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バブル時代の実感について
今から15年~20年前頃がいわゆるバブル時代だったと思うのですが、そのころの日々バブリ~な暮らし・生活の実感について、確かに今思えば夢のようだったと言う人もいれば、そういう実感なんて全く記憶がないまま、子育てやら、自分に力をつけるのに一杯いっぱいだったなどで、別世界の話のような感覚しかなく、自分はしっかり地に足をつけて通り過ぎたし、お金も決して豊かだったという自覚はないと言う人ともいます。 バブル時代の実感について、どういう印象だったか、どう記憶しているか、あなたの実際はどうだったのか、マスコミの情報でなく、あなた自身のことを教えていただきたいのですが。
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某家電メーカーの係長をしていた頃です。 生産に追われ、朝出勤すると何時に帰宅出来るか分からない日が続いた時期でした。 私を含め、残業時間が200時間を超した連中がゴロゴロ居ました。 当時部下だった人のご主人が自宅の風呂で溺死した事件もありました。 何も良い思い出は有りません。 バブルの恩恵を受けたのは或る一部の人達だけじゃないでしょうか!
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- ron_ul
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その頃に日本から出ましたが、行く先々で日本人に会いました。 旅行者も凄くて、現地の入管もびっくりしたとか! なんせ一つの団体だけで2-3日に分けて合計5000-6000人がやってきたとか聞きましたから。 高校生の修学旅行もかなりあったような?? 高級ブティックでは日本からの団体が1-2入ると品切れになって店が困ったとか。 来る人来る人同じ物を求めるそうで、サイズもさして違わないのでスタッフも断るのに大変だったそうで。 日本人恐怖症になったかも?? 駐在員も沢山いましたねぇ。 みんな大きな家に住んでいて高級品を買い込んで帰国していました。 日本人村が出来るほどいましたね。 お金も湯水のごとくガンガン使ってましたし、現地の人からは少々嫌味も。 まぁ、横柄さは結構あったと思いますよ。 いまは? 反対・・・ 現地の普通でも’高い’と。 デフレで物価が下がり、金利もほとんど無いに等しい日本ですから。 今はちょっとでも物価が上がると’高い!!’、インフレがちょっとでも上がると’大変’となるのかな? 駐在もガクっと減り、予算も削られているため以前のような家は手が出ず! 日本人相手だったお店は見事につぶれていきました。 あの時代は日本の一人勝ち的なところがあったようですね。 あそこまでバブル事も珍しいのでは?
パソコンが一般的に普及する前夜だったので当時働いて会社は物凄く忙しかった 残業が180時間/月なんて当たり前で休日出勤しても代休が取れない、やってはいけないけど代休の買取は横行してまとめてボーナスと一緒に支払われたけどとんでもない金額だった 連日タクシー帰りでタクシーチケットはばんばん使っていました ある年の7月の世間ではボーナスが支給された日だったと思います 相変わらず残業で午前2時頃に外に出たら『ゲッ今何時なの?』と言うくらい繁華街は人であふれていましたね 当然まともにタクシーはつかまりません それからまだ過労死と言う言葉が一般的になる前に同僚を過労死で亡くしたことでしょうか 急性心不全ということでしたね わたし自身も会社で体調がへんになって救急車で運ばれました
- for-tep
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高校生だったのですが、同級生がブルガリとかロレックスとかの時計をしてきていましたね。 今から考えれば10代の子供には似合わないブランドですよね^-^; 海外旅行へ行った子がそんなに親しくない子にもエルメスのスカーフとか高級なパヒューム、シャネルの口紅(真っ赤)を配っていたのを思い出します。 あとクリスマスみたいなイベントでは ・高級レストランで食事 ・高級ホテルは満室 ・大きな花束+ジュエリー が当たり前みたいな子もいました。 ただ華やかな一面、土地とかマンションがメチャクチャ高いなぁって子供心に思っていました。
・よい条件で転職や就職ができた。 私は偏差値もよくない高卒ですけど、某メーカー100%出資会社正社員→一部上場企業へ正社員転職しました。 ベア・昇給も大きかった。 ・対して年齢の違わない先輩社員がよくおごってくれた。 私自身はそのぐらいですね。 まわりの社員は海外旅行に行く人も多くブランド品を持つ人もおおかったですね。