• ベストアンサー

世代間扶養に代わる制度は何ですか?

現在の日本の年金、医療介護、生活保護などの社会保障制度は若い世代が高齢世代を支える世代間扶養が基礎になっていますが、これは支える人間(若者)が支えられる人間(高齢者)を上回っているから成り立つのであって日本のように急速に少子高齢化が進んだ国は遅かれ早かれ制度は維持できなくなります。国は世代間扶養以外を基礎とした社会保障制度を早急に作る必要がありますがどういった方法があるのでしょうか?‘金の無い老人は死ね‘というわけにはいきませんので誰かが負担しなくてはいけません。しかしこれ以上若い世代に負担させるのは不可能ではないでしょうか?どうするのでしょう?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

確定拠出型年金  behind2005さんが疑問に思う通りです。現在のような年金制度は「確定給付型年金」とか「賦課方式」などと呼ばれる方式で、若者が年寄りを支える方式。少子化と高齢化のため、今まで若者10人で年寄り1人を支えていたのが、いずれ若者5人で支えるようになる。負担が多くなるのは眼に見えている。これに対して「確定拠出型年金」とか「積立方式」とか「401K」と呼ばれる方式があり、アメリカでは普及し始めている。これは若いときから自己責任で積み立てていく方式。ハイリスク・ハイリターンを狙うか、ローリスク・ローリターンを狙うかは個人の自由。  いずれこの方式にしなければ、年金制度は破綻します。しかし、どのようにして移行したらいいのか?必ずある年代の人に負担が多くなり、政治家が主張すれば、その年代から批判され選挙で不利になるので、政治家は話題にしたがらない。自己責任が問われるので労働組合など左派は反対。そこで、だれも責任をもって「確定拠出型年金」を主張しようとはしない。私はこのように理解しています。「確定拠出型年金」とか「積立方式」とか「401K」で検索してみて下さい。

behind2005
質問者

お礼

回答ありがとうございます。アメリカは元々、自己責任、自助努力が強いですしね。自分も日本もそうするしかないと思いますが難しそうです・・・

その他の回答 (3)

  • uoza
  • ベストアンサー率39% (326/827)
回答No.4

さて、まず国民単位であることがネックです。今の日本人のコスモロジーでは難しい。といって、国保のように市区町村単位でも、隣町に比べると保険料が高いというブーイングが起きます。また、戦前のような大家族世帯もありえないし、戦中のような隣組体制もありえない。本来は、誰の世話を具体的にしているのかが明確であれば納得もするでしょうが結局、心が通っていないとはいえ、国民単位(統計数値)で考えるべきと妥協の上落ち着くわけです。 ここから試論ですが、若い者がお年寄りを養うという倫理思想に代るものは何かです。最も可能性の高いものが、豊かな者が貧しい者を養うことです。日本では、この考えがかなり強いと考えています。もちろん、これは今時の日本でこそ不公平な考え方ですし、国際競争力を落とす要因にもなります。そうなると、「金の無い老人は死ね」「おばすて」「間引き」「海外移住」も真剣に検討されるような時代に突入します。なお、今現在は「100年もつ」設計ですので、それが狂うとなればという話です。

behind2005
質問者

お礼

回答ありがとうございます。裕福な方が貧しい人間を助けるというのは良さそうですが度を過ぎるとただの社会主義になり国が衰退しますよね・・・。今でさえ日本はすべてにおいて累進性が強いのに・・・。

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.3

老人を65歳以上と決め付けるからこのような問題が起きるのです。高齢化したらしたで、その時の人口の年齢構成で考えればよいことです。 若年人口が今後、減少すればその分、労働人口の年齢を上げてはどうでしょう。今盛んに定年を65歳にする動きがありますが、これもその流れの一つでしょう。世の中ではシルバー人材センター活動などといって高齢者を活用する動きも始まっています。 実際、昔と異なり70代、80代でも元気に活躍している高齢者が多いのも事実ですし、かえって健康のためにもよいのではないでしょうか。

behind2005
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 元気な老人も大勢いますが寝たきり、ボケ老人もこれから急速に増えると国も予測していますので難しいところではないでしょうか?

  • kobakoba3
  • ベストアンサー率39% (89/225)
回答No.2

>これ以上若い世代に負担させるのは不可能ではないでしょうか?  生産物の再配分が効率的・合理的にできるように改善すれば、若者と高齢者の人数が逆転しても社会は維持できると思います。  例えば「食料」、農業従事者の数は戦後直後と現代を比べれば激減(国民の5割が農民だった時代から今や兼業と併せても7%もいません)していますが、米や野菜など、当時から作られていた農業生産物の量はあまり変わりません、同じ生産物を少ない人数で作れるように技術が進んだのです。 (食生活の変化により、肉や飼料などを輸入せねばならなくなり自給率は低下してますが、それは別問題)  同じような変化は製造業ではどの業界でも例を上げることができますし、サービス業でもパソコン導入の前と後での比較を例に挙げれば「今まで10人でやってた仕事を1人で済ませることが可能に」という話があちこちに転がってるではありませんか。  生産力が上がった分だけ労働者がリストラされるというような「20世紀的な資本主義のあり方」から、生産力が上がった分のある程度の部分を社会全体を支えるための出費や環境問題を解決するための出費として供出するのが当たり前になるような「21世紀型の資本主義」へと移行することができれば、それほど悲観的になる必要は無いと思いますが、どうでしょう?楽観的すぎますかね? #CSR=「企業の社会的責任」という言葉が最近流行りだしてるのも、21世紀型への脱皮という側面がおおいに含まれていると理解しています。  ただこの「CSR」ヨーロッパからの流れですが、日本の企業が導入すると骨抜きになるんですよね、労働者や消費者・外部株主からの監視が日本は弱すぎるのだと思います。

behind2005
質問者

お礼

回答ありがとうございます。