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世界で初めて通訳をした人

カテゴリが合っているかちょっと不安ですが・・・ 世界で初めて通訳みたいな仕事をした人は、 どうやって普段自分が使っている以外の言葉を理解できたのでしょうか? (いつから人が言葉を喋るようになったのか、自分はわからないですが・・・) 今の時代なら辞書などで勉強すれば 自分の国の言葉で意味が説明されているから理解する事はできると思うのですが 昔は辞書とかなかったですよね? たぶんこうなんじゃないか、っていうようなことでもいいので答えてもらえるとありがたいです。 自分では「たぶんこうだったんだろう」みたいなことすら思い浮かばないので・・・ 小さい頃から気になっていたので質問させてもらいました。

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noname#118466
noname#118466
回答No.3

通訳といっても何時の時代まで溯るかですね。 1)原始時代の異民族同士でも物々交換をしてたようです。交換したい商品を並べて置く。他の部族は自分が持ってきた物とほぼ価値の同じものと交換して帰る・・・通訳不要 2)もう少し時代が下ると国境の民族は片言で意志を伝えたり、アメリカインディアンのように多数の部族と交流できる國際ジェスチャー語が発達してきます。 3)近親結婚を避けるためや女性不足を補うため他部族の女性と結婚が行われ混血児が生まれます。子供は母親の言葉で幼児を過ごすのが普通です。こうしてバイリンガルが誕生します。自然に通訳が生まれたわけです。 4)大人の捕虜や漂流民が他国の言葉を覚えバイリンガルとなるケースも出てきます。メキシコを征服したコルテスはスペイン人の漂着した船乗りと他部族で育った 原住民の女性(マリンチェ)を使って三カ国語通訳を行っています。船乗りはスペイン語とマヤ語、マリンチェはマヤ語とナワツル語(アステカ帝国の国語) 5)隣国の言葉が分かれば、隣国の隣国の言葉を話せる人を見つけることが出来ます。(中国語が話せなくても韓国語が出来れば中国語の分かる韓国人を探すのは難しくないように) このようにして、昔の人は正式な通訳がいなくても世界中を旅行したり探検が出来たのです。ギリシャとローマのように隣接する文明国ではお互いに言葉を学んだり、学識の高い捕虜を通訳として使うケースも多かったようです。 16世紀に日本へはじめて来たポルトガル人は当時フイリッピンに住んでいた日本人を見つけて、日本語少し習ってやってきたようです。中国人を供として連れてくれば日本人と筆談で意志の疎通を図る事が出来ました。ポルトガル人は日本ですぐに辞書を発行しています。

oimataduko
質問者

お礼

教えてもらっていると(3)の説が、一番すんなりと自分の中で「これかも」と思えてきます(^^) この質問のタイトルをよく考えてみると、はずしていたかもしれません・・・ ・あの人を「疑う」 ・「たしかに」言った などなど、ゼスチャーなどでは表現することが困難だと思われる異国の言葉を 昔の人はどうやって理解する事ができたのか、という「通訳」に拘らなくても良さそうな疑問でした。 (1)~(5)の説明、大変勉強になりました。 国境とか全然考えもしなかったし・・・ 回答、どうもありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • shoyosi
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回答No.5

 一般的な場合は漂流、捕虜などで自己の意思に反して外国で過ごして、生活するために外国語を覚えた人が通訳となる場合が多いです。東洋の場合は特殊事情があります。中国の国力があまりにも大きいので周囲の国の知識人は漢文を知っていましたので漢文を媒介して意思を伝えることができました。また、中国の人口が多いため、船乗りなどの雑役として欧米の船舶に低給料で雇われていましたので、欧米人が戦国時代や幕末、日本に来たときには彼等との筆談により話はできたと思われます。

