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「友達がいない」と言う人は
ある番組で今よく活躍している有名人に対するインタビューがありましたが、話の流れの中で「私友達少ないというか、いないんです」と言っていました。人がよく集まってくるイメージがある人なので、意外な気がしましたが、この方に限らず、見た目は割りと明るいと思われる人でも、有名無名を問わず時々こう言う人がいます。 この言葉の意味はどう解釈すればいいでしょうか。素直に自分の気持ち・状態を吐露しているということだと思いますが、だから、仕事など人間として人と良好な関係は築いていきたいが、自分がどういうタイプの人間かは自覚しているので、自分は自分のできること、自分のペースを守っていきたい、あるいは無理に友人を作ったり飲み会など行くようなことはあまり(好きではないので・苦手なので)深入りはしたくないなどと言いたいということなのでしょうか。自分はそれでいいんだということでしょうか。 それとも、逆に本当は友人が欲しい、本当は自分のことを真にわかってくれる友人が欲しいという気持ちの裏返しなのか(メッセージを発信しているのか)・・・など考えたりします。 自分だけで悩みを抱えて不幸にも自ら命を絶つ人もいます。本当はこういうメッセージを周りの人は汲み取ってあげれば、もしかするとその人を救うこともあるかもしれないと思うと、もしかすると「友達がいない」というのは簡単に聞き流すべき言葉ではないかもしれません。 私なりに解釈してみましたが、どういう意図で言っているのか、背景にあるものなどあれば教えてください。
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これは、脚本家で現在『ザ・マジックアワー』の監督としてテレビに出ることが多い三谷幸喜氏が言ったものですね^^。たまたまそのテレビをみてたものですから。 べつに、この人は友達(心が通じる人)が少ないことを深刻に悩んではいないと思います。もちろん心が通じる人がいれば楽しいでしょうが、とても複雑で矛盾も含む自分の心と完全に通じる人がいるなんてことは、もう望みもしていないと思います。複雑な考えを持つ大人になれば、部分的に共感できれば上出来であって、子どもじゃないんだから完全な理解なんてものは望まないものです。「解かる人には解かる」、解かる人が少ないからこそ、解かってもらえたときの喜びは大きいと思うのです。また、この人は表現者ですから、微妙で複雑で矛盾も含んだ人間の心情や作品を通しての意図を自分が伝えたいと望んだように観客に伝えられたときに満足するのではないでしょうか。 そもそも、この「私、友達少ないんです」発言は、聞いた人に「?」と思わせることも計算のうちで、まんざら嘘でもないのですが、「複雑な人なら、それくらい当然でしょ。あなた達って、それほど単純なもんですか。」という問い掛けの意味も少し含んでいたりするのです。人と共感するのは大切な事ですが、真に深い共感などというものは望むべくもないものと悟っているのです。もし人に完全に理解されるくらいなら、自分の存在意義もないのです。いいえ、自分自身でも完全に理解していないのですから、そんなことはありえないのです。でも、『もしあったらどうしよう…』。そういうビビビ体験って、楽しそうですね。
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- acuna
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例えば、役者さん、出演する役の人生になりきって、入り込んでその役の人生の追体験をして、のめりこんでいくわけです。 映画なんかを見ていると、出演回数が増えるごとに、人間的にも成長していって、成長した姿に似合った役柄を抜擢されたりして、人によっては、オスカー候補にもなったりと、歩んでいくわけです。 人生の、喜びも、絶頂期も、日が暮れて、後進に道を託すことなど(若くして命を落とす役など)、何度も限りなく実体験に近い人生を何度もなぞっていると思います。 世界選手権や、オリンピックでメダルを目指す選手も、勝負の一瞬一瞬に、それまでの人生の全てを賭けて、打ち込んでいたりするわけです。 これ以上無い、真剣勝負を何度も体験している人も、役者さんと同じ感覚があると思います。 人生は、努力して、命かけても掴み取りたいものがある。 でも、掴む途中で最後は皆、生き果てる。 何と言うか、切磋琢磨するライバルでもあり、仲間でもある他人の存在は、友人のようであり、友人ともちょっと違う感覚なのだと思います。 有名になるだけの人は、元々生まれ持った才能だけでなく、それを物にしようと、血のにじむような努力があるはずです。 しかも、努力の途中な訳です。 そのような生き方をしている人は、物凄い粘り強さが養われているから、傷をなめあったり、慰めあうような関係の友人関係は、そもそもあまり必要ではない。 私自身、輸出産業で、世界の一流にチャレンジする企業でエンジニアをしているので、何となく、解るような気がします。 切磋琢磨する、戦友のような人に親近感を感じる。 世間一般が言う、「友人」とは定義が異なります。 そんな感覚なのではないかと思いますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。勉強になりました。
- dogday
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「友達がいない」という発言は二つの正反対の意味があります。 「友達がいないから友達になってくれ」というメッセージと「友達がいないのが個性だから友達にならないでくれ」。 この判断は簡単で、個人(プライベート)に向けるか、多数(パブリック)に向けるかで判断できます。前者が個人、後者が多数の場合が殆どです。 わかりやすい捉え方は、発言の本心を逆説で考える事。「友達になってくれ」を路上の往来で叫ぶ効率の悪さ、友達と話している時に「友達にならないでくれ」と発言する状況が存在しない事で理解できると思います。 ただし、この発言からメッセージを汲み取らなければならないような人間は、この言葉の使い方を間違っている可能性が高く、それゆえに他者にメッセージが届いていないコミュニケーション能力の低い人間ですので、単純に振り分ける事ができません。 インタビューに載っているということは後者になることを認識した発言なので、後者の個性の確立です。
お礼
ご回答ありがとうございました。少し内容が難しく感じましたが、この方の場合は多数に向けて「友達にならないでくれ」とメッセージを発しているのですね。
- 200477
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個人的な意見ですが、私も本当の友人はあまり いませんね。ですが、周囲ではたくさんいるって みられがちです。なんでも心の底から打ち明けられる ような相手がいないのです。芸能界ならおおいに ありえると思うのですよ。よく、信頼した人に 裏切られて週刊誌などに情報を提供されたって 話を聞きますよね?それだけでもわかると思うのですが 人を信じない=友人がいないに結びつけているのでは ないかと思います。勿論、友人は欲しいとは誰もが 思うことでしょうが、本当に心の中をさらけだして付き合うには 勇気がいるでしょうし、忙しい合間に見つけていくのも なかなか難しいのではないでしょうかね? 寂しい話ではあるのですが、見た目は明るくても 心が開けないってことは普通にある話だと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。何でも心の底から打ち明けられる相手がいないのですね。なるほど、芸能界はある意味戦場ですから、人を信じすぎてもいけないので、すべてをさらけ出すわけにはいかないのですね。その人がそうかはわかりませんが、そういう意図もあるのかもしれません。
お礼
ご回答ありがとうございました。そうですね、実名を挙げると差し障りがあるので伏せておきましたが、正直私はこの人があまり好きではありません。表現の仕方が回りくどい、すっきりしないことが多いからでしょうか。しかし、今先頭を走っている脚本家であるがゆえの、深い意図があるのでしょう。いろいろ計算もしているのですね。まあ、職業柄が性格・人との関係の築き方にも影響を与えているのかもしれません。 ただ、この方はさておき、先日はショッキングなことがありましたが、その方も本当の心情を吐露する友人がいなかったようです。テレビに映る姿はそういう悩みを抱えていたようには見えませんでした。結構好感を持っていたのに残念ですが、こういう悲劇が起きないよう、少し周りの人がメッセージを感じ取る必要はあるでしょうね。