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なぜこの厳しい人生を笑顔で生きていけるのでしょうか?
20代後半の男です。現在、中小企業のSier会社に勤務しているものです。 これからの長い人生の中で経済的にも精神的にも生活していく自信がなく不安だけしかなく、何を希望に生きていけばいいのか悩んでいます。 30代になれば体力も落ち、40、50代になれば鬱になり、60代になれば年金もほとんどおりない。など周りの現実を見るたびに希望が持てません。人生では痛みは増えていくばかりです。 私は趣味を増やすようにしたり、抗鬱剤を飲んだり、自己啓発書を数冊読んだりして前向きに生きていこうと努力はしているのですが、実際にはなかなか人生に対して前向きになれません。 目標も一応つくっているんですが、もしそれがかなったところで、だからなんなんだと時々思ってしまいます。きっとそこからまた新しいツライ人生が待っています。 しかし私の周りにも笑顔で人生を生きている人はいっぱいいます。 どうすればそのようにイキイキと生きていくことができるのでしょうか。 その人たちもいろいろな不安や悩みをきっと抱えているとは思いますが、なぜそんなふうに前向きに生きることができるんでしょうか? ツライときになぜそこで前に進もうと踏ん張ることができるのでしょうか?それが人生というものだから、でしょうか? そのモチベーションの源は何なのでしょうか?動物としての生存欲求でしょうか? これから生きていく上でツライことがたくさん待っているのに、なぜ笑顔で生きていけるんでしょうか? 不思議でしょうがありません。どうすれば不安にかられずに生きていけるのでしょうか? 生まれてきて良かったと思える、人生が楽しいと思える何か良い方法・コツを知ってる方にぜひ伺いたいです。宜しくお願いします。
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Q、なぜこの厳しい人生を笑顔で生きていけるのでしょうか? A、それぞれに笑顔で生きていく思想が確立しているから。 思想と言っても、マルクスやサルトルほどに理論的なかたちをとるとは限りません。 「生活や社会に対する態度を全般的に規定する物の見方・考え方」も立派な思想。 では、「笑顔で生きていく思想」とは、どのような特徴を持っているのか? その一つの典型を、車椅子の物理学者Stephen W Hawkingの日本講演に見ることが可能。 >色々と日々の生活での苦労が報われないと嘆く人がいます。 >だが、所詮は、苦労というものはそういうものです。 >例えば、人生を山登りに例えて考えてみます。 >100mや500mを登っても辺りの景色はさっぱり変わりません。 >しかし、1500m地点を越えて登れば辺りの景色は亜高山帯のそれに一変します。 >つまり、登るという行為は最初は単なる標高という量的変化に過ぎず植生には影響を与えません。 >が、十分な量的変化が貯えられた時に、植生というステージに変化が起こります。 >日々の生活での苦労が報われないと嘆く人々は、その苦労の量的蓄積が不十分と言えます。 博士は、その苦労の十分な量的蓄積で人生のステージを切り拓いたんでしょう。 博士ほどではないにしろ、一般庶民もそれぞれの苦労の量的蓄積で人生を切り拓いています。 そうして、ちょっとだけのステージアップに喜び笑っています。 そうして、ちょっとだけのステージ後退に悔しさと負けん気を刺激されています。 このように、それぞれが S・W Hawking流の思想を持って人生を生きているんじゃないでしょうか? 意識している、意識していないは別として・・・。 >人が老いて死んで行くのは、これは宇宙の第二法則です。 >だが同時にエネルギー不変の法則も宇宙の法則です。 >私達の肉体、確立した職場での地位等も、その瞬間から崩壊に向かいます。 >これを押し留めていくには、食物摂取を通して得たエネルギーを崩壊阻止に使う以外にはありません。 >宇宙の第二法則そのものは拒否できませんが、崩壊速度を緩めることは可能です。 >もちろん、エネルギーを崩壊阻止に使えば負のエネルギーがみなさんに蓄積されます。 >負のエネルギーとは、いわゆるストレスです。 >日本のみなさんが日々蓄積されるストレスを上手に解消されて宇宙の第二法則を闘われんことを・・・。 まあ、一般庶民は、これほどに意識している訳じゃないです。 が、老いや死と闘ってもムダと一面では割り切っています。 そういうムダな努力よりも、切り拓いた人生のステージを守ることに意義を感じているでしょう。 そういうことで、それなりの「生活や社会に対する態度を全般的に規定する思想」を持って生きています。
