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萌え絵限定の絵に関して

俗に言う「萌え系の絵」に関して、 あのような絵柄に、「個性」はどれだけ重要なのでしょうか? もし、かなりのウエイトで重要と思われる場合、どのように個性を出すものなのでしょうか。(経験談でもなんでも) いろいろな人の意見を聞くと、 「個性はあったほうが良いですが、余計な個性は嫌われる。それは個性ではなくて異質と言う。」 「個性は実績によって認知されるもの。その認知度が個性と言われる。浮世絵だって、はじめは誰が誰の作品かわからないけど、見慣れれば分かるようになる。」 と言う意見から、「結局は個性で決まる」など聞いていると、私は「個性」に関して、よく分からなってきました。 因みに、上に書いた名言(?)は、人が公式に言った事でもないので、「この考えはおかしい」というようなご意見がありましたらお聞かせてください。 誹謗中傷にはなりません。

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noname#64696
noname#64696
回答No.6

#3です。 少し間が空きましたが質問者さんがかなり本気でお考えなので、もう少し考えてみました。 私も興味のあるテーマなので。。。 そもそも「萌え絵とは」・・・? という事と、「萌え絵に於ける個性とは」・・・? ですよね。 前述しました通り、「萌え絵」は異性に対する「性欲」のデフォルメと思いますが、やはり万人が共通して「美少女、美男子」を望まれますよね。 それは手塚治虫さん、石ノ森さんの時代からそうですよね。 「オタクは嫌い」という人がそれと分からず「手塚治虫」はイイ!なんて言っていると「何で?」と思いますが、「萌え」という言葉が無い昔から、そうした「萌える絵」という物は描かれて来た訳です。 それはストーリーと同じで、架空の「理想」を描いて来た事に他ならないからですが、もう一つ理由があるとも思うんです。 元々の欲望として人々が「美少女、美男子」を好むのは、こうしたいわゆる「整った顔」が、実は平均的な顔だからでもあるんです。 これは実験されてもいるのですが、100人の日本人の顔を集めてモンタージュでその顔のを平均化していくと、これがああした「整った顔」になるんです。 私も仕事でイラストを描いたりしますが(アニメ関係では無いですが)、やはりそうした万人に向けての場合、整った顔の人物になります。 クライアントからもそうした「癖」の無い顔を望まれます。 これは万人受けが良いのと同時に、万人がその人物に「感情移入」出来るからなんですよね。 今の「萌え絵」を考えると、あんな「美人」に感情移入とはふてえヤツだ。と言われかねないですが(笑)、それは絵が極端な「エロのデフォルメ」だからですね。 一時期から、アニメーター(原画マン?)の層が「萌え」年代層になったのか、子供向けの朝のアニメも「萌え絵」になりましたよね? 「いいんだろうか・・・?」という疑問がありましたが、今ではすっかり定着してしまっていますね。 「これは私が時代に付いて行っていないという事かもしれない。」と思う様になりました。良くも悪くも。。。 ですから多少疑問は残りますが、手塚さんや石ノ森さんの「可愛いキャラクター」と変わらなく、今の子供は捉えているのかもしれませんね。。。 そして思う事は、「萌え絵」と言っても自分が「可愛い・・・」と思うキャラクターを描くのですから、やはりその「好み」があり、たとえ「エロ」であっても、絵を描くという事は自然と自分の「個性」が出てしまうものなんじゃないかと思うんです。 私がいくら「癖」の無いキャラクターを描いても、それは自然と私の絵になってしまいます。 「萌え絵」が「普通」になりつつあり、それが強烈な個性を放つ「エロ」で無くなったとしても、やはり描き手が気持ちを込めれば「絵」という物は「個性」を持つのだと思います。 他と差別化される「個性」が出ている絵を描く事はやはり必要だと思います。 私としてはそれは「魅力」と思いますし。。。 仕事であっても、「可愛い女の子を描きたい。」という「それ自体」が好きだという「欲求」が無いと、また続けられないのでは無いでしょうか・・・? かくいう私も簡単なカットであっても、やはり「男」はテンションが上がらなくて、「女性」を描く時は描き込みが違いますからね(笑)。 そこに「個性」は宿ってしまうんじゃないでしょうか。。。 長くなり失礼致しました。

