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人生の先輩にお聞きします
私は最近、 「20代は皆華やか、30代も同じくらい、40代になれば落ちる人は落ちて行き、努力した人は坂をどんどん上って行く。」 という言葉を聞きました。 この言葉の信憑性はどうか気になっています。 私自身は、絶対に全ての人に当てはまるかどうかは分かりませんが、割と的を射ているような気がしています。 そこで、人生の諸先輩方(できれば50代以降)にお聞きしたいのですが、皆さんの周りではどうだったでしょうか? ご自分でも結構ですので、お答えいただければ有り難いです。 私は現在30代ですが、今後の人生に役立てたいと思っています。
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その方の日常とか生き方を知っているわけではないので言葉の真意が今ひとつ伝わって来ませんが、少なくとも人間を語る上で共通した哲学ではないと思います。 その言葉はその人独自の哲学であって、他からは少し傲慢に聞こえる要素を含んでいます。 不惑の四十才という言葉がありますが、四十代は男も女もどんな生き方をしたにせよ、その生き方なりの風貌と努力の結果は出て来る年代ではあります。 しかし、逆に大器晩成という言葉があるように、大人物と成るには四十年では足りないという考え方もあります。 また、#2さんの言われるように何を持って人間としての成功とするか、何をその人の坂とするかによっても違って来ます。 たとえ、社会的に功成り名を遂げても、内面まで磨ききれない人もいますし、その内面の未熟さ故にすべてを失った有名人もいる事は事実です。 人は皆、生まれてから何かに向かって邁進しますが、その方向にどんな違いがあろうとも○○バカになるのではあまりにも人生が寂しいと思います。 生きて行く糧の為に働き、努力する事は大切ですが同時に自己の内面を鍛え磨く努力をしてこそ、その人は本当に生きた、坂を上ったと言えるのではないかと思います。
- mijinco
- ベストアンサー率25% (87/346)
私は、そんなに単純ではないと思います。 「落ちる人は落ちて行き」といっても、落ちたかどうかは、その人自身の受けとめ方がかなり影響をしています。 例えば、いわゆる出世をしたかどうかで「落ちた」かどうかを決めるならすぐに分かります。 でも、それを落ちたかどうかの判断にするのは少し単純すぎるように思います。 当然ながら出世ではない路を選ぶ方も多くいますし、その中にも立派な方や人生の先輩として尊敬できる方は多くいます。 道の選び方も人それぞれです。 出世したいのにできなかった方もいるでしょうし、出世できない自分を受けとめ新たな道に生き甲斐を見つける方もをいます。 それも、他人の評価は様々でしょうが、その人自身の人生の生き方として前向きだと思います。 もちろん、最初から、出世など眼中に無い方もいます。 それはそれですてきです。 「出世」を例にあげましたが、何かを成し遂げるということも成功するということも同じように思います。 努力することは大切なことですし、何かを成し遂げるのに努力は必要なことは多いと思います。 自分は努力して成功したと思っている方もいます。 ですが、自分が努力できることを感謝している人もいます。 それぞれ批判できますが、努力の成果の如何に関わらずすてきな生き方(=落ちない生き方)はあるように感じます。 特に努力をしていると感じない方でも、適当にその場しのぎで上手く立ち回っている方もいます。 これだって、「落ち」ているのかどうかは分かりません。 私自身があの人は落ちたなあと思っても、その方自身がどう受けとめているかの方が、その方の人生にとっては重要でしょう。 この言葉は、人生の様子を深く語っているようで、あまり中身はないなあと感じます。 (しかし、人生を考えさせてくれるきっかけという意味ではいいかもしれませんね) どう生きるか、そして、それをどう受けとめていくかということが、重要なんだと私は思います。
お礼
深いご意見有難うございました。 私自身自分を律しないとすぐにだらだらとした生活を送る癖があり、 努力という言葉が特に気になったのかもしれません。 どう生きるか、どう受け止めていくか、少し考えてみます。
- altered
- ベストアンサー率17% (64/371)
かなり当たっていると思います。 私も40の時に、かなり大きい仕事を任されました。 ただ、努力が足りなかったせいか50台の今かなり落ちぎみですがw
お礼
謙遜されていますが、40までに努力されていたんですね! 参考になりました。有難うございました。
お礼
確かにそうですね。 貴重なご意見を自分なりに消化させていただきます。 有難うございました。