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シニア世代の尊敬された時代と今について
- シニア世代が「無条件に」尊敬されていた時代はいつまででしょうか?また、現在のよいとされる年代はいつごろでしょうか?後期高齢者医療制度が陰で姥捨て制度と呼ばれている現代についても考えてみましょう。
- シニア世代がかつて「無条件に」尊敬されていた時代は、いつまで続いたのでしょうか?また、現代ではどの年代が尊敬されていると言えるのかを、直感的に考えてみましょう。後期高齢者医療制度の問題も忘れずに。
- シニア世代がかつて「無条件に」尊敬されていた時代の終わりはいつだったのでしょうか?現在の尊敬される年代についても考えてみましょう。また、後期高齢者医療制度の問題が存在する現代の厳しい現実も忘れないでください。
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精神の陶冶、肉体の健康・衣食住の豊かさ 知識と経験の量 そういうもので、高齢者が無条件に尊敬されているのは財界・政界・落語界 だけ。 1980年代までは確かに高齢者は数もすくなかかったし矍鑠として経済的にも自立して いましたよね。郵便貯金・中期国債ファンド・貸付信託の金利が7%もあったし。 今のシニア世代は65歳以上75歳未満は結構裕福です。 ダメなのは、バブルのとき高値で住宅買って、デフレですっかり 目減りした資産に稼ぎの大半つぎ込んだ団塊世代ですね。 自由闊達な生き方していないと、尊敬できませんですから これ、時代の運・不運もあります。 その下の成毛さん藤巻さんの世代あたりが、もう少し高齢化 すれば尊敬されるシニアたりうるでしょうね。 一番よいとされる年代は2012年から20年間ですよ。 私が高齢者になる時代。豊かに生きてみせるから期待してね。
- zsecft
- ベストアンサー率18% (4/22)
難しいお勉強のことはさっぱりわかりませんが、「直感的」は得意です♪ >シニア世代が「無条件に」尊敬されていた時代は? 核家族の時代から消えたように思います。 私が子供の頃は、両親が祖父母を敬い、お墓やお仏壇を大事にしました。そして子供は親を手本にしました。 今の子供には親の手本がありません。 >今一番尊敬されたり、よいとされる年代は? 年金をたっぷりもらって悠々自適の老後を送る老人とか、使いきれないほどの収入のある社長さん?あるいは可愛いだけで全てを許せそうなアイドル? 「お金」と「運」の時代ですよね。 ま、わたしゃ関係ないから、 私は足元見つめて、今に感謝してまわりの人達に感謝と尊敬して、 おめでたく生きていくつもりです。 それでも人生それなりに楽しいですよ(^^)v
- toku130
- ベストアンサー率21% (5/23)
シニアーが「無条件で」尊敬されていた時代? それはないと思います。 その時々において、尊敬されるシニアーの方が多かったか少ないかで 世間の見方が分かれるのではないでしょうか? 今日シニアー世代の方があまり大事にされていない・・との見方があるようですが。それは、当該シニアーに畏敬の気持ちを持って迎えられる人物が少なくなってきているから、世間的にはそのように見られている、扱われている・・と観えているのではないでしょうか? 今一番良いとされている世代? 「良いとされている」ではなく、時代背景から観て「運」が良かった 世代といえば、戦争の悲惨さ・戦後の復興の時期の厳しさを経験せずに 生きてこれた世代でしょう。でも、この世代も「ぬるま湯」にどっぷりと浸かってきた「きらい」があり、そろそろ別の意味での問題が在りそうですが・・。
- bagnacauda
- ベストアンサー率18% (228/1247)
てっきり同世代の人間の書き込みと思い、「おい!元気だせよ!」というトーンで書きましたが、学生さんなんですね。 う~ん、、何か書くときには、自分の「立ち位置」と「趣旨」をきちんと書きましょう!学問や論文でも「基本」でしょ♪ では、「悩み相談」ではなく「アンケート」として回答します。 ざっと書くので乱文失礼。 ■シニア世代が「無条件に」尊敬されていた時代はいつまでですか? いつまで…という線引きは難しいですが、1945年8月15日は一つの価値観の崩壊の始まり、1970年前後の佐藤内閣時代から田中角栄台頭あたりが決定的と個人的には感じます。 「無条件」という言葉にはひっかかりますが、古希という言葉で端的に示されるように、日本人の寿命はかってはそれほど長くなく、昭和30年代では完全なピラミッド型人口分布でした。 老人であることは、時代を勝ち抜いたことであり、経験豊かであるという意味での尊敬(しっくりこないけどネ)は、少なくとも僕の子供時代の地方都市にはまだ残っていたと思う。 しかし、戦後民主主義の中で、政治不信、企業論理の崩壊などが繰り返されるにつれ、なし崩し的に「老醜」というイメージが根付いたと感じています。 当時、大学紛争も盛んだった。 現在では「学生運動」と言う言葉そのものが「死語」だ。 あの時代、若者にとって「権威」というのは打破され否定されるべきものであったし、「老醜」はその対象だった。 ■それと、今一番、尊敬というか、よいとされる年代もいつごろだと思うのかも教えて下さい 「日本語」として意味が明確で無いので回答が困難ですが、今生きている世代で、どのあたりが一番「おいしい時代を生きたか?」ということでしょうか? う~~ん。僕たち昭和30年前後の生まれ世代かな?(笑) 子供の頃に飢えを経験していないけれども、まだ貧しい状態から、生活が向上するのが当たり前の時代を生きてきた。 生きるモチベーションを維持しやすく、「比較的に」素直に20代~40代に死ぬほど働くことが出来た。 ここまでで、それなりの蓄えがあれば、十分に逃げ切れそうだ♪ 少なくとも、子供達は育った。 同窓会でも「悪い時代じゃなかった…」という意見が多かった。 もっとも、そう思わない人間は同窓会なんて出席しないのかもしれない。 ■われわれ若者世代にとっては、「年齢を重ねることが嫌」という風潮がかつてないほど強いのだろうなと自分では思っているので このことが日本を迷走させている主因たらしめてることだろうと思っています 「かってないほど強い・・・」どうだろう・・・ 僕も20代の頃まで、年を取るのがイヤでしょうがなかった。 あんな、知的レベルの低い、モラルのない、醜い連中の仲間入りしてたまるか!と思っていたよ。 いつの時代でも、20代の人間が「老人になりたい」と思うだろうか? しかし、僕自身は、少なくとも50代の現在の自分と20代の自分に比べて、劣っている事を探すほうが難しい。 あの頃は無かった、家族も家も金も仕事も地位もある。 瞬発力はともかく、ベンチプレスだったら今の方が強い。(笑) セックスも格段技術が向上している♪ 人間、何かを手に入れ続ければ、何かを成し遂げ続ければ「今」が一番「良い」と考える事も可能なはずだ。 若者の「厭世観」と言うのは、まだ何一つ成した事が無い事から来る「先が見えない不安」と、「先が見えてしまった不安」を混同する事から起こる。 これはいつの時代も大きな差は無いのじゃないかな? 何か、貴方の話のトーンは、20代にして中年男に多い「先が見えてしまった不安」を語っていると感じる。 僕は、「今の若者は・・・」とか「昔は良かった・・・」と言う言葉は嫌いです。 それって「変化に対応できない」ということだし、今現在が「金」の時代であれば、それを手にいれながら、自分流の人生を楽しむ♪ いつの世も、そういうことができた人間が、「文化」を残してきたのだと僕は思う。
- bagnacauda
- ベストアンサー率18% (228/1247)
50歳を超えて、漠然とした老いや死に対する恐怖は随分となくなりました。 ■ご存知のように、後期高齢者医療制度は陰で姥捨て制度と呼ばれており ますます年をとるのが嫌な時代だなと思って聞いてみました…; 昔も今も、健康で、仲の良い配偶者や子供達家族、数多くなくとも信頼できる友人たちに恵まれ、快適な持ち家があり、それなりの財産と、自分のペースで働ける仕事と趣味がある高齢者にとって、「老い」とか「死」って、それほど恐ろしいことではないと思っています。 ■シニア世代が「無条件に」尊敬されていた時代はいつまでですか? 平安の昔から近代に至るまで「老い」というものは、あまり肯定的にはとらえられていなかったと思っています。 むしろ、戦後数十年間の制度が歴史的には例外中の例外だったと思います。 そしてそれは、老人に対する尊敬と言う観点からではなく、例を見ない経済発展の恩恵だったと思います。 ■それと、今一番、尊敬というか、よいとされる年代もいつごろだと思うのかも教えて下さい 少なくとも、これから30年間も、日本の歴史上の中で、老人を含めて最も生き易い時代の一部に属する可能性は十分にあります。 他の時代に生まれれば良かったと本気で思っていますか? 老いるまでに何も手に入れられなかった人間は、いつの世でも惨めだったはずです。時代のせいにするのは、意気地無しの負け犬なんじゃあないですか?
お礼
あの…比較文化に興味があるので…; たとえば、 瀬戸内寂聴さんは、 「今の時代というのは、私が生きてきた中で最も悪い時代だ」のようなことを言っています この部分だけ引用するのはフェアではないですが、戦争を生き残った世代として、なおかつ、このように言及しているのに関心を覚えました 堺屋太一さんは、要約すると 「家族制度や家長制度が崩壊し、シニア世代は無条件に尊敬されなくなった。昔であれば、人付き合い、労働は親の世話によるところが多いため、いつまでたっても親に頭があがらないものである。 翻って、現代ではお金を持っているということ自体が、尊敬の対象であると。」 すなわち、お金を持っていればいつまでたっても子どもは「打算」でついてくるものです 教養や権威が尊ばれた時代だと、 老齢の乃木大将が自害すれば、幾人もの者が自ら形骸を断ずることもあるわけです これは昭和天皇が崩御された時に、わずか数人しか自裁する人がいなかった事実と比べれば大きな違いです これを狂気ととらえるかもしれませんが、私はここに老齢世代への畏怖の念のようなものがあったと読み取りました すいません、生意気で; われわれ若者世代にとっては、「年齢を重ねることが嫌」という風潮がかつてないほど強いのだろうなと自分では思っているので このことが日本を迷走させている主因たらしめてることだろうと思っています と、かなり、本論からはずれましたが…; 理詰めはいいので、みなさま気軽にどのようにお考えか教えて下さい; 回等ありがとうございます☆