mono_010
質問者

お礼

kino_amado様の話を聞かせていただいて、「萌え絵」に関しての個性と言うのが分かった気がします。 と同時に、自分の考えていた事はあながち間違えていないと、すこし自信が持てました。有難うございます。 >それは手塚治虫さん、石ノ森さんの時代からそうですよね。 そういえばそうですね。 大学在学時の授業で、石ノ森さんの新人時代のマンガを観る機会があったのですが、体は石ノ森さんらしい、若干リアル頭身気味で、顔だけアトムのようにかわいらしく描いてありました。 教授が言うには、当時の流行は、アトムのように目が大きくて丸顔だったので、石ノ森さんも嫌々描いていたようです。 それでもやはり石ノ森さんの絵(個性)だと思います。 >仕事であっても、「可愛い女の子を描きたい。」という「それ自体」が好きだという「欲求」が無いと、また続けられないのでは無いでしょうか・・・? そうですね。 そういった気持ちを大切にしていきたいと思います。

その他の回答 (5)

  • mackid
  • ベストアンサー率33% (2688/8094)
回答No.5

>そのような、「結果論」と思って良いでしょうか。 いいえ。結果論ではないと思います。 #1で「最初に個性ありきだ」と書いた通り、まず先に個性がないと注目されません。その上でどう評価されるかは他人がすることであって、嫌われて異端と呼ばれようと同じテイストで描き続けたければそうすればいいですし、「食うための絵」と「主張するための絵」を区別して描ければそれもいい、と書いた通りです。 さらに、#4で書いた通り、どう評価されたいかで「個性をどの程度まで表に出すか」をコントロールするのがプロ、と。ですから、「個性を作る」と「個性をコントロールする」はまあ同じ意味と考えてもいいと思いますが、すでに第一線にいる人はすでに「作る」段階は終っているはずで「コントロールする」だけでしょう。 >「これはOKAMAっぽい絵」といわれるほど認知度が高いから「個性」と認められ、 >もし、認知度が低くかったら、「これはOKAMAっぽい絵」などは言われれる事はない。そんな人の絵は、異質あるいは「無個性」と蔑まれる。 個性があるからこそ認知度が高くなっていくのだと思います。認知度が低いのは「まだこれから」なのか「単に寡作で露出度が低い」とかいろいろな理由があるでしょう。認知度が高いから○○、低いから○○、という書き出しで書いてしまうと、少し本質からずれてしまうように思いますが。 自分の弟もデジ絵系で少しお金をもらっていますが、そんなの考えたこともない、と言われておしまいでした。自分もその道を目指していましたが、弟の描いた絵を見て「絶対にこいつには勝てない」と悟って道を外れました。いずれにしても、描く側と見る側、アマとプロではこのご質問への回答は変わってくるのかも知れませんね。

mono_010
質問者

お礼

>「食うための絵」と「主張するための絵」を区別して描ければそれもいい 前者を前提にした「個性」と、質問文に記すべきでした。説明不足ですみません。 >認知度が高いから○○、低いから○○、という書き出しで書いてしまうと、少し本質からずれてしまうように思いますが。 そうですね。mackid様の考えを誤解しておりました。申し訳ありません。 >自分の弟もデジ絵系で少しお金をもらっていますが、 >そんなの考えたこともない、と言われておしまいでした。 「少しお金をもらって」と言う「少し」とは謙った社交辞令かもしれませんが、 自分の絵に疑問を感じずに制作できるなんて、素晴らしいですね。 もし、「個性」という疑問にあたらず、絵で安定した生活収入を得えられ続けたら、それ以上良い事はないでしょうね。 私の場合、絵だけで十分な安定した生活収入を得られていないため、将来を不安に思い「個性とは」など、疑問に思うのかもしれません。 もう少し、楽観的になろうと思います。

  • mackid
  • ベストアンサー率33% (2688/8094)
回答No.4

>>そういう意味では個性も技量の一つなのかもしれませんね。 >確かにそうですね。 #1です。 非常に乱暴に言えば、ある萌え絵を見た人が「これはOKAMAっぽい絵」とか「倉藤倖っぽい絵」とその描き手の名前を思い浮かべてくれるようになれば、その描き手の個性はある程度確立されていると同時に浸透していると言えるでしょう。そこまでいけばプロかな、と。 「個性も技量」と言うより、「個性をどの程度まで表に出すか」をコントロールできる事がプロの技量なのだと思います。 自ら自由に描くのが絵描きで、依頼を受けて描くのがイラストレーターだ、と区別する場合もありますが、意味不明のものを描いて「これは○○です」と言っても通ってしまう大家は除いて、多くのアーチストはクライアントからの要望を受けて描きますから、要望を実現してなおかつどの程度まで自分の個性を入れていけるかで、結局プロとして生き残っていけるかどうかの差が出てくるような気がしますね。