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- _backyarD
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No.1の回答者です。 お礼の文面について1点だけ。 結婚したり子供が出来たりすることで、ご自分が新しいことにチャレンジ出来なくなるか、というとそうではありません。チャンスは常にありますが、ただ、そのリスクについてもよく考え、最悪の事態になったときに取り返しが付かなくならないように注意する必要が出てくる、という点が大きな違いになります。 失敗は誰だってするものです。ただ、家族が増えることでその失敗の影響範囲が広がりますから(一人が苦しむだけでは済まなくなる)、その分いろんな損失(お金、時間など)を取り戻すために考えないといけないことが増えます。結果、「チャレンジしないほうが良い」という選択をするケースが、独身の時よりも増えるかもしれません。 ですが、それだって「検討して、安全な路線を選択する」という人生の上での決定をしているわけで、それで結果的に危険を回避できたのであれば、「正しい選択というアクションをおこなった」と考えられるわけです。ようするに、失敗したって成功したって、人は何かしらのアクションを起こしているわけで、そこから経験や知識、教訓といった成果を得る事が出来ます。 冒険だけが目標ではなく、維持したり回避するという事も十分人生の目標になり得る、と考えましょう。時には撤退こそが前向きな決断であったりするわけです。
お礼
『維持したり回避するという事も十分人生の目標になり得る』 ということは私は考えたこともありませんでした。 経験してからこそわかる内容のものですね。とても勉強になります。 ありがとうございます。
- lv4u
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>>これから生きていく上でツライことがたくさん待っているのに、なぜ笑顔で生きていけるんでしょうか? たとえば、大学入試のために頑張った人が、合格したら勉強しなくなったり、スポーツで、念願の有名大会で1位になったら、目標が無くなり、そのスポーツへの意欲が無くなることってありますよね。 そういう成功体験を得たことがある方なら、質問者さんのように「もしそれがかなったところで、だからなんなんだ」と思われるのは当然でしょう。 もっと言えば、仕事で頑張ってトヨタのように会社を大きくして、そこのトップになれたとしても、ここでよく散見される「死んだら全て終わり、無になる」って意見にしたがえば、同様な気分になるでしょう。 つまりは、仏教の「無常」の教えを請う状態に質問者さんはあると思います。生きる目的・意義を知る必要があるので、宗教的なものが必要だと思います。 >>そのモチベーションの源は何なのでしょうか?動物としての生存欲求でしょうか? もちろん、そういうのもモチベーションを保つのに役に立つと思います。でも、所詮は「気持ちをごまかす」ってことであり、根本の問いかけの解答にはならないでしょうね。 たぶん「人生とは、生きる目的・意義とは?」を追求されることが必要であると思えます。そして、それが掴めれば、仕事や会社なんて、それから比較すれば、二次的で単なる手段にすぎないと感じるようになると思えます。 根本的には、だれしもが「自分も他人も幸福になること」を目指して活動しています。ちょっと前に「「休みたければ辞めればいい」と発言したらしい企業トップがいましたけど、彼は、「世の中に不幸な人を増やすために企業経営している」といえるでしょうね。 まあ、ここで私がイロイロ書いても、説得力あることは書けません。書店に行って宗教コーナの書籍をごらんになるのがいいと思います。
お礼
仏教の無常について調べたいと思います。 無常とは『一瞬といえども存在は同一性を保持することができないこと』 ですよね。 これから無常について調べて知ることで、悩みが解決していくかもしれません。ありがとうございました。
- ookami1969
- ベストアンサー率14% (137/953)
#3の方に賛成です。 いつもニコニコしている人は謙虚な方が多いです。 小さな事にも「ありがとう」という気持ちを持っているから笑顔になるのです。 自分が落とした物を拾ってもらった時に「ありがとう」と笑顔で言う人と そっけなく「ども」という人と居るかと思いますが、感謝する気持ちがあるかないかでしょう? (表現の仕方が上手いか下手かという事もあるかと思いますが) 会社から給料を貰ってありがたいと思うか当然と考えるかの違いだと思います。 ちなみに「辛い時に頑張れる」のは その先にある目標がしっかりしている人ではないでしょうか。 オリンピックに出たいと思うから辛い練習にも耐えられる。 国家一種を取って官僚になりたいと思うから勉強を頑張れる。 そういうものではないでしょうか。
