったのです。 どうしたら、様々な事にあきらめる前の自分へと、戻れるのでしょうか? コツ、秘訣、心がけ、ヒント、経験談、センシビリティ、留意点、何でもかまいません。解決策の見出せるご回答者様お答え乞い願います。

みんなの回答

回答No.2

天国に一番近い者は、幼子。こんな言葉があります。貴方はアダムとイブのように、智慧のリンゴを食べてしまいました。その事が関係しています。今の貴方には、昔に帰るのは無理が有ります。 ですが、出来ない事では、有りません。方法は在ります。それは『禅』の中に在ります。禅は教えています。『分別を捨てろ』その、分別というのが、智慧のリンゴです。それを、捨てるだけでよいかと思います。 それは、世の中の見方、認識を転換させることによって、可能です。それには、自分の性を見る事です。すなわち「悟りを開く」ことによって、可能になります。それは、全く、新しい視点から、世の中を見る事になります。自由な心の獲得となります。 第三の目を開く事です。その手引きは、鈴木大拙博士の書いたものを、読む事です。時間が掛かるかも知れません。それと、強い意志が必要かも知れません。或いは、深い悩みでも良いです。或いはどうしても、解きたいと、思う疑問でも良いです。その内の一つが在って、疑問を解消した者です。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 >天国に一番近い者は、幼子 >智慧のリンゴを食べてしまいました そうかもしれませんね。 >『禅』 >分別というのが、智慧のリンゴです。それを、捨てるだけでよい 難しそうですけど、期待の打開策かもしれない。 と思いました。 >鈴木大拙博士 観てみたいと思います。

回答No.1

戻れるはずはありません! あなたが書かれている内容にもアルではないですか。 「まだいろいろとやった事の無い事も多く」 そうではない状況では戻れないと思います。 環境を変えるか、住む国を変えるか、何かしら大きく変えない限りは 同じようにはなりません。 日々の暮らしの中でも、視点を変えればそれは新しい発見に満ちていることも事実ですが、 そんなものは人間のバイタリティの前にはすぐに色あせる日常となります。 それよりは、広さよりも深さの追求をしてゆくことの方がよいと思います。 あなたが何歳かはわかりませんが、人生は無限ではありません。 いろいろな発見をしているうちに、人生は終わってしまいます。 新鮮な出会いや発見は偶然でいいじゃないですか。 それよりも、何かおもしろいことを見つけたら、 深く深く追求していった方が、いいと思います。 それだって、あなたが経験したことがないことだと思います。 あと、私の考え方を一つだけ。 私は、過去の自分が今の自分をみたときに、 「がんばってるな」「かっこいいな」と少しでも思えるように 行動しています。 自分だけは裏切りたくなし、自分にだけは評価してほしいのです。 だから、子供の頃の気持ちに常に立ち返ることが必要なため、 過去の自分を完全に他人とは感じません。 完全に過去の自分を他人に感じてはだめだと思います。 子供の自分も今の自分も基本的には同じです。 ですが、子供には子供の大人には大人の、 フィールドがあります。 その中で、あなた自身が新しいやり方で打開することをやめなければ、 常に新鮮だと思いますよ。 迷っているときは、自分を信じてください。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 >視点を変えればそれは新しい発見に満ちていることも事実 多くの人は、多くの人の数だけやはり違った視点の存在する事実。 個人内でも、やはり境遇の織り成せる技の結果として、可能性の中の一つの観を見ているにすぎないということ。でしょうか。 >私は、過去の自分が今の自分をみたときに、「がんばってるな」「かっこいいな」と少しでも思えるように行動しています。 どのような時、どのような選択が、あなた様として、そう思える選択でしょうか。 >子供の頃の気持ちに常に立ち返ることが必要なため、過去の自分を完全に他人とは感じません。 印象的なお答えの一文だと感じました。 Samichlausさま。御回答ありがとうございます。