mono_010
質問者

お礼

ご指摘、有難うございます。 >ある萌え絵を見た人が「これはOKAMAっぽい絵」とか・・・描き手の名前を思い浮かべてくれるように >なれば・・・個性はある程度確立されている・・・と言えるでしょう。 それは、 「個性はあったほうが良いですが、余計な個性は嫌われる。それは個性ではなくて異質と言う。」 と、同じ解釈でしょうか。 ↑ (kanonを例にすると) 売れたから「個性」と認められ。売れなかったら「異質」と蔑まれる。 (OKAMAさんで例にすると) 「これはOKAMAっぽい絵」といわれるほど認知度が高いから「個性」と認められ、 もし、認知度が低くかったら、「これはOKAMAっぽい絵」などは言われれる事はない。そんな人の絵は、異質あるいは「無個性」と蔑まれる。 そのような、「結果論」と思って良いでしょうか。 >「個性も技量」と言うより、「個性をどの程度まで表に出すか」をコントロールできる事がプロの技量なのだと思います。 #2返答欄に、私が答えた「どのように受け入れられる「個性」を作っていくかは、紛れもない技術ですね。」 と、根となる解釈は同じだと思うのですがどうでしょうか。 私自身は、その事は分かっているつもりでしたが、 mackid様が改めてご指摘くださった、その真意が読み取れずに申し訳ありません。

noname#64696
noname#64696
回答No.3

私は「萌え」にとても興味がありますが、そうした「萌え絵」全般が大好きという訳ではありません。 音楽でも何でもそうですが、その作品から「何か」を感じなければ興味がありません。 その「何か」はやはりその絵描きの「個性」に他ならないと思います。 「萌え絵」はかなり「性欲」という「欲」が大きなエネルギーとなっている物ですよね。しかもかなりストレートな「性欲」です。 異性に対する「憧れ」を凝縮したデフォルメで固められています。 ですので対象となる方の性別の方はかなり顔をしかめる物が多いですよね。。。 >「個性はあったほうが良いですが、余計な個性は嫌われる。それは個性ではなくて異質と言う。」 これを見て「ふーん・・・」と思いました。 確かにそうした考えもあるかもしれませんね。。。 異性への憧れを作品を通して楽しむ場合、あまりにも作者の「我」というものが露出してしまうと嫌なのでしょう。 私は「萌え絵」も作品として興味を持つ視点だったので、こうした「性の道具」という意識が強い好みもあるのだなあ。と改めて認識しました。 ですので最近のみんな同じ様に見える絵はあまり興味がありません。 「絵」であるのにその作者の「個性」を邪魔と思うという特殊な「在り方」自体には興味がありますが。 私が「萌え絵」や「アキバ系」といったものに興味を持ったのは、あの有名な「Kanon」の作者の「いたる絵」を見てからでした。 勿論それ以前から漫画は好きでしたし、その中の可愛い女の子も好きでしたが、ああした特化した「萌え」という物に目を向けたのはこの作品でした。 そこにはかなりねじれた「性」というものが露出していて、始めは直視しずらいほどでしたね。。。 今のCGで細密に仕上げていく「萌え絵」には無い、強烈な「何か」がありました。 「Kanon」がエロゲーだと知ったのはその後でしたが、その異形とも言える顔立ち、どこか屈折していて、生々しい感じが、「それ」を手に取るのをとてもためらわせた程でした。 「マズイかなー・・・」という感じです(笑)。 でも実際それだけの背景を感じたんですよね。 部屋の中であまりにも「非現実的」な「恋愛」と「エロビデオ」を混ぜた様なものを楽しむという「背徳感」の様なものが感じられて、ある意味とても「危険」な代物だと思います。 だからこそ逆にそこらのただのキャラクターには無い物がとても強い「引力」を持っていたんですよね。 まあ今ではいたるさんの絵もとても普通になってしまった様ですが、ああした「なんだこれ・・・?」という「強烈な個性」が無いと、私はあまり興味を持てません。 それは他の絵画や音楽でも同じ事です。 但し、「萌え絵」はその背景にとても内向的な「ストレートな性欲」を元としているので、こうした特殊な味わい方、見方があると思います。 「いたる絵」はその「極」と思いますね。