oimataduko
質問者

お礼

日本人と欧米人の間では中国の人が大活躍していたんですね(^^) 回答、どうもありがとうございました。

  • bhoji
  • ベストアンサー率53% (1514/2852)
回答No.4

>世界で初めて通訳みたいな仕事をした人は 違う民族や文化、言語が出会ったときに攻撃的や戦争にならなければ、お互いの利益になる交易への 方向へ進むのではないでしょうか。 その場合は数量の概念はあるでしょうから、1対1で交換するか1対2にするのか段々互いの言葉を理解し、 そのうちに専門的になんらかの代価をもらって通訳をして仲介する人が出てきたのではないでしょうか。 まったく違う言語の中に放り出されたら人はまずどうにかして食べ物を求める行動をするはずです。 それから徐々に文化的なものに進むと思います。 言語学者の故金田一京助博士は、たしかサハリンだったと思いますが、研究の為に行き、 海岸でNo.2の回答と同じように絵を描いたりすると、子供たちが集まってきて、いろいろ話かけてくるので 「何?」、「何しているの?」をまず探り出して、色々な物指したりして「何?」と思われる言葉を言うと、 子供たちはその名詞を言うのでそれをどんどん記録したようです。 その他有名なものでは、カンガルーをはじめて見たヨーロッパ人が原住民に「あれは何?」と聞いたら、 「(尋ねた意味が?)わからない」と答えた「わからない」が語源だそうです。

oimataduko
質問者

お礼

絵を描いてみる、というのは実際にあった話だったんですね。 子供が成長する過程で自然に覚える以外、 言葉を覚えるっていうのは想像もつかないぐらい大変そうですね・・・ カンガルーの語源も今、初めて知りました。 そうすると元々現地の人がカンガルーを何と呼んでいたのか知りたくなってきます(^^) 今現在、自分は外国人と一緒に暮らしているのですが よく寝言で「○×▽□~!」とか外国語で言うんです。 でも朝起きて「○×▽□ってどういう意味?」と聞くと 「日本語でなんて言うんだろう・・・」と、その言葉を意味する日本語をその人が知らず かといってゼスチャーで表現することもできない言葉らしく、 結局わからないままでいます(笑) こういう時、昔の人はどうしていたんだろう・・・と、 ふと子供の頃からの疑問を思い出したので質問させていただきました。 回答、どうもありがとうございました。

回答No.2

回答にはなってないかもしれませんが、 今でも新たに発見される人達(部族って使っていいのかな…)ってありますよね(数年前ではブラジルで見つかった)。そのような場合はまず、その人々の目の前でわけの分からないめちゃめちゃの絵を描くそうです。すると必ず「何それ?」的な言葉で聞いてくるわけです。後はその言葉で物を指差しながらこちらが質問するわけです。当然最初は名詞からになりますが、簡単な会話ならしばらく続けていればできるようになるんのではないでしょうか。 これは人から聞いた話なので本当かどうかは分かりませんが、真実味のある話だと思います。

oimataduko
質問者

お礼

「わけのわからない絵を描いてみる」 これは楽しそうです。 指差して物の名前を聞いたり、ゼスチャーで表現すればだんだん会話ができるかもしれないですね。 数年前にブラジルで発見された人たちがいるんですか。 そういう出来事も今初めて知りました。 回答、どうもありがとうございました(^^)

noname#6248
noname#6248
回答No.1

指差してそのものの名称を自国語で言う… 表情だって物語るでしょうし 微妙な違いがあれどジェスチャーもあるでしょう 噛む動作と手で何かを口へ運ぶ動作は「食べる」「食べたい」ですね それをお互い自国語で言えばほぉ南蛮渡来のほうでは「エート」と申すのだな… これで産まれた和製英語って結構あります。 アッメぇリカャン→メリケン クロォケッ→コロッケ 等ですね。 もっと無茶を言いますと子供に託すと言う可能性もありうると… ハーフの子が二カ国語ペラペラですよね?テキストや辞書が無くてもみようみまねで 何とかなったのかもしれません… 一人が二カ国語を知らなくても異国の子供同士をくっつけて 日本人大人→日本人の子供→アメリカ人の子供→アメリカ人大人 というやり取りもあったかもしれません… まぁこれは即興で思いついただけですから実際は解りません… 文献を開くとジョン万次郎なんて当たりがうかぶんでしょうかね… 参考まで…

oimataduko
質問者

お礼

ジェスチャーで通じそうもない 例えば、今小さな英語の辞書を見ていたら ability という言葉を見つけたんですが これは「能力」「手腕」という意味だと書かれています。 こういう言葉とかはどうやって理解できたのかな、とかまたまた知りたくなってきちゃいます(^^) やっぱりジェスチャーで表現できない言葉なんかは、 2カ国語が理解できる環境に育った子供が伝えたのかもしれないですね。 コロッケが和製英語だとは知りませんでした(笑) 回答、どうもありがとうございました。