お礼
感謝の気持ちというものをすっかり忘れていました。 むしろ頼みもしないのに勝手に産んだ親を少し恨んでいたくらいです。 探せば『感謝』できることはきっとたくさんあると思うので、 恵まれているところを見ていくことで、今よりも現状を何か改善していければいいなと思いました。ありがとうございます。
- dai-ym
- ベストアンサー率22% (848/3824)
不安なのはどうなるかわからないからですよね。 自分はどうなるかわからないから楽しいと考えてしまうんで、 不安で厳しいく大変だからこそ人生は楽しいって感じるんですよね。 だって何度も読んだ本って結果がわかっていて初めて読むに比べてつまらないじゃないですか。 人生もそれと同じで結果がわかっていたらつまらない。 結果がわからないからこそ面白いんだと思います。 人間死んだらみな無です。 なら無になる前の人生を思いっきり楽しんだほうがお得じゃないですか。 楽しむってことは結果がわからない、どうなるかわからないことを乗り越えていくこと。 私は35歳です。確かにスポーツをすれば、十代や二十代より体力は無くなってます。 でも、スポーツを楽しむ程度の体力はあります。 周りには40歳を超えてもマラソンをやっている方、 70歳を超えてもゴルフをやっている人は多いです。 ちゃんと体を動かしていればそんなに体力が落ちるってほどでもないですよ。 べつに40、50代の人が必ず鬱になるわけでもなく、 楽しく人生を送っている、生き生きとした人は大勢居ますよ。 このまま少子化していけば労働人口も減り65歳定年どころかもっと長く働くことが出来るようになるでしょう。 国の年金が心配なら、保険や積立貯金をして自分でためていけば良いだけです。 不安で良いんです。 ただ、不安がって何も行動してなかったらどうしようもないです。 それをどのようにして乗り越えていくか。 そのことを楽しめば不安も悪いものでなく、人生を楽しめますよ。
お礼
"どうなるかわからないから楽しいと考えてしまう"というのは 私の中には全くなかった視点なので、とても勉強になります! "楽しむってことは結果がわからない、どうなるかわからないことを乗り越えていくこと"も考えると、とても深いですね。 みなさんがおっしゃっている『不安を楽しむ』ということが、 少しずつ理解できるようになってきました。 不安を楽しめればもう人生の達人レベルですね。 発想を真逆にできるかもしれません。 ありがとうございました。
- 安房 与太郎(@bilda)
- ベストアンサー率27% (228/822)
要約:ヒトが老いるわけ ヒト以外の動物(サルなど)は、食べ物を得るためだけに学習する。 ヒトは、周囲のヒトの関心を得るために学習するらしい。 ヒトは、生殖能力を失っても、なぜか生きつづける。 ゾウは、低周波の音を認識できる。 若いゾウは知らないが、老いたゾウは過去に津波を経験している。 老いたゾウは、津波特有の低い音波を察知して、集団を移動させる。 老いたヒトも、かつては記憶によって集団における存在を認められた。 いまやコンピューターが記憶を代行し、ヒトの記憶は軽んじられる。 やたらウンチクも、めっぽうオタクも、無用の時代になった。 ── 《視点・論点 20080429(火)28:20~28:30 NHK》 「老いはこうしてつくられる」正高 信男(京都霊長類研究所教授) http://www.nhk.or.jp/kaisetsu/ 追記:いましばらく、コンピューターにできないことがある。 一見くだらないダジャレこそが、ヒトに許された最後の救いである。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2657850.html 古典落語入門 ~ 十二題の笑える噺 ~
お礼
『ヒトは、生殖能力を失っても、なぜか生きつづける。』で考えさせられました。 人間にとっては生殖行為を日々考えているのはせいぜい中学生や高校生くらいで、 残りの社会人後半にもなるとそうでもないですよね。そう考えると人間の人生後半って動物としてみても一体何のためなんだろう、って思ってしまいます。もし人生の後半が不自然な存在だとしたら、生きていくのがツライのはもともと当たり前なのかもしれませんね。 最後の救いと紹介して頂いた落語は私にとっては全く未知の領域だったので、視野が広がったと同時に考え方が広がった感じがしました。 視点・論点はたまにテレビで見かけますが、このようなサイトも あったんですね。いろいろ、ご紹介ありがとうございます。