mono_010
質問者

お礼

とても臨場感のある回答、有難う御座います。 >>「個性はあったほうが良いですが、余計な個性は嫌われる。それは個性ではなくて異質と言う。」 >これを見て「ふーん・・・」と思いました。 私もたった今、冷静に考えると、「異質」と「個性」の違いは、消費者やクライアントに受け入れられるかどうかの違いに過ぎないと思いました。 kanonを例に言うと、「結果的」に消費者に受け入れられたので「個性」と認められ、 もし、kanonが作品的にも興業的にも失敗だったら、あの個性的な絵は「異質」でしかない。 と言う事なのでしょうね。この言葉の考えからすれば。 この言葉を言った人の真意は分かりませんが、あくまでも「結果論」でしかなく、それ程深く考えるものではなかったのですね。 これを言った人は、業界の編集者だったので、私には影響力の強いものでした。 (業界編集者の多数派意見ではなく、一編集者個人の意見です。)

noname#93307
noname#93307
回答No.2

>あのような絵柄に、「個性」はどれだけ重要なのでしょうか? あの手のものはほとんどがアニメ絵ですから描く事にそれ程苦労しませんし難易度も高くないかと思います。 見ても不自然さを感じさせない絵を描くだけで良いのあれば、 バランス的に問題の無い物が描けてさえ居れば個性というものは必要ないと思います。 ただ、そのような絵の場合、典型的なアニメ絵だなという印象しかなくウケは悪いのではないかと。 自他共にウケるような絵を書くためにはやはり個性や癖が必要なのではないでしょうか。 個性や癖により絵に独特の世界観を持たせる事ができますから印象も斬新で大きくなり結果栄えるかと思います。 >もし、かなりのウエイトで重要と思われる場合、どのように個性を出すものなのでしょうか。(経験談でもなんでも) 絵で個性や癖をの出し方、それを感じる様になる為にはやはり絵を幾度も描くという事が大切でしょうね。 字なんかで例えると、小学生の書いた字は一回目に書いた字と二回目に書いた字がまるで違う、という事が良くありますが しかし字を書きなれた者の書いた字というのは上手い下手はあっても 同じ字を何度続けて書こうが全体的な特徴とバランスはほとんど変わりません。 又、他の字を書かせてもその字からは似たような特徴を感じます。 頭の中に意識的か無意識的か、パターンやテンプレが出来てるんですよね。 そしてそこからその人独特の、特有の、個性や癖を感じる事ができます。 という事でそれに従い、絵の場合は同じ絵をたて続けに二~三枚描いてみて比べた際、 ほとんど同じような特徴の絵、だと判断できれば個性や癖は身についていると言っても良い様な気がします。 個性は技量とは別で、独特さや他人との差、趣味趣向、センス、など、 具体的に言えばこういう物に当たるかと思います。 芸術に絶対的な物なんてのは存在しませんから、絵、個性の良し悪しは他人にウケるかどうかにかかっています。 実際絵の上手い人間はゴマンと居るが活躍できている人間は少ないというこの現実もそれを物語ってます。 そういう意味では個性も技量の一つなのかもしれませんね。

mono_010
質問者

お礼

具体的な個性を養う、ご意見まで書いて頂き有難う御座います。 >そういう意味では個性も技量の一つなのかもしれませんね。 確かにそうですね。 正論のように「技量は手段に過ぎず個性ではない」と言う人がいましたが、 世の中に認められている「個性」は、心地よいものしかありません。(賛否があっても、支持者が多くなければ世に出ません。) 万人に毛嫌いされるような「個性」は、仕事としてクライアントに受注されないので、世に出てきません。 先天的に、消費者に受け入れられる個性があれば良いですが、そういう人はむしろ稀な気がします。 どのように受け入れられる「個性」を作っていくかは、紛れもない技術ですね。

  • mackid
  • ベストアンサー率33% (2688/8094)
回答No.1

「何か光るもの」「何か違うもの」が「個性」であり「センス」でしょう。ですから個性は必要です。最初に個性ありきだと思っているぐらいで、そもそも他人と同じものを描いていたのでは評価されませんし仕事になりません。 嫌われるか好かれるかは売れるか売れないかに関しての他人の判断であって、アーチスト本来の方向性を左右するものでは本来ありません。もちろん好かれる絵でないと仕事がもらえない、というのはありますが、そこで信念を曲げて好かれる絵を描くか、売れなくてもいい、と信念を貫くかも個人の勝手ですし、仕事としての絵とアーチストとしての絵を区別して描ける人もたくさんいます。

mono_010
質問者

お礼

回答有難う御座います。 >信念を曲げて好かれる絵を描くか、売れなくてもいい、と信念を貫くかも個人の勝手です 全くごもっともです。

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