• 締切済み

大人は、私たちに、なぜ勢いを求めるんですか

なぜ大人は、 「最近の若者には、勢いがない。もっと若さ溢れた、勢いを、ぶつけてこい。」 と言うのでしょう。 こちらが出すものへのコメントは決まって 「似たようなものばかり」。 私たちにとっては、そのコメントこそ似たものばかり。 情報も思考も概出したものばかりの世界で、 私と私以外の人が似ていて、何が悪いんだろう。 意識して真似てはいない。 なのに似てしまうこと、それに文句を言っているのでしょうか。 「荒削りでもいいから、感じたことをもっと大胆にぶつけてこい」 そう言う大人に、何かをぶつけると今度は 「もっと洗練が必要だ。若さ故に盲目になっている。」 と返されます。 そもそも、「勢い」って何なのか。 おじさんたちが、若い頃出来なかったこと、そして今ではもうできないことを 「勢い」と呼んでいる、のでしょうか。 そういう大人たちから、 私たちの何十年も生きている分の勢いを見せてもらいたいのに 私たちはまだ見せてもらっていない。 その年代でしか作れないものがある、書けないことがある、 言えないことがある、見れないものがある。 それが事実だとしたら、なぜ「若さ」や「勢い」にこだわるのか。 そんなものは後から付けたして 「そう見えやすいもの」「勢いがあるように見えるもの」に なってしまっただけのものかもしれないのに。 大人たちは何を見て、私たちの本気を計ってるんですか? もし知っている大人の方がいるなら 教えてほしいです。

みんなの回答

  • tnkfh572
  • ベストアンサー率14% (50/354)
回答No.1

簡単に言えば鸚鵡返しかな、そればかりではないけどお前たちの年だからこそ感じる物が何かあるはずとかね 実際あなたのを上司が見て言ったのは本人も思いつく事だったのでしょう 悪いがその上司も若い時言われてきたと思うし行動も出来たのでしょう だから出来ないのか?と言う見解もありますね なにくそ根性があるかを見定めてることもありえますね 何いってもめげず喰らい付いて諦めないとかね 人間色々です上司も色々ですから決め付けた解答は書けませんが参考までに

関連するQ&A