- augustinus
- ベストアンサー率26% (60/226)
人生が辛いと感じるのは、今まで生かされてきたことに対して無頓着で傲慢だからです。 生んでもらって、育ててもらって、教えてもらって、遊んでもらって、給料まで貰っているということを当たり前だと思っているんでしょうね。 アフリカの難民の子で生まれたら、もう餓え死にしてます。 アメリカに生まれていたら、銃で撃たれて死んでます。 中国に生まれていたら、ギョーザで腹を壊してます。日本でも? って、ネガティブにはキリがないんです。 あなたは十分恵まれています。 ネットができて、給料がもらえて、悩めるんです。 人間知識が増えれば増えるほど悩みも増えます。 今のままどんどん不安を楽しんでください。
お礼
恵まれているのかもしれませんね。 不安を楽しめるようにしたいと思います。 ありがとうございました。
- chirobu-
- ベストアンサー率11% (228/2017)
不安な事って考え出せばきりが無いように思うのです。深刻ぶったところで、どうなる訳でもなし。(“真面目に考えて具体策がある”と言うのなら話は別ですけど)だからなるべく、不安材料は表に出さない、考えないようにしています。ソレがすばらしくいい事とは言いませんが私の場合はそうしています。だからと言って現実逃避ばっかりもしていられませんけど。とりあえずは、目の前の問題を地道に一つずつ確実にクリアして行くしかないんですって、結局のところ(アクまで私の場合)。あとは、小さくても今の(毎日の)幸せに感謝する事でしょうか?
お礼
問題をひとつひとつコツコツと解決していく。 余計なことを考えずにシンプルに生きていくのも、 場合によっては大事なような気もします。 例えば、やるしかないというような状況でしょうか。 そのときによってスムーズに対応を変化できたら理想的だな と思いました。大変参考になります。
- _backyarD
- ベストアンサー率34% (199/580)
うーん。かなり理屈付きで悩み込んでしまっていて、重傷ですね。 とりあえず、1点引っかかったのが「30代で体力が落ち、40、50で..」の所。年齢を重ねるにつれ、体力は落ちますが、そのぶん「経験」は増します。極端な話、何もしなくてもね。何もしなくても「何もせずに時を過ごした」という経験は、若い人とは違う何かをもたらします。結果、何もしなくても歳を取った人と若い人には精神面の熟成という大きな差が出てくるので、あまり深刻に悩む必要はないでしょう。 それから、1つ同意できるのが「動物としての生存欲求」ですね。これは自分でもびっくりですが、やはり子供が出来たりすると人生観が変わります。それまでは自分がどうだ、というところがすべての行動や決定の源だったのが、子供中心の考えに変わります。結局の所、次の世代を育てるという生物として決められた役割にスイッチが入るのでしょうね。子供がうっとおしいと思っていた私ですら自分の子供に対しては全く考えが変わりましたので、これはやはり大きいと思いますよ。 知人曰く、これは親族の子供などに対してでも感じられるようです。 自分に自信が持てないのであれば、自分以外の何かを目標にし、自分が出来なかったことを将来、またはさらに先の世代でやってもらえるように下地作りをする、なんて目標はどうでしょうか? それから...私もSI関連の仕事をやってますが、人生を語るときに今の仕事は正直何のいいわけにもなりませんよ。ましてや20代。失敗してもやり直しが利く年齢です。努力次第であなたの素質以外の環境は変えることが出来ます。それをやらずに、もしくはやらないという制約を自分に課した状態で悩んでも仕方ありません。ダメだと思ったら、転職なりなんなりして環境を変えて、次の可能性を試すということも大事ですよ。もし未婚の方であれば、それこそ今がチャンスです。結婚して子供が出来たら、安定した目標は持てるようになりますが、逆に環境を劇的に変えるチャンスは少なくなります。 このように、年齢や状況で、あなたがとれる選択肢は常に変化し続けます。そんな面白い(失敗や悩みもふくめて)人生というものを、もうすこし楽しんでみてはどうでしょうか。そのとき出来ることをいろいろ試してみる、というのも笑って過ごせる一つのこつかもしれません。
お礼
結婚して子供が出来たら、環境を変えるチャンスがなくなりそうですね。 選択肢が変化していくというのは考えさせられます。 _backyarDさんのように前向きに生きていけるように、いろいろもがいてみたいと思います。
お礼
人生が上手くいっていないのは、量的蓄積の不足が原因ということですね。 それに対しての努力が足りなかったのか、目標が高過ぎたのか等調べる必要がありそうですね。ヒントになります。ありがとうございました。