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大人は、私たちに、なぜ勢いを求めるんですか
なぜ大人は、 「最近の若者には、勢いがない。もっと若さ溢れた、勢いを、ぶつけてこい。」 と言うのでしょう。 こちらが出すものへのコメントは決まって 「似たようなものばかり」。 私たちにとっては、そのコメントこそ似たものばかり。 情報も思考も概出したものばかりの世界で、 私と私以外の人が似ていて、何が悪いんだろう。 意識して真似てはいない。 なのに似てしまうこと、それに文句を言っているのでしょうか。 「荒削りでもいいから、感じたことをもっと大胆にぶつけてこい」 そう言う大人に、何かをぶつけると今度は 「もっと洗練が必要だ。若さ故に盲目になっている。」 と返されます。 そもそも、「勢い」って何なのか。 おじさんたちが、若い頃出来なかったこと、そして今ではもうできないことを 「勢い」と呼んでいる、のでしょうか。 そういう大人たちから、 私たちの何十年も生きている分の勢いを見せてもらいたいのに 私たちはまだ見せてもらっていない。 その年代でしか作れないものがある、書けないことがある、 言えないことがある、見れないものがある。 それが事実だとしたら、なぜ「若さ」や「勢い」にこだわるのか。 そんなものは後から付けたして 「そう見えやすいもの」「勢いがあるように見えるもの」に なってしまっただけのものかもしれないのに。 大人たちは何を見て、私たちの本気を計ってるんですか? もし知っている大人の方がいるなら 教えてほしいです。
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